4月から5月の緊急事態宣言を過ごしてみて。

今回から、友人の後輩くんと文章を書くレッスンをすることにした。
それで、今回が初というわけであるが、まずは身近な話題ということで、コロナに襲われた2ヶ月間の思い出をつらつらと書くことにする。

# 転職後いきなりリモート生活

私ごとで恐縮ですが、私は 5~6 年あまり努めた Uniba.inc という会社を退職して新しい会社 (いわゆるベンチャー) のお手伝いを始めることになったのだが、4/1 に唐突にリモート宣言が行われ、顔を合わせないままの新しい会社での生活が始まったのでした。

正直、新しい人と顔を合わせずに済むことに安堵も覚えつつも、信用を得ないといけないという思いからかなり精神的には疲弊しました。
なにぶん、フルリモート自体も初経験ながら、コミュニケーションも柔軟に行わないといけないのはツライですね。

とはいえそれも1ケ月も過ぎれば慣れてしまうというのが人間のすごいところだと感じます。
私が IT 関係という職業というのもありますが、新しい会社の方々にも救われたというところが大きく感謝しています。

# 山梨に拠点を移す

さて、そんな1ヶ月の間に私は山梨に拠点を移しました。
はじめは親にコロナを移さないか心配でしたが、親とも意思確認をして、移動も車を使うという約束の元、山梨へ飛んだわけです。
初めの2週間は正直怖かったですね。家の外にも出ず (家の周りは何もない田舎なんですが)、毎日を熱を測って体調をみました。
結果的に見れば発熱もなく我が家は無事だったということですが、運が良かった。と私は思います。
私の家がもう少し市中に近ければ断念していたところでしょう。

山梨に拠点を移したおかげで精神的にはだいぶ楽になりました。
やはり誰かと話す。人と会う。という部分は人間生活にとって大事なんだと実感しました。
現在6月においては東京に舞い戻りましたが、どうやらまたコロナの影響が出てきているようで、親から帰らんのかと連絡を受けています(現在悩み中)。

# コロナの中で

大半を山梨で過ごしていて、東京の状況と比べるとかなり穏やかな生活を得られたと思います。
精神的にも肉体的にも自由がある程度効くことは大きいです。
ただ仕事自体は正直苦痛な面もありました。
意思決定の困難さ、プロジェクトマネージメントという部類に関していえば、今までのノウハウは通じず、きちんとしたコンセンサスとリードがより求められていくように感じます。
なんせスラックに書いた書かない。数十分のミーティングの間に責任が発生するのですから、神経を使います。
そういう意味でナレッジメントを蓄積するサービスは今後重要になると思いました。口頭でカバーしていた部分がもはや通用しなくなっているのを感じます。

# でもやっぱり人と合わないと

その反面、やはり私という人間はコミュニケーションをしてなんぼなのかな。。。ということを知りました。
おそらく人それぞれであるとは思います。ですが私には必要なんだな。ということです。
私にとって重要なのは、気の合う仲間とコーヒーを飲み、酒を飲む。そして幾ばくかの給料をもらいながらプロダクトを育てる。
そういう生活を望んでいると。そういう意味でさっさとコロナにはくたばってほしい。

# 新しいベンチャーで

私の会社では AR で身体の採寸などを行うことを業務にしています。
AR 技術をやりたい (Unity などを使って). 写真からモデルを生成することに興味がある方は是非連絡ください。


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