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現実を受け入れるしかないことは分かっているけれどー小松未歩「dance」
はじめに
こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。
ふとしたことで小松未歩をはじめとしたbeingアーティストたちの曲への愛が一気に湧き出し、この溢れ出す気持ちを言葉にしなければ!という思いで記事を書いています。
私は2000年ごろ10代で、現在は30代。10代のころ好きになって何百回も聴いていた曲も、いま改めて聴くと以前とはだいぶ違った感じに聴こえてきます。私の場合は歌詞の「物語性」に特に着目しており、この曲はいったいどういう物語を描いたものなのか歌詞を解釈していくことが当時からすごく好きでした。20年の人生経験を経て、一つの曲の解釈がどのように変わっていったのか。その変化をお楽しみいただければと思います。
ここ最近、いろんなアーティストの楽曲について書いていましたが、今回は初心に帰って(?)小松未歩から「dance」(2002年)を紹介します。
19年前の解釈:恋人が去ってしまった喪失感を踊って紛らわせたい
この曲の歌詞はすごく解釈しやすかったものと思います。恋人が去ってしまった喪失感を踊って紛らわせようとする曲ですよね。歌い手の一人称は「僕」ですが、ダンスホールでしきりに「ここから出よう」と声をかけられていることやプロモーションビデオの踊る姿のイメージから、歌い手は女性とみていいでしょう。
「不可能を可能にできると信じてここまで来れたのは君が傍にいたから」。だから「旅立つその日に僕も消える」、僕に「必要なすべては君が持ってたから」。
いま、「ここから出よう」と言われたらその人についていってしまいそうな気もするけれど、この喪失感をそうやって埋めてしまってはだめ。「だから今夜は踊り続けていたいの」ーー。という感じです。
現在の解釈:君が旅立つ理由も本当はよく分かっている
あれから19年が経ち、曲の大筋の解釈は変わらないのですが、長く小松未歩の楽曲を聴き込むにつれ、見えるものが増えてきました。
まず鍵となるのは、小松未歩の楽曲には「自分も夢を追い、恋人にも夢を追っていてほしい」という価値観が描かれていることがとても多いこと。この曲もその価値観の下で描かれているように思えます。
すると、恋人が旅立った理由は夢を追うため。おそらく国内では飽き足らず海外で挑戦するというような感じなのでしょう。君にそういう野心があることを僕は十分わかっていた。分かっていたのに「今日という日が来るとも知らず ハンパな気持ちで毎日を過ごしてた」ことが悔やまれるのです。
君の旅立ちは「あまりにも強い決意だと分かって」、自分が止めるわけにはいかない。現実を受け入れるしかないのだけれども、まだどうしても気持ちの整理がつかない。「だから今夜は踊り続けていたいの」。「突きつけられた現実を溶かしたい」というのは現実から逃げるのでも立ち向かうのでもなく、ただただそれを消化し受け入れるための気持ちの整理をしたい、ということなのだと思います。そう、やりきれない気持ちを歌いつつももう実は答えは出ているのです。
おわりに:HBさんに感謝
noteでフォローさせていただいている「HB」さんが、小松未歩の楽曲について「なぜって問いかけてるけどホントはすでに受け入れていて仕方ないなって諦めてるとこが共感ポイント」(※)と書いており、ああ、その通りだなとすっと腹に落ち、そういえばこの感覚、danceにも描かれていたなあと思い出したのでした。
(※)HBさん「自己顕示欲の否定 -self_introduction-」より
歌詞の解釈に正解はないのですが、20年聴き込んでくると、それぞれのファンが楽曲の世界観を作り込んだおり、それぞれどのように解釈したのかを知るのはとても楽しいです。お互いの解釈を知ることにより、20年経ってもまだまだ新しい発見があるところもすごく面白いです。まだまだこの曲、私の知らない一面が残されているかも。あなたはどのようにこの曲を聴いていましたでしょうか。ひとりでもふたりでもこういう話を面白いと思ってくれる人がいたら、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。