すべて終わった日2
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④すべて終わった日2
そわそわが止まらない。
店員さんに名前を告げて、着席する。
少ししてついに彼のお母さんが現れた。
「はじめまして!」
はっと立ち上がり、深々と頭を下げて、はにかんだ。つもり。緊張でうまく笑えていたかは分からない。
入院の見舞金をいただいていたお礼もあり、菓子折りを渡す。
彼のお母さんは、「私もあるの」と和柄の菓子折りを贈ってくれた。
斜め前にいる、初めて見た彼のお母さんはとても綺麗で、予想していたよりも綺麗で、思わず褒め称えてしまった。
満更でもなさそうに笑ってくれた。
彼も安心した顔をして、和やかに会話をした。
「美味しいわねパスタ!よくここに来るの?」
「そうなんです!このウニのクリームソースが美味しくて。お客様訪問で銀座に行った時に本店へ行ったりしています」
「あらそうなの、美味しいわぁ」
好きなお店が褒められて嬉しかった。
病院の食事続きだったから、美味しいものを「美味しいね」って言い合いながら、大切な人と食べられる幸せを噛み締めた。
妹さんも難関校を卒業されていて、兄妹ともに医療従事者で、お母さんが熱心に教育したのだろう。
彼の幼かった時のことを話してくれる合間には、所々自慢の子どもなのだという感じが出る。
家族が不仲とのことで、何度も悩みや不満を聞いていた。だからわたしたちは幸せな家庭を築きたいねと話していた。
こうして彼とお母さんが二人で並ぶことも久しぶりなようだけど、穏やかな時間が流れてほっとしていた。
コースの終わり、出てきたデザートを呑気に「可愛いー♪」なんて言った頃、お母さんの声色が変わった。
「あのね。結婚のこと聞いたのだけど」
「あ、はい」
「ごめんなさいね、正直に言うと私は反対なの」視線を斜め前のお母さんから正面の彼に移す。
彼は咄嗟に下を向いた。
「ももちゃんのお母さんはどうかしら。そりゃあ、娘が結婚したら嬉しいとおもうわ」
「あなたのお母さんがあなたを可愛いように、私も○○(息子)のことが可愛いのよ」
分かるでしょ、分かってちょうだいという圧力を感じた。
「はい、分かります」
震える唇をかみしめてそう言った。
彼の方を見る。下を向いたまま何も言わない。
反対側にいるのは、位置だけじゃなく、心もそうだったようだ。
テーブルを挟んで、彼とお母さんと、私のあいだには見えない大きな溝があった。
言ったのに。プロポーズしてくれた時、「お母さん、反対するんじゃない?」って言ったのに。
予防線張ったのに。あれはなんだったの。
今にも涙がこぼれそうな私を見て、お母さんは焦ったように言った。
「何もいますぐ別れなさいなんて言ってるんじゃないのよ!やだわ、おっほっほー!」
高笑いがこだまする。
私は深く一礼をして、目の前のデザートを食べ始めた。
味が分からない。でも何かしていないと、涙がこぼれて止まらなくなってしまいそうだった。
「お会計はこちらが」ぱっと伝票を取られた。
また黙って一礼して、外に出た。
彼と二人になったとたん、もう堪えきれなくなった涙は、蛇口を勢いよく捻った水のように流れ出た。
私は涙を拭きもせず、無言で彼を睨んだ。
精一杯の仕返しだった。
お会計を済ませて出てきたお母さんは、すっきりした顔をしていた。
「ごちそうさまでした」
「ふふ、じゃあ私は用事を済ませるからこれで。あなた、しっかりももちゃん送り届けなさいよー!」
私が泣いていることなんて見えていないんじゃないかと思うくらい、お母さんは笑っていた。
「…ごめんね。家まで送るよ」
そんなの結構、と言いたかったけど、まともに歩けないから、送ってもらうのが賢明だった。
黙って頷いた。
差し出された手は見ないふりをして、肩に置かれた手さえ振り払いたいとおもいながら、駐車場へ向かった。
家に着いたとき、私はようやく一言発した。
「なんで会わせたの」
「ごめん…」彼は力なく謝った。
「お母さんが反対することはわかる。予想もしてた。プロポーズしてくれた時にも聞いたし、それでも自分が決めることだからって言った。
私が今怒ってるのは…辛いのは…面と向かって言われたこと。そしてあなたがその隣で黙っていたこと。こんなに悔しくて屈辱的なことはない」
「ごめん…」
彼からはそれしか返ってこなかった。
抑えていた感情が爆発した。癌が分かってからもずっと穏やかだったし、彼に怒鳴ったことなんてなかった。
「私なんてもう終わりじゃん!末期癌になったら、もう不要な人間なんじゃん!!!」
私は号泣していた。
「そんなことないよ!!」
聞いたこともない彼の声の大きさに私は少しびっくりした。彼も泣いていた。
「癌になったことより、こうして面と向かって否定されることの方が、ずっと辛い」
そう言って私は車を飛び降りて、マンションの階段下で崩れ落ちた。
このまま部屋に戻ったら、待っているお母さんを心配させる。
泣くならここで泣かなきゃ。
癌患者も診ている医師である彼に見捨てられることは、私の未来のなさをはっきり示している。
最期に幸せを感じる機会すらもう与えられないんだ。もう終わりなんだ。
わんわん声を出しながら、惨めさと悔しさと悲しさとでぐちゃぐちゃになった。
彼が車から出てくることはなかった。
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この記事の写真はあの時撮ったパスタ。
あんなに大好きだったラベットラ、あれから行けていない。
おうちでレトルトソースは食べられる。レトルト出してくれててありがとう、落合シェフ。
いつかまた、いやそろそろ、お店に行きたいな。