第16話 【3カ国目マダガスカル④】バオバブ650キロの紙芝居「アフリカンジャーニー〜世界一周備忘録(小説)〜」
「まさか、あの中に突っ込んで行くわけじゃないよね?」
終わりの見えない一本道。途中でバイクから降り、果てしない地平線の先に浮かぶドス黒い空を見ながら尋ねてみる。
「これがRPGなら、あそこにはラスボスの屋敷があるだろうな。」
受け入れ難い現実を、場違いの解釈で笑いながら飲み込むことにした―
残り500キロの旅への出発
昨夜降り出した雨の冷たさを、朝日が照らし始めていた。
前日、無事に19時前にアンツィラベに到着し、ジャラの親戚に挨拶したあと僕らは適当なホテルに宿泊した。
「もし、次の日にモロンダバまで辿り着きたいのであれば朝の6時には出発するしかない。日没までに到着しないと。」
どうしても、次の日には到着したいと伝える僕にジャラは快く応じてくれた。
泥のような眠りから目が冷め、早朝にホテルの前でジャラと合流をしバイクに跨る。
昨日走った150キロの3倍以上。500キロの道のりを今日中に走り切れるのだろうか。
そんな不安を抱えながら、僕らはアンツィラベの街を出発したのだった―
ちょっと待って音がおかしい
「ちょっと待ってくれ。分かるこの音?チッチッチッチ…」
昨日の疲れが取れない身体を奮い立たせ、学校に通う子どもたちや大量の牛を率いる牛使い、茶色い川、枯れたような大地に広がる草原、所々に生き残っている木々たち、赤い岩肌が剥き出しになった山々を越えていく。
1時間は走っただろうか。立ち寄ったガソリンスタンドで給油をしたあと、ジャラが怪訝そうな顔をしてエンジン音に耳を傾けていた。
「エンジンの音がおかしい。ちょっと中を診てみるよ」
僕には全くその音の違いが分からなかったが、ジャラはバイクのメットインスペースを持参した工具を使い解体していく。
「どう?この音。チッチッ…リズムが変だ。」
通常の状態との違いは分からなかったが、彼の言う通りのリズムでエンジンは小さく音を刻んでいた。
「これは良くない。修理するから少し待っていて。」
僕はメットインスペース内で絡み合う配線をいじりながら修理する彼を不安げに頼もしく見守っていた。
「これが一人だったら。途中で不具合に気づくことなくバイクが壊れていたかもしれない。恐ろしい。」
そう思うほどに、道中には何もなかったのだ。
時折出現する村々も数世紀前を彷彿させるような土や藁で出来た家ばかり。
そんな所で身動きが取れなくなったらと考えると、ゾッとする思いだった。
改めて修理ができる人間がいる頼もしさを感じる。
「チチチチ…これが正確な音なんだよ。」
20分ほど修理したあと、バイクのリズムは正しい間隔に戻ったらしい。
出だしから若干の不安を抱えていて僕は、その音を聞いて深く安堵した。
ありがとう。本当にありがとうジャラ―
襲いかかる太陽の光
汗がとてつもなく吹き出している。後ろの僕がこうなら、ジャラはもっとだろう―
昨日と打って変わって道中の道のりはとにかく暑かった。もうめちゃくちゃ暑い。
70キロのスピードで風を浴びていても暑いのだから、とても暑いのだ。
出発時に残っていた朝の肌寒さに合わせて着込んでいたフリースとカッパの下で、僕は大量の汗を掻いていた。
休憩の際にフルフェイスを取ったジャラの顔からもとてつもない汗が溢れだしている。
前日の雨によって体力を奪われていた僕らは、今度は照りつける太陽によって体力を奪われ始めていた。
僕はカッパとフリースを脱ぎ長袖一枚になる。それでも暑い。何だこの暑さは。
ジャラは弱音を吐くことなく、バイクに跨り僕の左膝を優しく叩く。
「大丈夫、まだ大丈夫。」
「バシバシ」
僕もジャラの背中を叩き、頑張ってくれ。でも無理はするなよ。と合図を送る。
出発から3時間ほど経過し、時刻は朝の9時を回ったばかりだ。
予定到着時刻の18時まで、まだ9時間以上道のりが残っていた―
最高のオレンジジュース
昼食を摂ってる暇はない―
日暮れまでに500キロ先のモロンダバまでたどり着くには昼食をゆっくり摂っている暇はない。
言葉は通じなかったが、眼の前でハンドルを握るジャラの背中からそんなことを感じていた。
僕が始めたゲームである。僕も彼の考えに同意だ。二人で乗り切るぞ。
交わされない言葉の隙間にそんな雰囲気が浸透している。
原付を修理し更に3時間ほど走った場所に現れたガソリンスタンドで、簡単に給油をしたあと直ぐに出発しようとする。
時間との勝負のため、急がねばという雰囲気が二人を包んでいた―
「ジャラ。ちょっと待ってくれ。」
そういって、僕は一度跨ったバイクの後ろから飛び降りてガソリンスタンドに併設される小さなショップに向かって駆け出した。
「これ飲んでくれよ。」
自分用に買った水の他に、大きなオレンジジュースのペットボトルを彼に差し出す。
「タケが飲んでくれよ。僕は大丈夫だ。」
「いいや。運転しているのは君だ。汗もすごいよ。とにかく君のために買ったから飲んでくれ。」
申し訳無さそうな顔で、ジャラがそのペットボトルを開けて半分ほど一気に飲み干した。彼の喉から「ゴクゴク」と音が聞こえる。
その姿は、我慢はしていたもののどんどん太陽に体力を奪われていた彼の姿を表すようだった。
もう、めちゃくちゃ美味しそうに一気に飲み干すのだ。それはそれはとても美味しそうにだ。
「ありがとう。ありがとう。生き返ったよ。」
先程まで覇気がなくなっていたジャラの顔に生気が満ち溢れていく。
「俺にも一口くれ…」
あまりに美味しそうに飲むジャラの姿にそう言いそうになるが、僕は自分用に購入した水と一緒にその気持を飲み込んだ。
「よし、もう一回気合入れていくぞ!」
真上に登りきり、その日一番の力で世界を照らす太陽の下を、僕らは再び走り出していった―
果てしない一本道
最初こそ美しく思っていた周りの景色に「まだ続くのか―」という絶望がつきまとい始めていた。
よく見ると同じ景色は一つも無かったが、"同じような景色が続く道中"に果てしない旅の一途を感じ始める。
やがて終わりの見えない一本道に差し掛かり、その道中でジャラがバイクを停める。
「休憩は大事だ。半分以上進んだよ。頑張ろうタケ。」
そう言いながら、彼はズボンのチャックを開け小便をし始める。この旅では既におなじみの光景である。
僕はそんな彼を他所に、平面に長く続く大地を眺めていた。
その先には、明らかに豪雨を降らしているであろう分厚い不穏な雲が覆いかぶさっている。
僕らの真上は雲一つない綺麗な晴天だ。
「ねぇジャラ。あっちに向かって行くわけじゃないよね?」
「いや、大丈夫だよ。あっちはモロンダバと逆方向だから、そっちじゃない。」
ジャラが指差す方向には雲一つない晴天が広がっていた。
「良かった。この暑さのあと昨日みたいな雨に振られたら辛すぎる。」
二度と雨に振られたくない。太陽だけなら太陽だけにしてくれ。
僕はそんな思いを抱えて再びバイクに跨った。
時刻は14時を回ったところである。アンツィラベを出発して既に8時間が経過していた。
一本道の両側には終わりの見えない地平線が広がっている―
分かれ道。そっちに行くんかい
「長い一本道を抜け二股に分かれる道に差し掛かった―」
少し進んだ先に現れた街を抜けると一本道は終わりを告げた。
それは、少しずつモロンダバに近づいているんだという手応えを僕らに与えている。
そして、二股に別れた道をジャラは「左手」に折れていく。右手には数時間前に見た暗雲が今もなお漂っていた。
僕らが向かう方向は雲一つない晴天の方だ。
しかし、少し行ったところでジャラがバイクを止め後ろに切り返し街に戻り始めたのだ。
後ろに跨っている僕はただその様子を後ろから見守るしかない。なんだか不安である。
「モロンダバってどっちだっけ?」
街に戻ったあと、ジャラは路上で小物を販売しているおばちゃんに語りかける。
「その分かれ道を右に行くんだよ。」
そのおばちゃんが指した方向の空は"この世の終わりかのように"雲が下界を包みこんでいた。
「ありがとう。」
ジャラはそう言うと、何も言わずに分かれ道まで行きドス黒い空の真下に向けてハンドルを切り出した。
時速80キロは出ていただろう。
「そっち行くんかいっ!」
僕は心でそう突っ込みながら、ジャラの背中を思いっきり二回叩いた。
頑張るぞ。モロンダバまであと100キロくらいだ―
野暮なことは言わないよ
しばらく続いた晴天に少しずつ雲が覆いかぶさっていく。
街を抜けた僕らは、見るからに大雨が振っているだろう空の下へバイクを走らせていた。
ここまで来たならもう笑うしかない。
雨に包まれるのは時間の問題だ。
この旅、最後にして最大のボスに挑もうじゃないか―
「カッパ着せて。」なんて野暮なことは言わない。
おそらく、あと何十キロ進むと大粒の雨が降り出すだろう。そう分かっていても「カッパ着たいから止めて」と僕はジャラに言えなかった。
言えなかったというよりは言わなかった。
二人で作り上げてきてこの旅は最終局面を迎えており、無心で走り続け進んでいく二人の影を止めるのは"なんとも野暮"な気がしたからだ。
「この勢いのまま突っ込もう。」そんな気持ちが僕を包む。
ジャラはカッパは持っていない。僕も一緒にびしょ濡れになってやる。そんな思いだった。旅は道連れなのだ。
「バシバシ」
気にせずいったれ。そんな気持ちを込めてジャラの背中をこの旅一番の力で叩く。
「トントン」
相変わらずジャラは優しく僕の左膝を叩き合図をしてくれる。
「大丈夫。大丈夫。」
よし。最終局面に差し掛かったぞ。時刻は16時を回り既に出発から10時間が経過していた。
振り絞る気力に比例するように吹き出す汗が吹き出す。
その汗を拭うことなく、僕らはこの世のものとは思えない雨雲へとスピードを出して向かって行く―
降り出す雨もやけに楽しい
「タケ。カッパを着るんだ。」
一緒にびしょ濡れになることを勝手に覚悟していた僕に、ジャラはバイクを停めてカッパを切るように促してくれた。
これまでのペースではまだ休憩する時間ではなかったが、これ以上行くと雨に包まれるという絶妙なタイミングで彼はバイクを停めてくれたのだ。
さっきまでの【一緒に濡れてやる】という勢いを隅に追いやり、僕はカッパを着込む。
「ありがとう。ジャラ。」
そう言いながら、僕はなんだか助かったような気持ちになっていた。
あんな雨を一身に浴びるなんてきついよな。こんな状況で。
優しさにすぐに折れてしまう男気に我ながら笑ってしまいたくなる。
「僕なら大丈夫だから。」
カッパを着た僕にそんな風に優しく微笑み掛けてジャラはバイクに跨る。
「バシバシ」
1時間前に叩いたよりも更に強い力でジャラの背中を叩く。
その両手には言葉では言い表せないほどの様々な思いが入り混じっていた―
雨に狂い出す二人
「ヒューー!ハレルヤァァア!」
案の定降り出した雨に向かって、僕らは叫びちらしながら進んでいた。
ババババババー。
ポツポツと降り出したと思った雨は、短すぎる助走のあと痛みを伴うほどの勢いで僕らの上に降り出していた。
昨日の雨の辛さを思い出すと絶望に包まれてしまうかなと思っていたが、そんな気持ちとは裏腹に僕らは雄叫びを上げていた。
「おおおおおーーーーーー!」
既に体力は限界に近づいていたからだろう。
「いくぞーーー!あと少しだ!やっほー!」
どうしようも無くなれば人はどんなことだって笑えるのかもしれない。
不思議なもので、二人で声を上げていると"最悪な雨も楽しく"感じてきてしまう。
旅の終盤に再び訪れた一本道で、僕らは雨を味方につけ底につきかけた体力を振り絞り前に進んでいく―
650キロの紙芝居
残り60キロ。僕らの体力は本当に限界を迎えようとしていた―
最悪で最低で最高な土砂降りを僕らは30分程で抜けきった。
雨にテンションを狂わされたからか。力強い豪雨に前借りした体力はその道を抜けた途端に僕らのなけなしの力を奪っていく。
その証拠にこれまで安全運転を続けてくれていたジャラの運転が荒くなってきた。
凸凹で穴が空きまくっている道のりを600キロ近く走ってきことを考えると、当然のことかもしれない。
道路に空いた穴やスピード防止の凹凸に気づくのが遅くなり、急な減速が増えてくる。
気を紛らわせるためか、これまで一度もなかった無駄な蛇行運転も増えてきた。
明らかに集中力が切れている。
「ありがとうジャラ。本当に頑張った。あと少し。あと少し。」
僕はそんな気持ちを込めて、ジャラの背中を両手で強く叩く。
「ハレルヤ!」
その衝撃に合わせて、ジャラも左手を上げ叫びながら自分を振り立たせる。
いや、僕ら二人を奮い立たせるように声を張り上げていた。
「ハレルヤ!」
僕も後ろから大きな声で、僕ら二人を鼓舞する。
遂に手の届く範囲に来たんだ。あと少し。倒れることなく二人で進むぞ。
僕らは大変な道のりを一緒に超えてきたのだ。あと少し―
体力の限界
気がづけば日は傾き一日の終わりへ向け、ゆっくりと世界の色を変えていた―
残り60キロ。
僕らは最初こそ声を張り上げ鼓舞し合っていたが、徐々に声が少なくなっていた。
これまでの行動を無意識に継続してしまうかのように、二人を乗せたバイクはただ前に進んでいくだけだ。
「ブォォオオオン。」
何か元気が出る言葉を発したくても声が出ない―
ただ、"後ろに捕まっているだけの僕"がその状態になっていたのだ。
心のなかで「頑張れ。頑張れ。」と祈ることしかできなかった。
それでも、徐々にこの旅が終盤に差し掛かっていることだけが分かる。
「頑張れ。頑張れ。」
自分に言っているのか、ジャラに言っているのか分からない。
「頑張れ。頑張れ。」
ただ、心のなかで唱え続けるしかなかった。
体力は既に底をついていた。
「ゴールはあと少し」そんな思いだけが僕らを走らせていたような気がする―
左手にそびえ立つバオバブ
「タケ。あれがバオバブの木だよ―」
ジャラの声と同時に1キロ程先に、明らかにこれまで見てきた木とは違う一本の木が道の左側にそびえ立っていた。
「逆さまだ」
真上に真っ直ぐ伸びる太い幹には枝葉はひとつもない。樹冠からのみ、地面と水平に歪な枝葉が伸びていた。その様子は遠くから見ても分かるようだった。
「バオバブの木が遂に見えた―」650キロの道のりもあと少し。
バオバブの木の姿は、この長い道のりに果が近づいていることを教えてくれているようで変な感情が込み上げてきた。
「あと少し。行こうジャラ。行くんだ。あと少しだ。」
その言葉を聞いて、ジャラが右ハンドルをフルスロットで回し始める。
”ぐんぐん"とバオバブの木が大きくなってくる。遠くで見ていたときよりも大きく。更に大きく。
50メートル手前で急にジャラが原付を減速し始めた。粋な計らいだ。
ゆっくり近づいてくるバオバブは、僕らにこの旅の終わりを告げるようだった。
眼の前の空は、僕らと共に最後の力を振り絞りながら赤く世界を包みこんでいる。
「やっとだ。やっと辿り着いた。やっとだよジャラ―」
徐々に近づいていく。バオバブを目の前に僕の中に色々な思いが駆け巡る。
やがて、減速を続けるバイクはバオバブの真下で停車した。
天から何かを受け取るかのように樹冠から伸びている枝葉を見上げると、これまでの道のりが頭の中を駆け巡っていくような気がした。
【まるで650キロの紙芝居を見ているようだった―】
似たような景色はあっても、同じ景色は何一つとしてなかった。
その景色一つ一つに、僕たち二人の感情が乗り移って鮮明に浮かんでくる。
言葉が通じないマダガスカル人との650キロの旅は、言葉が必要のない紙芝居のように、鮮やかな色彩で何かを僕に伝えているようだった。
ジャラも同じことを感じているだろうか。
「ハレルヤ」
体力を振り絞り声を張り上げて、あと数キロで辿り着くモロンダバの中心地へまた走り出していく。
僕らの"長い長い650キロの紙芝居"はあと少しで完成するのだ―
◆次回
【果に辿り着くバオバブ街道は何か語りかけてくれるのか。本当に意味があるものとは―】