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【人間関係】友人を求めたくなった、増やしたくなった。そんな寂しさを感じたときに、私が振り返ること
以前、ふと寂しさにかられることがあった。
それは、周囲のインスタの投稿であったり
1人で作業をしているときだったり。
些細なことで、寂しさに駆られた日は
いつもなら断っていた人の誘いにも乗り、声を掛け安心を求めた。
当日に至るまで、どうしようもなく面倒に感じるのに、衝動的に約束を重ねていた。
会うことによって、自分の価値を確認していたんだと思う。話を聞くということができる存在として
"アリ"な友人として存在意義があることを
共感してほしかった。
ただ、ある日に気がついた。
さみしいから友達を求める。認められたと喜ぶ。
距離を置く。さみしくなる....
その関係の持続で
自分のさみしさを創り出していたことを。
『そのさみしさはなぜ生まれたのか』
そもそもの理由は、自分に価値がないことを
自分が1番信じていたからだと思う。
だからこそ価値を生み出せる存在になろうと
努力を重ねる自分を好きになった。
友達に対して真摯でいること、その努力ができる自分が好かれると思ってひたすら取り組んだ。
けれど、そこでできた関係は努力を私が辞めた時点で破綻していること。
そして何より、自分の価値が努力だと信じることで何もしない自分を自分が一番嫌いになっていたことに気がついた。
『なぜ、私は努力しようとしたのか』
価値がないから?離れて欲しくない人がいるから?
いや、違う。
家族や、親友
既に近くにいてくれた人達を
一緒に考えてくれる、信じてくれる人達を
幸せにしたい。そのためには力が足りないことに気がついていたからである。
ただ、いつの間にか
目的がすり替わってしまっていた。
大切な人というのは、自分よりも相手の幸せを願えることだと思う。
だから、相手に幸せになってほしいから私が好きな大切な人が私から離れたいと願うなら
私は離れてきっと山奥か、海で電波もない状態で静々と暮らすと思う
うまく忘れてくれと願いながら笑
こんな私にいてくれる
そんないてくれることを選んでくれた人に
幸せになってほしい。
だから些細でも力になれるように
私は努力をするのだ。
努力を向けたい人に意識を向けるようになったからか、その日からさみしさを感じたことはない。
既に"いてくれたこと"を知ったからである。
『おわりに』
貴方にとって、"いてくれた人"は誰でしたか?
努力をしたいと思える相手に出会えていることって素敵で幸運なことだと私は思います。
そんな人がいつ貴方の前からいなくなるかなんて分かりません。
だからこそ、
もし大切にしたい人がいるならば
きっと"今"大切にすべきです。
反応を見られる、伝えられる距離にいる
あの人に。
ご覧いただきありがとうございました!☺️