(一次小説 ・ ダークファンタジー )奈落の王 その一 その日、少年は名もなき師に出会う
世界は広く、零れ止まない程の幸せを求め、少年ら兄妹が駆け抜けるダークファンタジー。ここに開幕。
<第一話> その日、少年は名もなき師に出会う
世界が変わる。少年の世界が。それはちっぽけな一つの農村であったのだけれど、少年たち兄妹にとっては世界とはその村と、そこを覆う森の入り口だけが世界の全てだった。
これは、そんな田舎の農村に生を受けた、一つの兄妹の物語。
●〇●
わずかな取り分は妹にあげた。長い黒髪を後ろに垂らした、ほっそりとした青い目の女の子だ。
「ありがとう。でもお兄ちゃん、お兄ちゃんは何も食べてないんじゃないの?」
賢しい子である。少年は妹と同じ青い目で見つめ、ややこけた頬を妹に見せながら、戦利品の黒パンを押し付ける。
「そのままじゃ固いだろ?」
と言って、亡き父親の残したわずかな遺品たる山刀。それで切り出した竹のカップに入れた井戸水を差し出す。パンは盗んだが、曲がった素焼きの土器の甕に汲み置きしている井戸の水はさすがに自前である。
両親は流行病で早くに亡くなった。
村人、他の大人たちとの付き合いはほぼ無い。
彼らの子供たち、村の次代に連なる子供らとも、決して友好的とは言えない。
兄妹はそのようなことを両親から教わる前に、独り立ちすることを強いられた。
下手すれば村八分されそうな兄妹である。だが、せめてもの村人の情けか見逃しか、兄妹はこうして水を得ることができている。
──そう。兄妹にとって、殺されないだけマシとも思えていたのだ。
で、兄は黒パンを水でふやかしながら思う。
本当は何かしらの味が付いたスープが良いのだ。
だが、そんなものは用意できない。
そう、塩や砂糖は貴重品なのだ。
──もし、盗んだならば?
兄は思うのだ。
そんなことをすれば、たちまち捕まって避難され、石をもって殴られるだろうと。
うん。
考えるまでもない。
しかし、少年はこうも考える。
もしかすると、今日盗んできたパンの欠片も、あの家の親父の情けかもしれないのだ。
見て見ぬふり。
やらない善より、やる偽善。
その暖かさを、兄妹は感じることができただろうか。
いや、そんなことは分からない。
違うな、彼ら兄妹は日々の暮らしで精一杯、明日の飯より今日の夕飯。
黒パンに水。
ありつけただけマシなのである。
だが、大人がどう考えようと、少年にはどうでもいいことだ。
今日の食い物、妹に渡すだけの食べ物。
少年は黒パンをかじりつつ思う。
ガツガツと食べているのに、思うのは食べ物の事ばかり。
保存に優れる塩チーズや黒パン。そして、乾物やソーセージ。
丸々と太った魚。大きな卵。
──などなど。
ああ、どれもめったにこの兄妹には届かない。
生のものは危ない。腹を下すから。
井戸水も一度沸かしたい。
くすねてきた食べ物も同じだ。だから時々森に入って薪を採る。
火で暖を得るためだ。
村を取り巻く暗き森。森には恵みと災いが同居している場所だ。
でも、村近くの入り口付近は安全だ。
下草は刈られ、森の住民、獣らに対する村人の目も行き届いている。
と、少年は思う。
そして今日も少年は薪を拾う。
森は村人たちの共有財産であったが──。
薪を渡して銅貨をもらうこともある。
キノコや木の実を拾って、食の足しにする。
だから、少年には同年輩の子らと比べると必要以上に──いや、骨と皮の体に、しっかりと筋肉がついているのだ。
そう、なので喧嘩は強かった。
そう、だから妹をしっかり守れた。
うん、でも……と、少年は黒パンに視線を落とす。
今日の恵みの黒パンに。
そして夜を越すための薪に。
薪。
そう。取り過ぎは良くないのだ。
採り過ぎてはなくなってしまうし、暗い森の奥や、村から遠出することになる。
「獣に怪物かよ」
少年は洩らした。そして、自分と同じ青色の瞳を持つ、妹に視線を落とす。
うん、危険すぎる。
──冬に備えて食料を蓄え……。
無理な相談である。
ただでさえ作物の収穫の少ない山村。
村人の冬支度を盗む?
冗談ではない。
盗みはもちろん重罪。少年がこれ以上派手に盗みなどを行うと、村人の怒りに触れて暗い森に追放……ならまだしも、今はここ数年来行われていないとはいえ、村人が時々囁く森の神への生贄、つまり酷いときは村近くの森の奥の祭壇に妹と二人して罪人転じて神への貢物として繋がれるかもしれない。
充分にあり得るのだ、今年の収穫度合いを見れば。
村人が『山神様』に贄を送らないと、だれが断言できよう?
贄は無垢なほどふさわしい。
そして、少年は無垢ではない。
悪ガキだ。
だが、それをやめられない訳がある。
そう。冗談ごとでは済まされないのだ。
少年は唯一の家族となった、妹を養わないと。
──とはいえ。
実際盗みはするし、罪人に変わりはないのだ。
さらに、少年が贄に選ばれても、悲しむ大人たちなど誰もいない。
──運命?
少年には運命が分かる。
あの人に出会って、『自分の道』を漠然と決めた。
そう、あの遠くの街から来たという自由人、百発百中の腕前があったナイフ投げの男に。
その男は言った。
『生きたきゃ何でもしろ。お前たちには後がない』
と。
意味が分からなかった。
だが、こうも教えてくれた。
『俺も幼い時は相当な悪ガキでな? なんでもやったさ。葉っぱ売りに、チーズケーキが好きな立ちんぼスカウト、そしてスリに空き巣。さすがに花売りはしなかったがよ?』
男は教えてくれた。
盗賊の技と言うものを。
そして、素早さに重点を置いた短剣での戦闘術。
小動物──大掛かりに作れば人を陥れることも可能な──単純な罠の作り方。
そして『何が何でも生き残れ』という心の強さを。
『妹を護ってやれ』という仲間、家族を大事にしろという思想を。
『俺は独り身だけどよ……仲間ってのはいいもんだぜ、って、まあ、俺も弱くなったな。まさかお前みたいなガキにテメエの技仕込んでるんだからよ! はッ!』
と、男はいつもジンを呷る酒臭かった。
だが、赤ら顔で兄妹を見る男の眼は、どこまでもどこまでも澄んでいて。
だから、と言ってもいいものか。
少年は腹を膨らすため、そして未来を掴むため、今日も早技を復習する。そして走り、身を陰に溶かし、体力と技を磨いた。
それらの行為は、その男に会うまでは考えることもしなかった『次』『明日』『未来』への渇望。
少年は技を磨いた。
全てその男の言うとおり、常人なら諦めるであろう、半自己流の厳しい訓練である。
そう。
この少年は、この村を数人の仲間と共に訪れた褐色の肌を持つ冒険者の一人と縁を繋いだのだのだ。
この村にやって来た男たち。
そいてその前で躓いて転んだ少年の妹。
手を伸ばす、褐色の肌の男。
その手を強くはたく少年。
後づりながら、少女を抱き起す、少女と同じで痩せこけた少年。
兄妹は聞く。
『お前、良い目をしているな……お前ら、兄妹か?』
と。
話はそれでは終わらない。
彼らは疲れていて、村でひと時滞在しようかとしていること。
村の周囲の怪物討伐に雇われていたこと。
など。
そして、何の因果か、褐色の男は兄妹が暮らす大木のウロを見つけ、毎日からかいに来たこと。
この男は少年たちに何を見たのか。
実に変な男であった。
繰り返すが、こんな兄弟のような死にぞこないの孤児らに興味があるとは。
だが。
『おう、朝だぜガキども』
と、起こしに来る、逆光にて輝く褐色の男の背中。
少年は輝きを見る。
そして、光の屈折の奇跡か、男の頭上に光の輪を見た。
少年は思い出す。
村の坊主が言う古代の聖典にあるという『救い主』そっくりの人物の出現に。
少年も、少女も。
彼を信用するのにそう時間はかからなかった。
◇◇◇
いや、一時師事した。
少年にはそんな冒険者の男が眩しく見えたのだ。
むしろ、『救い主』だと。
体の動きを邪魔しそうもない柔らかな革の鎧と、大ぶりの短剣、それに数本のナイフを腰のベルトに佩いた彼の、アルコールを含んだ赤ら顔の語りを覚えている。
尊敬すべき彼は教えてくれた。
『俺も昔、小さいときから一人、野山で鍛えたんだぜ?』
と。
「なぜ?」
と少年は聞いた。
『言わなかったか? 俺も孤児だったのさ』
と返ってきた。
この男の教えが偏ってたとしよう。善悪の判断も曖昧だったとしよう。そして、彼の語り口に少年の知らない言葉が多くあったとしよう。
だが少年は、怪物退治のため村に留まった彼がいる間、ずっと付きまとって話を──いや、教えを請うた。
自らを鍛える方法を。
そしてそれが長じて愛すべき妹と村を出、旅を重ねることとなった時に、生きてゆく術となると信じて。
そして男は、少年が1を効くと、10の内容を返してきた。
男は実に良い教師たり得た。
そう。
たまに村に来る楽師が謳う、数々の英雄が辿った人生の、若き頃の英雄譚のように。
そう、男は親身になって教えてくれたのだ。
そして、彼が村を去る日。
『よう、これやるよ。お前も妹のために大変だな。良いか、死ぬんじゃねえぞ? これを見て、俺が教えたこと、話したことを思い出せ。そしてな、俺みたいな旅人を見つけてはまた教えを乞うんだ。知識は力だ。技は力だ。そして、単純な体力も力だ』
刃を黒く塗った鋼でできた投げナイフ。それを受け取る少年。少年はその意外な重さに驚き、そして彼を見つめた。
『じゃあな。妹を大切にしろよ?』
と言い残し、彼は彼の仲間と共に少年の村を立ち去ってゆく。少年は、その旅人らの背を、いつまでも、いつまでも見えなくなるまで眺めていた。
『あれが、冒険者……本当の、冒険者。英雄の卵……』
少年は呟く。
その通りである。
少年が見送った彼らこそ、世界の混沌と、その矛盾と戦い。
そして自らの栄達と、名誉を求め。始めは人々の生活の手助けから始まり。
そして経験を積んだ彼らは、いずれ悪魔や巨竜や神をも倒し、世界に名を轟かせ。
そんな民衆では届かない頂の力をふるう者たち。選ばれてではない。
彼らは『そう在った』のだ。
そうせざるほどの力を持ち、世界に希望をもたらす存在。
彼らのことを人々は畏敬と恐怖、そして『運命の祝福を受けし者』と扱う。
そう。彼らをこそ、総じて人々は『冒険者』と呼んだのである。