文字とART
例えば今回の記事のタイトルには
「文字」…漢字
「と」…ひらがな
「ART」…アルファベット
の3種類の文字が使われている
日本語と単に行っても
様々な文化が混在した
ミクストメディアなのだ
さらに同じ漢字圏の中国では
1つの漢字に複数の読み方が存在する事は稀で
日本語ほど複雑ではない
例えば
"今日は日曜日だから日本酒を飲む日"
この文章の中で使われる「日」は
5種類の読み方が使われている
この複雑さが
日本語が難しいとされる一つの原因
文字には大きく分けて2種類ある
【表音文字】
【表意文字】
表音文字はアルファベットなどの
"音"を表す文字
表意文字は漢字や象形文字などの
"意味"を表す文字
とされているが
この分類にも様々な説がある
一方で面白い説がある
漢字とアルファベットでは
脳が認識する部分が違うと
例えば
言語障害を持つ人が
どこの言語圏に属するかによって
障害が起きている脳の部位が違うという説
つまり
同じ障害なのに原因が国によって変わってくる
なんてことがあるかもしれないのだ
今回の記事のタイトルも
瞬時に脳の違う部位を使って認識している
ということになる
これはアルファベットを使っている
言語圏ではありえない
では日本語圏の人と
英語圏の人では文字や絵を認識する時に
脳の使い方が変わってくるのではないか
というのが今回取り上げてみたい説で
例えるならば
漢字は"製品"であり
アルファベットは"素材"
漢字は"お弁当"であり
アルファベットは"食材"
漢字は"小説"であり
アルファベットは"メモ"
漢字は"ディズニーランド"であり
アルファベットは"公園"
漢字は"揃っている"が"自由度が低い"
アルファベットは"揃ってない"が"自由度が高い"
これを日本語圏の人が求める美術と
英語圏の人が求めるARTに当てはめると
日本語圏の人は
美しくて意味やストーリーが瞬時に認識できる
"美術"を好み
英語圏の人は
既視性が低く自分で意味やストーリーを考えられる
"ART"を好む
説
これはあくまでも
紀元論的な説で
インターネットが日常となった現代では
同じ言語圏でも使う言葉や感性は違ってくる
ただ欧州または米国文化の延長ではない
新たな芸術的文脈を探す時に
こういった"観者"からの
認識の違いに着目するのも
ひとつの手段ではないだろうか
どこかのメディアアーティストが
「複雑性の担保」
という言葉をよく口にしているが
スッキリとさせずウヤムヤとしたまま
みたいな感性は
日本的ブランディングの原液に
なり得るのではないだろうか