中森明菜が「北ウイング」から向かったのはロンドンか、それともサンフランシスコか?
私ごとですが、コロナ以来久しぶりに海外に行ってきました。もうすぐ到着、高度が下がってきたときに窓から見えてきたのは、霧の街。
もしかして、私が乗ってきた飛行機は、あの曲の世界観だったんじゃないの?
…ということで、今回は、中森明菜「北ウイング」(1984年、作詞は康珍化)の歌詞解釈を紹介します。
まずは背景から
インターネットなどない時代。国際電話は目が飛び出るほど高く、主な連絡手段は片道1〜2週間もかかるエアメール。1980年代、海の向こうは今より遥かに遠く感じられ、彼との関係も「いちどは諦めた」ものの、「不思議な力」に導かれるようにして、この曲のヒロインはひとり旅立つ決意をしました。
タイトルとなっている「北ウイング」は、成田空港の(現在の第1ターミナルの)出発口のひとつです。「北ウイング」を前にいよいよ旅立つんだ、という気持ちが盛り上がってきますよね。
では、いったいヒロインは成田からどの都市に向かったのでしょう。その一番のヒントは、「あなたが住む霧の街が雲の下にあるのね」という歌詞にあります。霧の街として有名な主な都市としては、ロンドン、サンフランシスコ、香港あたりになります。
このうち、香港は5時間ほどで着いてしまうことと、時差が1時間しかないことから、あまりこの曲に合っていないように思います。残りのロンドン説とサンフランシスコ説のそれぞれで歌詞解釈をしてみます。
ロンドン説: 苦しいだけの昨日が終わり、新しい1日が始まる
「今夜ひとり旅立つ」「都会(まち)の明かり小さくなる」と歌っていることから成田を旅立った時点では夜です。
ロンドンに向かった場合、時間は東京から9時間戻ります。1984年当時は、ソ連上空を通ることができなかったため、アンカレッジ経由で実に18時間かけてロンドンに向かう便があったそうです。
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冬の時期であれば21時に成田を出発してから、経由地のアンカレッジを含めても旅の最中は18時間の長い夜。「あなたの住む霧の街」がどんなものか、「見知らぬ空」を思い描いて「夢の中」をさまよう「夢色の夜間飛行」。気持ちはどれだけ高まることでしょう。
ロンドンに向かった場合は、「日付が塗り替えていく 苦しいだけのきのうを」というのは、あなたに会えずに苦しいだけだった「きのう」が終わり、長い夜を経ていよいよ新しい1日が始まる、という感じになるのでしょう。
サンフランシスコ説:あなたに会えて過去が書き変えられていく
では、成田からサンフランシスコに向かった場合はどうなるのでしょう。こちらは、1984年当時から直行便が出ていました。
この場合、東京との時差は-17時間。17時過ぎに成田を出たら、10時間弱のフライトを経て現地では同じ日の朝10時ごろにサンフランシスコに着きます。
冬の時期なら17時過ぎでも東京は真っ暗。西に向かうフライトは進めば進むほど時間が戻る形になりますが、高緯度地域を通るため、冬であればフライト中はやはり夜になります。
では、「日付が塗り替えていく 苦しいだけのきのうを」の部分はどう解釈したらいいのでしょう。サンフランシスコに向かった場合は、東京で過ごした1日と同じ日付の1日を朝からやり直すことになります。つまり、あなたに会えずに苦しいだけだった1日が、あなたの胸に飛び込む日に書き換えられていくのです。
よく見ると歌詞の「きのう」はひらがなで書かれています。日付上の昨日という意味とも、「過去」という意味での「きのう」とも、どちらとも取れるように書かれていたのかもしれませんね。
終わりに
結局、「北ウイング」に歌われた行き先は、ロンドンだったか、サンフランシスコだったかは謎のまま。もしかしたら他の都市かもしれません。でも、どちらだとしても、とてもロマンチックなストーリーが描かれていることに違いはありません。
コロナの脅威が概ね過ぎ去り、成田空港も旅行者で賑わうようになってきました。海外に旅立つ際には、ぜひ中森明菜の「北ウイング」を聴きながら、物思いにふけってみるのもいいと思います。