家族
3ヶ月の仔犬だったぷーちゃんが「うちのこ」になってくれたあの日から5年経ちました。
仕事で疲れた時も、病院で心が乱れた時も、これからが不安になった時も、メンタルを保てていたのはぷーちゃんのお陰なのだとおもいます。
真剣に話しかけたら首傾げながら一生懸命聴いてくれるし(途中でどう見ても飽きちゃってるけど)、
分けっこして「これ美味しいね」って言えるし(好きじゃないものはぽいぽい床に捨てられるけど)、
ひきこもりそうな時も猛アピールで外に連れ出してくれるし(帰りは抱っこマンになってることも多いけど)、
夜更かししてると「まだ来ないの?」って寂しそうな声出して呼んでくれるし(いざ一緒にごろんしてすりすりすると足で蹴飛ばされたりするけど)、
だれかといっしょだからこその"楽しい"や"あったかい"をたくさんくれてありがとう。
ぷーちゃんの犬生の1/3くらいは一緒に過ごさせてもらったことになります。
迎える前も迎えた後も、ステージ4の独身がん患者であるわたしが、ペットを飼うことに批判の声を受けてきました。「犬がかわいそうだ」と。
5年経って、わたしも病気の割には案外げんきで、そんな声も次第に届かなくなってきました。
これから先、わたしが弱ってしまったとき、またそういう声で溢れるのかもしれません。
少し前にも、70代のステージ4がん患者が猫を飼おうとしていたから止めたという医師のツイートを見ました。
「あなたはもう死ぬのにペットを飼うなんて無責任だ」
そう言われると、ぐうの音も出ないよね。まあその通りだもの。
その患者さんは「残り僅かな人生ぬくもりを感じさせてくれ」と笑ったらしく、それも批判されていました。
本当になにも考えてない人なのか強がりなのか分からないけど、治療薬だけではすべては救われない。
孤独は時に、病気そのものよりも辛いのです。
批判をするのは簡単。
代わりに毎日家に遊びに行って、話し相手になって、一緒にごはんを食べて、眠れない夜は隣で寄り添ってあげますか?
最後の願いを否定するなら、代案を教えてあげてほしいです。
いきものを飼うこと以外でしあわせを得る術はなかったのか、突然死を目の前にして絶望の淵に立っても前を向く術は他になかったのか。
あったのかもしれません。
でも、5年生きて、ぷーちゃん以上の生きがいには出会っていません。
わたしはわたしの責任で、ぷーちゃんを守っていきます。
長生きするとか、絶対先には死なないとか、そんなことはあいかわらず言えないんだけど。
それでも、5年前に決意したとおりこれからも、わたしのすべてを懸けてぷーちゃんのために出来ることをしていきます。
批判をする外野の誰よりも、彼の未来を心配し、不安になり、だからこそ精一杯のことをしておかなくてはとおもうのです。
わたしの意志で、初めてできた家族だから。
とにかくね、わたしはぷーちゃんに出会えて、家族になれて、しあわせ。めっちゃくちゃしあわせ。
ぷーちゃんも同じだとうれしいな。