幸せの形
この文章には何の答えも結論もありません。この文章を書いている人間は特に特徴もない一般人です。ADHDっていう発達障害を持っていて、そのせいなのか一つのことに集中出来ません。発達障害って言うと「知的障害」とよく言われますが、いわゆるIQには問題がありません。でも集中力が散漫という意味ではポンコツなのかもしれません。
ポンコツの定義はそもそもどこにあるんでしょうか。学校の勉強がよく出来て、満点を取れたらポンコツでは無いのでしょうか。仕事が出来ればポンコツではないのでしょうか。お金に困らなければポンコツでは無いのでしょうか。
私は多分、テストでうっかりミスをし、仕事でもちょいちょいミスをし、お金は有り余る富を持っている訳ではないし、ポンコツなのですが多分今幸せなのだと思います。
幸せとは何なのでしょうか。テストでいい点数を取ることが幸せなのでしょうか。仕事が出来れば幸せなのでしょうか。お金に困らなければ幸せなのでしょうか。
テストでいい点数を取っていても親に怒鳴られる人は辛いでしょう。仕事が出来ても家族から無視されていれば辛いでしょう。お金があっても心が寂しければ辛いでしょう。
我々は何をもって「幸せだな」と思うことができるのでしょうか。
あなたの幸せはどんな形をしていますか?人に羨ましがられることが幸せですか?色んな人からモテることが幸せですか?人とは違うことが幸せですか?
私は色んな人を見てきて、色んな人から「死にたい」と言われてきました。私も死にたい時期がありました。私の「死にたい」は幸いにして過去形になりました。でも「死にたい」気持ちが現在形だった時、いつそれが過去形になるかはわからなかったし、いつの間に過去形になったかは未だにわかりません。
死にたい、という人は死んだ人や死に行く人を見たことがあるかないか、言われるたびに毎回気になります。その気になる気持ちに大きな意味はありません。ただ、私は沢山の人が死ぬ姿を看取ってきました。眠るように死んでしまう人もいたけれど、もがき苦しみながら死んでしまう人も多くいて、漠然と私が現在形で「死にたい」と思った時、心のどこかで「でも苦しみたくはないな」と思っていました。生きていることすらかなり苦しいからそこから逃げたい=死にたい、のに「死」に至るまでの行程は相当しんどいことを知ってしまったから余計に腰が引けてしまったのかもしれません。
そもそも死とは何なのでしょうか。生命体が生命活動を止めた時を「死」というのでしょうが、Aさんが死んだとして、Aさんの知り合いが「Aさんが死んだ」と認識するには時間差がどうしても出来ると思います。リアルタイムで「死」を周囲に認識される人は日本には誰もいません。日本の法律では「死」は医者が定義するので、心臓が止まって、呼吸が止まって、色んな反射が消えてしまったことを医者が散々色々確認した後にようやく「ご臨終です」と言うならば、Aさんが死んだその瞬間はやはり医者すらAさんが死んだとその瞬間に断言出来ないのです。
もし、私が不慮の事故に遭って、この記事をあげる前に死んでしまったら、私のこの思考の端っこのメモ書きは誰の目に触れることなく終わるでしょう。虎は死んだ後に綺麗な毛皮を遺すと言いますが、人間は死んだら概ねの人が何も遺さず死ぬでしょう。死んだ後にも色々遺せる人間は、幸せなのかわかりませんが一握りだとは思います。
人の記憶から消えたい。うつの私が多分確実に思っていたのはこの言葉だと思います。生きていることが情けなく、申し訳なく、誰かの記憶のメモリを食いつぶしていることが辛かったからそう思っていました。でも、今思うと生きていて情けないと思っているのは自分であり、誰に対して申し訳ないのかもわからず、誰かの記憶のメモリを食いつぶしている、と思っているのは勝手な思い込みでしかありませんでした。結局私のうつの時の「死にたい=消えたい」はあくまでも自分の基準で「自分は消えなくてはならないのだ」と間違ったジャッジを下して自分で自分の首を絞めていただけだったと今は思います。そう思えることはある意味「幸せ」なのかもしれません。
別に私はこの文章で「自殺はダメだよ」とか「生きてればいいことがあるさ」とかそんな綺麗事を言うつもりはありません。ただ今この瞬間に「死にたい(消えたい)」と思っている人がいたら、純粋に質問がしたいだけなのかもしれません。その気持ちは別の言葉で表すとしたらどういう言葉になりますか?まさに「死」そのものを指しているのですか?比喩表現なのですか?
幸せがあっても死にたいのでしょうか。
幸せと辛いは表裏一体だと思います。素晴らしい宝物を手に入れて天にも登る気持ちで持って帰る最中に、その宝物が原因で他人に命を狙われたり、脅されたり、酷い怪我を負わされるかもしれません。何も持っていなければ普通に歩いて帰れたのに、その宝物を手に入れたせいで気持ちがうわついて足を滑らせて一生残る傷を負うかもしれません。
持てるからこそ生まれる苦悩もあり、持たざるからこそ生まれない苦悩もあります。
幸せとは何でしょうか。
生きるとは何なのでしょうか。
何をしたら人は辛さを幸せにすることが出来るのでしょうか。
ほとんどの人が辛いと思う環境すら幸せと思える人になる方法は、ある種の魔法かもしれません。ただ少しだけものを見る角度を変えるとその魔法を使える人間になれるとは思います。
幸せはどんな形をしているのでしょうか。