正しい勉強の仕方
勉強とは、そもそも知識を身に着けることの言い換えである。
勉強とは、『知識を広く浅く身に着けること』
多くの人が勘違いしていることとして、勉強の概念にはPDCAサイクルがあると思い込んでいる。
勉強方法にはPDCAサイクルはあるが、勉強という概念自体にPDCAサイクルなど存在しない。そもそも勉強とは過去に残された理論を理解して記憶することであり、”応用”することは全く含まれていない。
過去の研究者が、誰でもその知識を身に着けることができるように言語化したものを、自分自身の脳へインプットする行為が勉強である。
”勉強とは知識を身に着ける”という行為
誰かが、発見し、理論化し、証明されたことを身に着けることが勉強であり、応用するという行為は研究である。
現在の自分は、「勉強をしているのか?」「研究をしているのか?」きちんと認識していなくては、勉強という行為自体をできない。
"勉強は、過去に誰かが紐解いたことを覚える”という行為
よくある『分からない場所が、分からない』という現象があるが、これは勘違いであり、そもそもの原因は、その知識にはその前段階の知識が必要であるということ
この理屈は、至極当たり前のことではあるが、人間はそのことをから目を背ける。楽をしたいがために前段の知識を勉強したくない。
分かりやすく言えば、歴史の知識として「なぜ第二次世界大戦が起きたのか?」という質問を投げかけた場合、多くの人は細かな説明ができない。この理由は、その前の時代の、世界史、日本史の知識が必要になるからである。そのどこかの歴史が知識として足りていない。
学生に起きる勉強の問題
学生のころに用意されている教科書というものは、章ごとに区切って勉強をしてもテストの点数が取れる仕組みになっている。
これはそれまでの過程の知識がなくてもなんとかなる仕組みになっている。
そして、その仕組みに馴れてしまった人は、自身が分からない場所だけを勉強して、知識を身に着けた気になってしまうが、実はその分からない場所だけを身に着けたとしても、知識とは包括的なものであるため、知識が歯抜けになってしまい、正しくはない知識 = 誤った情報 へと変化してしまう。
知識は積み重ねではなく、関係性
知識とは、紙を包んで作るボールのように知識を重ねていくものではない。本のように日々ページが増えていくものではない。
正しくは、知識は関係性である。
Aという知識があった場合、Bという知識が必要であり、Cという知識も必要となる。
また、それが直接つながっているとは限らない。
宇宙に漂う星が重力や時間などの様々な影響でそこに存在するように、知識が隣り合っているわけではない。
知識は、基礎を広く浅く身に着ける
正しい知識を身に着けたければ、知識を広く浅く身に着けることが重要である。
知識Aを理解するためには、それに必要な知識を寄せ集める必要がある。
要するに、一つの一つの知識は、多くの知識の寄せ集めである。
物事を理解するためには専門的な研究するレベルの知識は往々にして必要ではない。しかし、知識Aを理解するために必要な知識が何かということを見出すためには、その知識に関する知識が必要になる。そして、その知識をもとに身に着けた多くの知識の集合体が、一つの知識を形作る。
だからこそ、研究ではなく勉強なのであれば、膝下程度の浅い知識を広く浅く、そして膨大に身に着けることで、結果として多数の知識を得ることができるようになる。
多くの人が勘違いしている”応用”
よく言われる応用という言葉は、本来は研究のことである。
現在調べても分からない情報を追求し明らかにしようとすることを研究という。
そして、研究には多くの時間と労力が必要になるが、勉強で得ることができる基礎とは、調べれば幾らでも文献や論文などが多数存在し解説されており、研究と比べれば簡単に身に着けることができる。
広く浅く、基礎という知識を身に着けていれば、”分からないが分からない”ということは起きにくくなり、少し調べれば理解を出来るようになる。
勉強で言われる応用とは、基礎の次の基礎のことであり、応用を身に着けた人にとっては基礎である。
この矛盾を理解して、知識の基礎を広く浅く身に着けるということこそが、正しい勉強への近道である。
※正しい情報を知識とする
また、インターネット上に居る多くの人たちは、上澄みだけの1つの文献や裏付けのない情報を掬って勉強した気になる人しか居ない。
なので、インターネットではなく可能な限り本を手に取り、そして1か所からの情報からではなく、複数の視点から知識を身につけなくてはいけない。