モブキャラの視点から見る。
『だれしも主役になれなくても視点は備わって、生まれてから死ぬまでが物語であるようにそれぞれの人生がある。きっとその私も人類の一人なのだろう』
だいたいの学園青春ラブコメは主人公とヒロインなど、そしてグループが集まれば物語が始まり、それぞれの役割がある。一人称の主人公の視点が語られる作品が多いなか。モブキャラに視点を当てた作品を通して分析してみる。
その中で私があげる作品は『しにがみのバラッド。』『地獄少女』などオムニバス形式で、各一話ごとに登場人物も変更され、お話も独立しており、メインキャラクターは作中では、登場する出番も少ない、あえてモブキャラの視点で物語が始まっていく。
漫画家の藤子・F・不二雄の作品で『笑ゥせぇるすまん』に登場する喪黒福造も作中に出演が少なくて、同作者の『ドラえもん』と比較してみるとドラえもんよりかは、のび太にスポットが当たり、作者の看板キャラクターは主人公にならない位置としての役割を果たしている。
上遠野浩平のブギーポップシリーズは、ある一つの事件を登場人物の視点から語られる群像劇となって、宮下藤花の別人格。ブギーポップはほとんど登場せず。県立深学園高校の生徒、世界を裏で操っている統和機構。それぞれの登場人物と登場人物が関わっていくところ。それぞれ作者の作品はブギーポップの世界観を軸にして、ブギーポップを読んで外伝を読んだとき、または外伝を読んでブギーポップを読んだとき、などの登場人物と登場人物の繋がりが素晴らしい。