向日葵畑で大好きだった兄への想いが込み上げる~小松未歩「向日葵の小径」
こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。
今回は9月20日(水)22:30~23:30に開催予定の #向日葵ナイト に向けて小松未歩「向日葵の小径」(2005年)について書きます。
「ひ~とつ前の駅まで」「ひ~まわりはどんなときも」という感じの音を伸ばすような歌い方が幼さを感じさせるこの曲。悲しい別れの歌のはずなのに、幻想的なふんわりとした雰囲気に、どこか懐かしさやあたたかさも感じてきます。
私はこの曲に、歳の離れた兄に抱いた恋心を連想してみました。
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とっても優しかったお兄ちゃん。
私の言うことは何でも聞いてくれて、夏休みにはたくさん遊びに連れて行ってくれた。
「大きくなったらお兄ちゃんと結婚する!」って言ったら、いつも優しく笑いかけてくれた。
でも、私が高校生に入学するころ、お兄ちゃんは、結婚して実家から出て行ってしまった。
お兄ちゃんの新居は同じ県内。
ついふらりと電車に乗って、お兄ちゃんに会いに行こうと思ったけれど、でも、せっかくの新婚生活を邪魔しちゃいけないと思って、新居のある駅では降りずに、一つ前の駅まで引き返してしまった。
この駅から少し歩いたところにある「向日葵の小径」は、夏休みに何度も連れて行ってくれたお気に入りの場所だった。
お兄ちゃんは、どんなときも太陽へと伸びてく向日葵の姿が、私に似て、「好きだ」と言ってくれた。
でも、それは早くお兄ちゃんに早く追いつきたくて、必死になってたからなんだ。お兄ちゃんの通っていた高校に私も行きたくって、勉強も運動も頑張った。
でも、もうお兄ちゃんはあの人と一緒に暮らしている。
影ぼうしが揺れる歩道が涙でにじむ。
この幼い恋心を早く捨てなきゃいけない。そんなことは分かってる。
でも、「綺麗だ」とつぶやくお兄ちゃんの声が心に響いてやまない。
まだ愛してる。どうかもう少しだけ、この気持ちのまま、いさせて。
夏の終わり、向日葵の小径の真ん中で、日が暮れるまで私は立ち尽くしていた。
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こんな感じでいかがでしょう?
それでは、ご都合がつく方は、9月20日(水)22:30~23:30にお会いしましょう。