水底
ここ数年、ずっと水面下で息をしてるのかしてないのかわからないくらいひっそりしていた。すぐ近くの明るい世界を薄い膜越しにそっと眺めてはあえて距離を置いているような感覚だった。
その逃げが、心地よかった。というより、それが自分を守る術だった。
最近大きく沈んで辿り着いた水底は薄暗くて、光は遠く遠くに見えて、恐怖を感じさせる。
年末、ささいなことで家族と揉めた。
感情的で暴言を吐く母や妹に心底疲れて、距離を取った。
昔からささいなことで揉めてばかりの家族で、温かい家庭を自分で持つのが夢だった。
妹の結婚式が近づいていた。
どういうことが嫌だったのか、何に傷ついたのか、式には行くべきだと思っているがどうしてほしいか連絡をすることにした。
妹からの返信は一言だった。
「無理してなら来なくていいと思っている」
いろんな感情が湧き上がった。
相談した友人たちは、いつか後悔するかもしれないから行った方がいいという人もいたし、傷つく必要はないから行かなくていいという人もいた。
みんながそれぞれに、今のわたしのこと、将来のわたしのことを考えてくれた。
今までなら妹のためにもという視点を入れていたような友人たちが、わたしのためだけの視点で語っていることにも気づいた。
それもなんだかありがたかった。
結局、長女として姉としての責任感だけを背負って、神戸に向かった。式場のホテルの宿泊は犬連れ不可とのことだった。
連れて行かないと心がもたないと思ったので、別のホテルに泊まることにした。
六甲の山は雪が降っていた。
一人っ子の少ない環境で、きょうだいが欲しいと泣きながら願ったわたしにとって、8歳離れた妹の誕生はとてもうれしいものだった。
おんぶ紐で小さな背中にいつも乗せたり、洗濯バサミで鼻を摘んでおむつを交換したりした。
そんな彼女の晴れ姿は、とても可愛くてきれいだった。
息子となる彼にビールを注いでもらう父は、満面の笑みだった。
お腹の中にいるこどもが男の子か女の子か当てるミニゲームもあった。
父は外れ、母とわたしは当たりだった。
そんなところも私たち家族らしかった。
父は外れているのに万歳をしていた。
妹は無事出産し、実家で過ごしているようだ。
わたしの出来なかったことをしてくれた妹には、勝手に感謝をしている。
父から赤子の写真が届く。初孫はきっと目に入れても痛くないほど可愛いのだろう。
母は孫について何も触れてこない。それが家庭を、こどもを持つのが夢だとずっと語っていたわたしへの心配りなのだろう。
そんなそれぞれの態度も、父と母らしかった。
彼のママンが出てきてから数年引きこもりだった私に、最近出会いが増えた。
でも女性の30代前半という貴重な時間をつぶしたことは、恋愛面でかなり致命的なようだ。
35歳以上の女性が結婚にたどり着くのは5%だという話を思い出しながら、今まで飲むことのなかった缶チューハイをひとりで飲む。
もはや結婚したいのかも分からないが、どんなに傷ついて回復するのに時間を要しても、時間は待ってくれなかった。そしてその時間の経過というものは、なかなかに残酷だったりもする。
ステージ4の告知を受けてこのまま死ぬかもしれないとなった時よりも、このまま一人で案外長生きするのかもしれないとなった今がずっとずっと怖い。
だけどずっと水面付近で漂っていたわたしが、水底に辿り着いた。
底を蹴り上がれば、ずっと出られなかった外へ浮上できるのかもしれない。
未来も正解も分からないけど、こうして赤裸々に気持ちを吐けることは悪いことじゃないと客観的に思ったりもする。
そうやって罹患から六年目を迎えた今、これまでとはまた違う心境で、どうにか生きている。