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同じ歌詞なのにまったく別の意味!ーー小松未歩「青い空に出逢えた」

はじめに

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。

ふとしたことで小松未歩をはじめとしたbeingアーティストたちの曲への愛が一気に湧き出し、この溢れ出す気持ちを言葉にしなければ!という思いで記事を書いています。

私は2000年ごろ10代で、現在は30代。10代のころ好きになって何百回も聴いていた曲も、いま改めて聴くと以前とはだいぶ違った感じに聴こえてきます。私の場合は歌詞の「物語性」に特に着目しており、この曲はいったいどういう物語を描いたものなのか歌詞を解釈していくことが当時からすごく好きでした。20年の人生経験を経て、一つの曲の解釈がどのように変わっていったのか。その変化をお楽しみいただければと思います。

今回は、小松未歩の「青い空に出逢えた」(1997年)を紹介いたします。

約20年前の解釈:青い空を見てたら、恋愛観への「こだわり」が消えていく

この曲は、私が歌詞解釈の楽しさにハマることとなったきっかけとなる1曲です。

この曲、1番は彼に会うことの喜びを歌っているけど、2番は別れのシーンを歌っているよう。シーンがだいぶ違うのに、1番とラストでサビの歌詞はまったく同じ。
「青い空に出逢えた どんな時も同じ方向(みち)を見つめていたい 最後まであきらめないで 夢のかけら集めて七色に輝かせて Ahh 探してた答えは きっとそこにあるから」
このまったく同じ歌詞は、実は1番とラストでまったく違う意味を持っているのではないか?
と考え出したのがおよそ20年前、中学生時代の私でした。

1番の歌詞は、まだ恋が順調であなたとともに夢へと向かっていた時期。
このときの「青い空に出逢えた」というのは、おそらく二人で同じ空を見上げて「私の目指すべき夢を見つけた!」というような意味だと思います。
このとき、二人は同じ「道」の上にいて(人生をともに歩んでいて)、かつ同じ「方向」(目指すべき夢の方向)を向いています。
「最後まで諦めないで夢のかけら集めて七色に輝かせて Ahh探してた答えはきっとそこにあるから」は自分たちで夢を掴もう、答えを見つけよう!と自分達を鼓舞するものなのだと思います。

しかし、2番の歌詞では物語が大きく展開します。
「本当は少し胸がいたい 何かが少しズレた 今日の果てにはいったいどんな 明日を手にするの」というのは、夢を目指すため、二人が別れる決断をしたあとの歌い手の気持ちを表しているのだと思います。
彼の夢を応援したい、彼には夢を追っていてほしい。でも自分にもやりたいことがある。だから別れるのは仕方ないことだけれど、でも本当は少し胸が痛い。あなたのいない未来がどんなものになるのかまだなかなかイメージがつかない。
「雑踏に紛れた彼がにじんでいく」は、いよいよ自分と彼との恋愛関係が消えてなくなっていく様を表しているのだと思います。そうなって改めて「もっと近くもっと側にあなたを感じていたかった」と思うのでした。

2番サビは彼と別れてしばらく経ってから一人で青い空を眺めながら心境を歌います。
「憧れてた未来(とき)のこだわりが消えていく」というのは、二人がいっしょにいながら自分の夢を追い続けるのが憧れていた自分の恋愛観だった。それをそんな「恋愛観のこだわり」なんて持たずに、あなたについていく未来を選んでもよかったのかもなあ、という思いを歌っているのではないかと思いました。

「せいいっぱい愛した でもあなたの夢についてはゆけなかった」。別々の人生を選んでも。互いの夢を思う気持ちはいまも同じ。

だから、ラストのサビでは、二人は違う「道」(違う人生)を歩んでいるけど、でも互いの夢の実現を願うという意味では同じ「方向」を向いている。1番のサビでは道=方向だったのですが、ラストのサビでは道と方向は違う。だから「方向」と書いて「みち」と読む歌詞になっていたのです!!
「最後まであきらめないで 夢のかけら集めて七色に輝かせて Ahh 探してた答えは きっとそこにあるから」も今度は彼には送るメッセージへと変わっている。私とともに歩むことはできないけど、でも夢は最後まであきらめないで。探してた答えはきっとそこにあるから…という。

と、ここまで読み解いた当時の私は、同じ歌詞でまったく別の意味! こんな曲を書いた小松未歩ってとってもスゴイ! 歌詞の解釈をするってすごく面白い。小松未歩の描いた世界をもっともっと知りたい!! と歌詞解釈の沼にのめり込んでいくことになります。

現在の解釈:青い空を見てたら、「彼とともに生きること」へのこだわりが消えていく

さてさてそれから約20年が経ちました。付き合っていた二人がお互いの夢を選んで別れるというこの曲の大筋の解釈は今も変わらないのですが、大人になって解釈が変わったところが少しあります。

それは「こだわり」が消えていったのは、恋愛観の方ではなく「彼とともに生きること」の方なのではないか、ということです。

中学生の頃は、この曲、「彼と一緒にいたかったのになんで自分はなんで彼の夢についていけなかった(いかなかった)んだろう」という後悔の歌だと思っていました。でも、大人になるにつれ小松未歩の楽曲数が増えるにつれ、小松未歩は恋と夢なら夢を選ぶ、自分も恋人も夢を追っていてほしい、という価値観の下で描かれている曲がすごく多いことに気づいていきます。その価値観を前提とすると、この曲、もうちょっと違った解釈ができるのではないかと思えてきたのです。

「青い空を見てたら 憧れてた未来(とき)のこだわりが消えていく」というのは、自分の恋愛観へのこだわりが消えていくのではなくて、「彼とともに生きる」ことへのこだわりが消えていっているのではないかと現在の私は解釈しています。

彼の活躍する姿を見てたら、そのとなりに私がいなくても、それはそれで素晴らしいことだと思えてくる。一緒に生きようと思ったらどちらかの夢を犠牲にしなければならないかもしれず、そうしてまでも一緒にいるよりは、別々の人生を歩んでもそれぞれ夢を目指すほうが二人にとってよいことなんじゃないだろうか、という感じです。

「今ではそれぞれ違う道を歩き出した二人に同じだけ愛が見える」というのは別々の道を歩んでも、互いの夢を叶えてほしいという価値観を彼と今も共有できていることを示すものだと思います。だからこそ「同じだけ愛が見える」のでしょう。

一緒にいないことも愛の形。でもやっぱり心としてはあなたのそばにいてあなたを感じていたいという気持ちもあるから、こうした想いが歌になって出てくる、そう思うとこの曲をいっそう味わい深く感じるのでした。

おわりに

歌詞の解釈に正解はありません。私の解釈もその一つに過ぎず、どういう解釈をするかは自由ですが、私の場合は、時間を経て経験を経て同じ曲が違ったものとして聴こえてくるその変化がとても面白いのです。また音楽ともに過ごした時間に私自身が変化していったことも。
ひとりでもふたりでもこういう話を面白いと思ってくれる人がいたら、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。