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【短編小説】孤高の料理人(推敲版)

人は、私のことを「孤高の料理人」と呼ぶ。
ミシュランガイドで星を持つ高級料理店のチーフとして、働いている現在。
高い理想を抱き、超然とした態度で店を切り盛りし、厳しく指導している。
至高の料理を提供するのには、それは当然だ。
お客様に最高のおもてなしをするためには、妥協を許さない。

「孤高」とは、孤独を意味する。
私はそのことを自覚していて、少し寂しさを感じる。どこか理解されていないのではないか。
いつか、全スタッフに私の気持ちの伝わる日が来ると信じているが、その気配を感じることはあまりない。悩みの種だが、社長に信頼され、店は繁盛している。
誰も反論しないし、させない。結果がすべてを物語っている。

以前、スタッフの一人を叱ったことがあった。
ヘラヘラしている。「悔しくないのか?」と、そう問いかけた。
自分自身に対して。
今のままで良いと思っているのか。悔しいなら態度で示し、行動で表現しろ。失敗は誰にでもある。大事なのは、その失敗をどう活かすか。日々成長し続けるために必要なのは、心構え一つだ。

料理人になったきっかけは、母の料理である。
母子家庭で育ち、子供は息子の私だけ。幼い頃から母の苦労は感じていた。それでも笑顔を絶やさず、育ててくれた。特に母の手料理は、限られた食材のなか、バランス良く作られていて、何よりもおいしかった。私は母のように、おいしい料理を作りたいを思うようになっていった。料理を勉強して、母の負担も減らしたかった。

「なぜ、こんなにおいしいの?」
母に理由を聞いたことがある。掛け持ちのパートのひとつに幼馴染の友達が経営している定食屋があり、その夫婦から料理を学び、腕を上げていた。元々、料理が得意でその夫婦からも感謝されている様子は、母との会話でも伺えた。

私が店長になった頃には、この定食屋以外のパートは辞めることになり、定食屋にしても半分ほどの勤務時間となる。私の収入で充分、生活ができるようになっていたし、母もずっと働いていて、身体が悲鳴を上げていた。

いつの頃からか、母の料理に次第に物足りなさを感じるようになっていた。
母の料理は、家庭の味を超えるものではなかった。むしろ、粗が見えてしまうこともあった。こうすればもっとおいしくなる、ああすれば良いと考える自分がいた。料理人として舌が肥え、純粋に母の味を楽しむことができなくなっていた。それが、唯一、料理人になったことを悔やむことである。

ある日、母の作る「肉じゃが」を巡って大きな口論があった。母の作ったものに口出しをして、もっとおいしくなる方法を教えようとしたが、それに母が反論した。それ以来、肉じゃがを作らなくなった。口論のことを思い出すからだ。私もその日の夜は、料理人にならなければ、こんなことにはならなかったかも知れない、これで良かったのか? などと頭の中を巡り眠れなかった。

母が働く定食屋には、私も赴き、食べさせてもらったことはあるが、ごく普通の家庭料理を提供していた。どこにでもあるような料理で愛情を感じるが、外食としてわざわざ食べに行くほどのものではないと感じていた。

店で働いていたとき、一本の電話があった。住居するマンションの管理人からである。
話によると、母の勤め先の定食屋の奥さんから、出勤時間になっても来ないので電話をしても連絡が取れない。こんなことは一度もなかった。玄関チャイムを鳴らしても返答はない。鍵がかかっているので様子を心配して、奥さんが管理人の自分のところに飛び込んで来たという。
開けるための同意として、私への連絡である。もちろん了承して、中に入ってもらって確認してもらった。そこでは、台所で倒れている母が発見された。すでに手遅れであった。

母の葬儀を終え、店から数日の忌引き休暇をいただいたときに、母の勤め先である定食屋に挨拶へ向った。
店内に入ると、葬儀のときから、改めて、感謝を述べる。

お店の中では、いくつかの料理を注文した。
「前よりもおいしくなったでしょう?」
「本当においしいですね。何か変えられたことはあるんですか?」
「お母さんが教えてくれたのよ。ちょっとした工夫で、こうおいしくなるって」
「そう、だったんですね」
「お母さん、ずっと喜んでいたのよ。あなたが料理人になったこと」
「母が、そんなことを話していましたか」
「たいしたものじゃないけど、お口に合ったかしら?」
「すごくおいしいです。どれもこれも全部」
「お母さんと一緒に、よく料理を研究していたのよ」
「家庭の味っていうか、懐かしい味がします」
「だって、あなたのお母さんの味だもの。特に肉じゃがね」
「肉じゃがが、こんなにおいしいなんて思いもしませんでした。
 なんだか……。母を思い出します……」

「ちょっと失礼していいですか。少し外に出ます」
「いいわよ」

店を出ると、ハンカチを持って来ていて良かったと、心から、そう思った。
慟哭 どうこく が止まらない。



(終)本文1990文字

花澤薫様主催「すべて失われる者たち文芸賞」に参加しています。



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