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ステージに立つ前には、いつも君に感謝していますー小松未歩「君のなせるワザ」
はじめに
こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。
ふとしたことで小松未歩をはじめとしたbeingアーティストたちの曲への愛が一気に湧き出し、この溢れ出す気持ちを言葉にしなければ!という思いで記事を書いています。
私は2000年ごろ10代で、現在は30代。10代のころ好きになって何百回も聴いていた曲も、いま改めて聴くと以前とはだいぶ違った感じに聴こえてきます。私の場合は歌詞の「物語性」に特に着目しており、この曲はいったいどういう物語を描いたものなのか歌詞を解釈していくことが当時からすごく好きでした。20年の人生経験を経て、一つの曲の解釈がどのように変わっていったのか。その変化をお楽しみいただければと思います。
今回は小松未歩「君のなせるワザ」(2005年)についてお話しします。
16年前の解釈:君は僕を包み込んでくれる女神のような存在
私はこの曲は男性視点で歌った曲だと思っています。小松未歩が男性視点で歌うとき、「僕」は個性的で熱い想いを持っているけど不器用でまわりにあまり理解されない「弱い人」として描かれることが多いように感じます。「本気だと 誰かを傷つけてしまうほど 溢れ出すパワーを操れず ただ一人孤立してた」という歌詞は、まさにそんなイメージ。
その姿は、まるで当時の私自身を描いたかのように感じていました。私(筆者)は当時、大学生。まだまだトガって友人も少なかった時期。それでも、いつか自分のことを理解して包み込んでくれる女神のような女性が現れるんじゃないか、と夢想していました。
そんな弱く「理想に追いつけないこの僕を君が補ってくれ」て、いつしか自分の持つパワーが夢の実現へとつながるようになっていくのです。この曲を歌っている時点では、「溢れ出すパワーを操れずただ一人孤立してた」のは過去の話。いまでは、「笑えないくらいのプレッシャーに本当は押し潰されそう」なくらいの大舞台に立てるようになっているわけです。
そんな舞台に立つ前には、いつも「君の笑顔を想う」。「いつも僕にありがとう」。不器用なところは変わってないけれど、僕なりのすべてで感謝の気持ちを君に伝えるよーー。
ああ、なんて素敵な物語。私もこんな恋がしたい! 誰か、私をみつけて!! そんなことを妄想してたのが当時の私でした。
現在の解釈:成長は「本気の対話」の中で得られる
さて、その後、どうなったか。この曲がリリースされた後しばらくして私にも念願の恋人ができたのですが、その人が私の全てを包み込んでくれる、なんてことはありませんでした。
実際に付き合ってから行われたのは、(今から振り返ると)対話による相互理解の連続でした。付き合い初めの時は共通点ばかりに目がいってしまい、「この人こそ、私のもう半分だ!」なんて思い込んでしまうんですが、当然ながら相手は別の人格を持った生き物であり、しばらくするとお互いの価値観の違いに気づいてきます。そこからが相互理解のスタート。相手がどのように思っているのか、どのようなことが好きでどのようなことが嫌いなのかを真剣に考えるようになります。
もちろん同性同士の友人関係でも相互理解を通じた成長はあるのですが、(異性愛者であれば)同性の友人にはそこまで多くを求めないのではないかと思います。恋愛関係(を期待する相手)だからこそ、より相手のことを知りたいと思い、相手に映る自分を見つめ直そうとする。その過程で成長が得られることが多いのではないかと思います。
当時、はじめての恋人ができてから、私は周囲の友人から「丸くなった」とよく言われました。当時はあまり自覚できませんでしたが、恋人と向き合うなかで私はコミュニケーションの仕方を学び、他の人との接し方も変わっていったのでした。
では、「本気の対話」をした異性ははじめてできた恋人が最初だったかというと、そうではなく、実はこの前に2人いました。ひとりは高校時代の喧嘩友達。そしてもうひとりは、中学生時代に「小松未歩」をきっかけに知り合った文通相手だったのです!
20世紀の終わり、私が中学生のころ、大好きだった小松未歩の曲について語れる友人がほとんどいなかった(というかそもそも友人が少なかった)私は、ダイヤルアップ接続でインターネットにつなぐと、小松未歩の非公式ファンサイトをいくつも見つけます。ああ、なんて素晴らしい!広い日本には小松未歩を愛する人がこんなにもたくさんいるんだ!
掲示板(BBSと呼ばれていました)も本当に楽しいものでした。まずアクセスして書き込みを見たら、いったんネット回線を切って、それから自分は何を書くかゆっくり考えます。そして、テキストを打ち終わってからまたネットを繋げるのです(繋ぎっぱなしだと電話代嵩みますからね)。返事が返ってくるのはたいてい数日後。たまにタイミングよく同日中に返ってくるとすごく嬉しかったりしました。
話が盛り上がった何人かの方とは、個別にメールでのやりとりを行うこともあり、さらに仲良くなって文通や電話をするようになった方もいました。その中で、ひとりの歳の近い女性との文通や電話での付き合いは、実に5年も続きました。
この曲がリリースされる2005年ごろ、その方との音信は途絶えてしまいます。ちょうど私も恋人ができ、その方への関心も薄れていった頃。さびしく思いつつも、向こうも恋人でもできたのかなぁ、なんて思っていました。それからも小松未歩の曲を聴くとき、ときどきその方も思い出しますが、だんだんとその頻度は落ちていきました。
しかし、それから16年ほどたったつい最近、奇跡のような偶然が起こり、私はその方と再会することができました。そして、再会の嬉しさとともに当時の思い出と小松未歩への愛が一気に溢れ出してきました。
再会の際に、当時のお礼に贈った歌が、「君のなせるワザ」です。「今でもふと思うの もしあの日 扉開けてなければ 僕は何をしてたろう 胸に燻る炎を抱えて」というのは、あの頃の私にぴったりだなあ、と。今でもふと思います。もしあの日、インターネットの扉を開けて小松未歩ファンを探しに行かなければ。胸に燻るこの熱い想い(小松未歩への愛)を表現する場がなく、悶々としていただろうことを。
そして、それは小松未歩だけの話に留まりません。すごくトガっていた私。小学校高学年の頃にクラスで孤立していたときは、先生に親とともに呼び出されて「もっとクラスメイトの気持ちを考えなさい」などと叱られたこともありました。空気を読むのが苦手で、(当時はその名があまり認知されていませんでしたが)「発達障害」のような素行も多かったように思います。そんな私が変わっていく最初のきっかけは何だったのか。それはこの文通相手との対話にあったのです。
表現したい熱い思いは常にあった私。でも、不器用でそれをうまく表現できる方法も、伝える相手も持っていなかった私。そんな私に初めて本気で向き合ってくれた女性が彼女でした。いま振り返れば、対話を通じた相互理解へのチャレンジはこのときがはじめて。剥き出しの言葉が彼女を傷つけたことはおそらく何度もあったでしょうし、何百回もメールや手紙、電話で言葉を重ねてもなお、今振り返れば彼女の1%ほども理解できた自信はありません。それでも、彼女との対話の中で、私は確実に成長していたのです。そして、それは一方通行でなく、彼女にとっても当時の私との対話が糧になっていたーー16年を経てそのことを教えてくれたときは本当に嬉しかったです。
さて「君のなせるワザ」の話に戻りましょう。不器用だった私は、いくつもの出会いを経て成長し、次第にどうすれば言葉が力を持つのかを理解するようになります。あのときは胸に燻っていただけの炎も、いまでは形を伴って多くの人に届けることができるようになりました。20年前では想像すらできなかった大きな舞台に立たせていただくこともあり、「笑えないくらいのプレッシャーに本当は押し潰されそう」になるときもあります。そんなときに思い出すのは、いままでたくさんの成長の機会をいただいた、私の大切な方達です。一番影響が大きいのはなんといっても付き合いが一番長い、現在の妻でしょう。一番最初の方は、小松未歩を通じて知り合った文通相手。この他、男性も含め何人もの大切な方、そしてそれら全てのきっかけとなった小松未歩を思い出し、感謝の気持ちを持ちながらステージに立つのです。この場で最高のパフォーマンスをすることが、その方々から頂いたものに答えることになるのだから。
私の全てを包み込んでくれる人は現れませんでした。けれど、私(の一部)を好きになってくれて、私と向き合ってくれた大切な方達のおかげで、今の私があります。16年前から少しだけ意味を変えて、今も私はこの曲からパワーをもらっています。
おわりに
歌詞の解釈に正解はありません。私の解釈もその一つに過ぎず、どういう解釈をするかは自由ですが、私の場合は、時間を経て経験を経て同じ曲が違ったものとして聴こえてくるその変化がとても面白いのです。また音楽ともに過ごした時間に私自身が変化していったことも。
ひとりでもふたりでもこういう話を面白いと思ってくれる人がいたら、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。
それでは、また。