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言葉がすき〜と叫んでいられた頃が懐かしい

文章を書くことに疲れてしまっている。原因は多分ES。去年一年間、一応はESは書いていたのだけど、本当に嫌いだった。文章を書くことは好きだったけど、人に好かれるために、御社が求める人物像に合うように、書くのがとても苦痛だった。

まあ、うまくいかなかったことから考えると上出来ではなかったみたいだし、自分でも本当にうんちみたいな文章だな、と思っている。ほとんどのESはお祈りがきたタイミングで捨てた。

高校生のときに好きになったアイドルの歌や音楽を翻訳してくださっていたある方がとても好きだった。でも今思うとその人物が好きということの前に、歌詞の中に採用された言葉、それを選んだ人物、そしてそれらの良さを潰さず違和感なしに見過ごせる日本語字幕が本当に見事だった。翻訳という職業に興味が湧いたし、自分でもしたいと思うようになった。

これはけーぽファンにはあるあるの感情だと思ってるし、いまでは日本語字幕をつけてくれる人は珍しくない、というか溢れかえっている。新しいアイドルにイプトッ(オタ入り)するたびに新しい翻訳マスターがついてて面白い。

以前ツイッターで「アイドルを好きでいることにプラスして、そのアイドルに対して自分なりの解釈がなきゃいけない。」みたいな言葉を聞いたことがあって、そのことがずっと気になってた。理解できないことではぜんぜんなくて、逆になるほどな〜!とたまげてしまった。

そのことについて考えてたら、わたしがアイドルを"解釈"する上で欠かせない要素は"穢れのなさ"じゃないかと気づいて。わたしがアイドルに求めているのは、闇の多い芸能の裏社会を感じさせず、それを知っていても「愛してる」「そばにいる」と叫んでくれること。後ろからトンッと押されれば裏社会の人間になってしまうかもしれないわたしの掴んでくれること。わたしがまだ正気を保ててるのはドルオタだからだろうな、と人生の節々で思う う〜書いていながら오글거려...

結論、

職に就くことの難しさや、労働の過酷さを想像せずに、社会に出ようとするあの純粋さは、どこに行ったんだろうな。

とは言え、永遠に現実の愚痴をこぼす訳にはいかないので、今日も面接準備です。
仕事、見つけられるといいな。いつかまた韓国にいけるようになった時にお金のなさに絶望しないでいたい。

ヌナ、がんばるよ〜〜〜〜〜(大涙)


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