(ダークファンタジー)奈落の王 その五 遭遇。出会いはいつも突然に
心臓が跳ねる。
そして鼻息も荒く。
口が自由であれば、荒々しい息をしていたであろう。
ロランは見た。
目玉が飛び出すほど目を見開いて。
飛び込んできたのは赤。それは命の色。
地面が赤い。
そしてその赤い雫は転々と森の下草に散らばり。
銀色の巨狼の残したものだと、推測する。
そして、その理由。
地面に一本の造りの見事な矢が刺さっている。
判ること。
それは数本の矢が放たれ、一本は外れて地面へ。
そして何本かは巨狼の体に突き刺さったのだろう。
数本の矢が命中したと見える。
──そしてロランは、その射手らを目に捉える。
森の木々の合間から、ロラン達に近づく騎馬者が二人。
そう。
矢を放って助けてくれたのであろう、弓矢を持つ二人組の人間を。
●〇●
森の奥から近づいてくる影と、話声が二つ。
「ほう。どうしてこうして、巨狼の挙動がおかしいわけだ。目の前に無抵抗の餌が二つもあるとはな」
「獲物が動くには理由があるのです」
「そうだな、そうであった。しかしあれほどの大物、逃がしたのは失点だな」
「なあに、また次の機会がございますとも」
声は二種類。
それは、聞き違えなければ若者と壮年の男の声だと思えた。
人だ!
しかも助けてくれた!
ロランは希望を見つけ、叫ぼうとするが──。
「おい、そこの小僧、何しているんだ? そんなところで」
と、先に言われた。
それは半ば、バカにしたような軽い声。
少し頭にきたロランだが、ここは助けと思い大声を……。
「も──、んー──!」
出せなかった。
叫ぼうとして無理だと悟る。
縄は口にも巻かれていたを忘れていた。
この猿ぐつわのせいである。
ロランは声の主を見る。
そして、これでもかと目を見開いた。
森の奥に信じられない存在。
危ない所を助けてもらった感謝など、見事なまでに吹き飛んだ。
──そんなバカな、あれは誰だ!?
ロランは思う。
俺は、俺は、幻でも見ているのかと。
その人物。
黒髪に青い瞳。
身なりはこざっぱりとして……いや、それを通し越して、ガラ物の刺繡と明るい配色に満ちた、一目で高級と分かる衣服。
そして、その人物は腰に見事な作りの剣を履き、大ぶりな弓を手に白馬に乗っていた。
白馬の角は二つ。
バイコーンと呼ばれる騎獣であることを、ロランは後で知る。
そして何よりも。
そう、そんな身なりのことなどどうでもよかった。
この人物は自分、ロランにそっくりの顔立ちと体つきをしているのだ!
ロランは頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
そして身なりや立ち居振る舞いからロランは察する。
そう、わかる。
そして断定だ。
この人たちは貴族だ、と。
●〇●
二人はロランらを無視して狼の話に夢中になっている。
「子供だな。子供が二人。こんな大木にしっかりと結わえられ、自由を奪われて──」
「ハルフレッド様。森近くの村の因習でしょう。それがし、小耳にはさんだことがありますぞ」
「どうしたライル爺? 私は知らんぞ。なんだそれは? 詳しく聞かせろ」
「神や鬼への捧げものとしての人身御供、いわゆる生贄ですな」
「ほう、鬼はともかく神が生贄を取るか。血なまぐさい神もいたものだ」
「まあ、『名付きの化け物』でしょう。神などではありませぬ。しかし、神のごとき力は持つ存在です」
「しかし、神はこうして逃げ帰ったではないか。先の巨大な体躯の狼が神なのであろう? 神はこうも弱いのか?」
「たまたまです。神にも強弱ありますれば」
「ふん、そんなものか」
「そうですぞ? 今回は被害がなかったからよかったものの、次回遭遇された折には、真っ先に逃走なさることですな。仮にも神。遊び相手にするには危険がすぎまする」
「は、ただの大きなだけの狼ではないか」
「どんなに弱く見える相手でも、油断は禁物ですぞ?」
「ふん、では俺がこの者たちを開放するとどうなる。この者たちはすでにその神とやらのものであろう。私が頂いては、その神とやらが存在するのなら、神は怒るのか? 災いをもたらすのか?」
「いいえ。全く」
「なら、なぜこのようなことを村人は?」
「今年の領内は飢饉です。村の収穫だけでは村人全員の食料を賄いきれないのです」
「その心は?」
「弱き者の切り捨て。口減らしです。この者たちを養う食料や暖を取る薪がもったいないと判断されたに違いありません。ここ数年は途絶えておりましたが、なにせ数年来のこの飢饉ですからな」
「人の命より、明日の食い扶持と言うことだな」
「左様でございます」
ロランは、弓を持ち白馬バイコーンにまたがる派手な服の少年と、同じく毛並みの良い栗毛の馬に乗る革鎧をまといつつ、こちらも弓持つ老人ライルの話を黙って聞いていた。
ロランの頭の中が一瞬にして沸騰する。
そして自分の半生を振り返る。
それは、盗みもやった。
畑荒らしもした。
だが、それは殺されるようなことだろうか?
妹アリアはまだ幼さが残る。
俺にアリアと共に山神様、いや、森の生き物らに食われろと!?
──冗談ではないッ!
と、その時、神の偶然か、運命が味方をしたのか、ロランの猿ぐつわが緩んだ。
ずっと苦みに耐えて繰り返してきた顎の開閉は無駄ではなかったらしい。
ここぞとばかりにロランは叫ぶ。
「助けてくれッ!」
と。
主従の会話を重ねる二人が未だ縛られたままのロランを見る。
ロランの声。
それは今まさに、お日様の落ちようとしている森中に響くのであった。