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旅立った憧れの先輩に、一歩踏み出す勇気をもらうー小松未歩「翼はなくても」
はじめに
こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。
ふとしたことで小松未歩をはじめとしたbeingアーティストたちの曲への愛が一気に湧き出し、この溢れ出す気持ちを言葉にしなければ!という思いで記事を書いています。
私は2000年ごろ10代で、現在は30代。10代のころ好きになって何百回も聴いていた曲も、いま改めて聴くと以前とはだいぶ違った感じに聴こえてきます。私の場合は歌詞の「物語性」に特に着目しており、この曲はいったいどういう物語を描いたものなのか歌詞を解釈していくことが当時からすごく好きでした。20年の人生経験を経て、一つの曲の解釈がどのように変わっていったのか。その変化をお楽しみいただければと思います。
今回は、小松未歩の「翼はなくても」(2003年)を紹介いたします。
18年前の解釈:傷だらけで旅立った先輩を想って
この曲は優しい曲調なのに、「足跡を色濃く落とし幕を閉じた傷だらけの君」と強烈な言葉から歌い出します。
「幕を閉じた」ことを死んだものと解釈することもできますが、私としてはいまいたところから新しい場所へと旅立ったものと解釈しました。ちょうどこの曲がリリースされた当時私は高校生だったこともあり、この曲は高校を舞台に、卒業して旅立つ先輩への想いを残された後輩が歌っている曲として聴いていました。
「幕を閉じた傷だらけの君」と表現しているところから、先輩は高校ではあまり評価されておらず、むしろ悪く言われていたことの方が多かったのでしょう。しかし、傷だらけになりながらも夢へのきっかけをつかみ、旅立っていこうとしている。そんな先輩の姿を見ると、卒業する先輩よりも「残された僕らの方が思い出をまだ引きずって」しまいます。先輩のように僕(ら)もと、「勇み立つ」気持ちもあるものの、「でも今は」先輩を「つなぎとめた」いと思ってしまいます。
「翼はなくても 飛び立てる」というのは困難な状況や条件の中でも、夢に挑みそのきっかけを掴むことができた先輩の姿を表しているのでしょう。「僕らが住むこの世界はただ褪せて見えた」というのは、僕らが気にしていた「高校という狭い世界」が色褪せて見えた、世界はもっと広いんだということを気づかせてくれたということだと思います。だから、視野をもっと広げれば、僕らにも、そして先輩にも「光輝く未来 待ち構えてる」と思えるのです。
2番は先輩がいなくなったあとの高校にて。先輩はいま何をしてるだろうと空を見つめるガラス窓に映る自分の姿には「誰にも見せない素顔がある」。先輩がいなくなって、本当の孤独を味わう僕。あのときこうしていればと思うこともあるけれど、でも僕(ら)も先輩のように「生きてる証をこの時代に示してゆきたい」。「ささやかな夢と笑う」のは、きっと高校時代に先輩が理解されなかったこと。いつかきっと先輩は夢を叶えて、そのひとたちを見返してほしい。そしてそれは僕も同じ。「いつか必ず大空舞う鳥になる」。
そうはいってもまだ僕には飛び立つ勇気が持てない。「風の便りを僕らはまだ 残された世界で待ってる」けれど、でも、先輩のように、いつか必ず僕も飛び立ってみるんだ。「迷い、立ち止まる日々も力に変えて」ーー、と、こんな具合です。
この曲を聴きながら、こんなカッコいい先輩、いたらいいななんて思っていたのが私の高校時代でした。
現在の解釈:恋というよりは憧れだったのかも
あれから18年。最近になって友人に教えてもらったことがあります。それは、高校時代に私(筆者)に想いを寄せていた後輩がいたこと。
高校時代、私はすごくトガって目立っていました。奇抜な方法を取りながらも果敢に挑戦する姿を好意的に見てくれる先生も何人かいましたが、多くの在校生からは変りモノとして見られていました。一般的に異性に想いを打ち明けるのは勇気がいるものですが、周りからの評価が常に気になる思春期の頃にそんな変わりモノに想いを打ち明けるのは、よりいっそう勇気が必要。想いを胸に秘めたまま卒業を迎えてしまうのも頷けるところです。
その後輩の視点から高校時代の私を眺めたら、ちょうどこの「翼はなくても」の曲のようだったかなと思います。傷だらけになりながらもチャレンジした先輩の姿に憧れを持ちつつも、まだ「残された世界」から飛び立つことに何度も迷い立ち止まってしまう。自身の弱さも自覚しつつも、先輩の姿に勇気をもらい、なんとか一歩を踏み出そうとする。そんな歌に感じました。
それは「恋」だったのかもしれないし、「憧れ」のようなものだったのかもしれません。リリース当時私は小松未歩の曲はほとんど全てラブソングだと思っていたのですが、20年ほど経ってみるとそこには「憧れ」や「友情」だったりいろんな感情が混ざり合っていることを感じます。
こんな私に憧れてくれた後輩がいたのだと思うと、やっぱりちょっと嬉しいです。もし後輩が想いを打ち明けてくれたら、当時どれほど私に自信がついただろうとも思いますが、自分の夢を追うのに必死だった中、うまく付き合えた自信はまったくありません。憧れの気持ちのまま、後輩の勇気の素になってくれているのであれば、それはそれで私としても幸せなことです。
おわりに
歌詞の解釈に正解はありません。私の解釈もその一つに過ぎず、どういう解釈をするかは自由ですが、私の場合は、時間を経て経験を経て同じ曲が違ったものとして聴こえてくるその変化がとても面白いのです。また音楽ともに過ごした時間に私自身が変化していったことも。
ひとりでもふたりでもこういう話を面白いと思ってくれる人がいたら、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。