バチボコ

久しぶりにバチボコにやられました、、

私のやっている活動の、チームの一人から。チームを抜けたいと。

それの理由の一つ(大きな大きな一つ)が、私に将来性を感じないから。

もっとオブラートに包んでくれたけど、言ってしまえばそんなところ。

私が中心的に行なっている文化的活動における、私のセンスと合わない。私のセンスには個性がない。みたいなところ。

「これは一種の好みだから」と、最後にカバーをしてくれたものの、具体的に出てくる言い分にはぐうの音がでないような核心をついたものばかりだし、

なにより悔しいのが私はこれをかれこれ5年くらい言われ続けている。

優等生。

型にはまりすぎ。

器用貧乏。

表面的。

勉強しても勉強してもついてこない致命的な部分。人生経験を積むしかない?活動にかける重みや覚悟がたりてない?甘ったれてるのか?

話をしている最中は、いっそのことわたしもこのプロジェクトからおりてやろうかと思うほどお先真っ暗というか。ここ半年でこんなのも3人目。他の2人の原因が私ではなかったにせよ、私に求心力と辞めたいを超える何かを持っていれば引き止められたかもしれない。


私は確かに優等生だった。

学年成績は常に1.2位を争っていて、つまりはこれといった得意教科もなく満遍なく勉強すれば良い点が取れた。でもそのために誰よりも早くからコツコツ試験勉強をした。目標のためにならいくらでもストイックになれた。

今もそう。

目指すゴールや目標となるイベントなどがあればそれにむけての努力はしているつもりだ。足りないのかもしれないけど、確実に成長しているつもりだ。

けどきっと彼が言うのは、その目標やゴールを指し示す側の人間になれていないということだと思う。それも、文化的活動という極めてクリエイティブで、アイデアや色、個性が求められる世界で。

与えられた仕事を完璧にこなすのは得意だけど、人に仕事を与える者になりきれない。人が私と一緒にやっていきたいと思えるまでの気概が私にはない。

彼はそんな人間的な大きなスケールで言っていなかったけど、わたしにとっては、活動=人生な訳で、私の人間性もろとも合わないと言われたように感じた。


もちろん私を応援して、私の活動を褒めてくれる人もいる。そう考えると、1ミリでも「私もプロジェクトをおりようかな」と思った自分を殴ってやりたい。

メンバーが3人辞めて、「絶対」なんて人間関係はないんだと強く思う。絶対に続くと思った関係。絶対に間違いないメンバー。

学生時代の卒業式であんなに泣いたけど、大人になったらもっと辛い別れがたくさんあった。

別れや辛い言葉を沢山経験して、成長していけるのかな。


すごく好きな仲間だった。

もっと成長して、見返してやる。



追記

こう言う時いつも心を軽くしてくれるのが母だ。

「根本は変わらないよ」「優等生ってたぶんこれから一生言われるよ」「それすらを個性にすれば良いんじゃないの?」

です。

私が好きな曲にもあったわ。

「不甲斐ない、秀でてないなんて可愛くないね

コンプレックスは逆手にとってオリジナリティ」

辞める彼、

あなたの好みにハマらなかっただけ。

貰った言葉は受け止めつつ、あくまで1意見。

私の活動を良いと言ってくれる人を信じて、私なりの個性を探していきたい。



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