ホスピス

Twitterというソーシャルネットワーキングがあって、私はある種もっとも理想的なマッチングアプリだと考えている。そこで2020年くらいにフォローして、2022年4月に初めてお出かけをしたとても大切な人間がいる。

彼女は私が知った時のアカウントはもう消してしまったのだけれど、アカウントプロフィールの職業は「ホスピス」に設定していた。


話は変わって、2023年の7月のいちばん初めの日、私は心がどうにかなってしまって、決壊した。家出をして自分の居住地よりやや南のところに泊めてもらった。なんとか安全で安心な壁と屋根を手に入れたがどうしても不安で不安で、夜は眠れなくてすぐそばのFamily Martへ向かった。

夜勤の中年のおじさんがワンオペで勤務をしていた。

会計をしてもらい、少し人生の話をしてもらった。

21歳で結婚し、子が産まれ大学を辞めたこと。アパレルの職にありついたこと。お子さんはふたりいること。仕事をやめ離婚したこと。ちょうど同じ時期にコンビニの夜勤の仕事に転職したこと。そのような勤務スタイルでも生活にはほどほど満足しているということ。


やさしさがとても身に染みた。


そのことがきっかけになってコンビニでアルバイトしたいと思った。制服のかわいさでどこにするかを決めて、近くのLAWSONに採用された。9月13日に研修をした。その大学に在学していながらコンビニで働くなんてもったいないと言われた。そんなことないと当時も今も思っている。

X店にて面接を受けたが、シフトの関係上、姉妹店のY店での勤務をすることになった。Y店はX店よりも忙しさがおだやかでそこで慣れるのが良いというのもあった。わたしたちは「丁稚奉公」とそれを称することにした。

しばらくはY店で働いた。週に1回で、8時から13時のシフト。祖母の世代の女性と、フィリピン出身の中年女性、そしてオーナーが昼勤のメンバーだった。みなさんとてもおやさしい。
わたしが死んだ目でマニュアル以下の勤務をしたり、雑談してもらってもくれたボールを落としたり、それでもわたしと一緒に働くことをまるで厭わなかった。全然人数は足りていて、小さな店に4人で働く瞬間があって、なんか無駄な人件費が発生していそうだった、笑。
通勤路には桜並木がある。その時期はまだダメだった。

花が咲いて嬉しいと思いたかった
『きんぎょがにげた』の総柄のレインコートを着た小さい人に頬を緩ませたかった
調子のいいときの自分だったら心が動いたんじゃないかなと思って 実際動かなかったけど記憶にとどめようとした事実だけが溜まっていく 

2023年3月18日のメモ

2024年の3月も同様だった。桜の木は若葉の時期の方がかっこいい。花が咲いた時だけもてはやすなんてそんなのひどいぜ。

いつからだろうか、ユニフォームが半袖になって、何週間か経った頃かな、しだいに復調した。冗談を挟めるようになった。もう何週間かすると、笑い上戸の私が戻ってきた。会う時ずっと笑ってるよね、とか、笑顔が一番可愛いとかよく言われるんです、ひとりでに感動していた。

コンビニエンスストアでどのように接客されたいかというのは、本当に人それぞれだと思う。よく「近所の店で顔を覚えられるのはなんだか苦手」という人がいう言説があるけれど、そう言いながらその人はなんかいい感じの飲み屋か喫茶かの常連になりたいとも思っているところもあるんじゃないかな、

おばあちゃんとフィリピン出身の女性はそういう意味では人情商売が得意だ。こそっととっておいたクーポンで値引きしてあげたり、ちょっとした雑談をしながら連休の出社情報を把握したりもする。

最近は私もそれができるようになった。

すごく遠回りになってしまったけれど、ここからは今日の話。
いや、やっぱり今度にします。

コンビニエンスストアで働いていた日々、まるでホスピスみたいだった、ただそれだけのことが言いたかっただけだよ。

健康道場、健康同情、健康道場。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?