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終活

終活しなきゃな。
病院の無愛想な天井を眺めてそう思ってから、四年が経った。
終活といってもあれこれあるだろうけど、ここで指すのは「物の処分」のこと。
小さな言い訳をすると、どっちが家族にとって幸せなのか、分からなかった。
終活について調べても、著作権フリーのおじいさんおばあさんのイラストで、「娘息子に負担をかけないように〜」と出てくるのもうんざりした。
逆やねん。逆、逆。
亡くなった娘の物を処分することほど、親にとって辛い作業はないだろう。
だけど少しずつ遺品整理をしていくことで、心の整理もされていくということもあるのでは。
今も答えは分からない。
だけど結局のところ、一番は、怖かったんだとおもう。
自分はもうすぐ死ぬということを、肯定するということが。むしろ促進してしまうようで。

そんなわたしに、母や友人は違う視点を与えてくれた。
「自分の好きなもので囲んでまた暮らしたらいいんだよ」
気づいたら新しくなにかを買うことが難しくなっていた。
今買ってもどれくらい使うんだろう。
次のシーズンの時にはいないんじゃないか。
処分させるものを増やすだけなんじゃないか。
その視点は、少し考え方を変えさせてくれた。
本当に大切なものに囲まれて暮らせるように、終活をしよう。
誰かが貰ってくれるなら嬉しい気持ちになるようなものを遺そう。
そう思うと「終活」も気楽になった。
四年目にしてようやく決断できた。
「家」自体を無くすことで、必然的にぜんぶの物と向き合った。
大学生活とともにやってきた、東京という場所からも、ひとまず去ることにした。
お気に入りの食器、本、飾りもの。
少しだけダンボールに詰める。
昔からの友だちも、東京でできた友だちも、病気になってからできた犬友さんも、手伝いに来てくれた。
「次は〇〇買ったら?すごくおすすめ」なんて、未来の話をしながら処分してくれた。
大きな家具はジモティで無償で譲った。
マンションのゴミ置き場は、誰かが新生活を始められそうなほど、"お気に入りでもないけど使えるもの"で溢れていった。
外に出した粗大ゴミは、気づくと無くなっていたりした。
そうして選抜品となる遺したいものは、いくつか実家に送り、いくつかは友人が預かってくれた。
空っぽになった部屋で、ぷーちゃんと翌朝処分する予定の敷布団で寝た。
冷房をいれてもぷーちゃんはへそ天だった。
いつまでも暗くならない窓の外、鳴り止まない車やバイクの音は、東京を感じさせる。
最後の晩は泣くんじゃないか。
終活すると決めたときはそうおもっていたけど、実際感じたのは、終わりの寂しさではなく、始まりのわくわくだった。
終わりだけを見つめる終活は苦しい。
未来をおもえたから、わたしは終わらせられた。

この半年は、ばあちゃんの家と実家を行き来した。
ばあちゃんの作った野菜でバーベキューしたり、スイカ割りをした。
毎週ばかみたいに浮き輪を持って泳ぎに行くアラサーのわたしを、笑いながら見送ってくれた。
ばあちゃんが入院してからも、変わらず家に行ってごろごろした。
帰りは病院の前を経由して、窓の外から手を振った。
この冬ばあちゃんは亡くなった。

再びわたしは上京する。
「ももが死んだら着るから買って」と、友人が最低最高な約束で背中を押してくれたタトラスのダウンを着て。
憧れだった乾燥機付きの洗濯機。
大きなソファ。
おしゃれな食器棚。
死んだら処分がめんどくさそうだし、今更贅沢していいのか今もよくわからないけど、お気に入りのものを少しずつ集めている。
場所も、縁もゆかりもないけど住んでみたいとおもえるところにした。
数ヶ月先にある、五年生存率の壁を越える瞬間を想像できるようになってきた。
今脳内は「オラ、ワクワクすっぞ!」ってかんじ。

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野口 桃花
人生第二章を歩むための、なにか"きっかけ"を与えていただけたら嬉しいです!あなたの仕事や好きなことを教えてください。使い道は報告させていただきます。(超絶ぽんこつなので遅くなっても許してください)