ジェーン・スーに見る、人生相談の回答者のとるべきスタンス

一年位前にジェーン・スーの存在を知った。それまで名前と書名を聞いたことはあったが、なんとなく攻撃的なタイトルから、敬遠していた。

しかし、生活は踊るのラジオクラウドをなんとなく聞いてみたところ、当意即妙で歯切れの良い回答に惚れ込んで聞いてしまった。

そして、生活は踊るの前身の「相談は踊る」のアーカイブもちょこちょこと聞いていた。(ただ、一本がけっこう長いので適当にかいつまんでやめてしまった)

今週はジェーン・スーが遅い夏休みと言うことで(夏休み?というのも不思議な話なのだが)それぞれ代行MCが相談に答えていた。

いつもと違う回答パターンに面白さを感じつつも、やはり違和感を覚えてい点もあった。とくに気になったものはこれだ。『第244回 3/16(木)放送の、女性から「 夫の携帯が見るのをやめられない 」という相談。大徳絵里アナ&TBS蓮見孝之アナ』

夫が浮気していて、見るたびに浮気の証拠が見えてきて……というものだったのだが……女性アナウンサー側に気持ちが入りすぎていて、というかこの相談者の環境に、傷ついていた感じがして、とてもじゃないが回答が成り立っていなかった。

最近始めたnoteで、ほかのひとはどんな投稿をしているのか、と見てみたところ、人生相談を募って回答する、というnoteを作っているひとを見かけた。なんとなく往年のask.fmを思い出してほほえましい。

この記事からも同じようなものを感じた『「転職した彼が忙しくて会えないのだが」に答えました』というこの相談。

この回答者にとって「恋人」という存在は、「すごく疲れたり傷ついたりした時に、どうしても会いたい存在」と信じているような感じがして、そうではない恋人関係が存在するということにたいして傷ついているような印象を受けた。

人生相談をネタにするとき、自分が大切にしている価値観、信じていた価値観が蔑ろにされている状況の相談、というのはたびたびある。そのときに、聞いていて不安になるのが、相談者以上に回答者が熱を帯びてしまうことだ。

ジェーン・スーはどのような相談においても、「どこか他人事」という感じがある。その他人事というのは真剣に聞いていない、ということではなく、真剣に聞くが、その状況はあなたのものであってわたしのことではない、というスタンスを常に崩さず、客観的に状況を俯瞰し、回答を続けていた、と改めて思った。

これって、けっこう簡単なようで、難しい。とくに二人とも「夫婦」という愛情ベースの関係が上手くいっている人間だと、その前提を崩されるような相談にたいして、非常にナイーブだ。

ジェーン・スーのいない一週間をすごして、改めて彼女のスタンスのすごさを感じた一週間だった。

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