金が稼げていた時代を振り返ってみる
以前、何度か大金を稼げてた時代があるので、その頃を振り返ってみたいと思います。
当時は、明らかに儲からない仕組みのビジネスを押し付けられていて、今考えると会社もその部署に全く期待していなかったんだと思います。
会社って、主力事業がコケたら傾くので、ビジネスの種も色々投資する会社もあるんですが、多分、その一環だったんだと思う。
しかし、どうせそんなどうでも良い仕事やらされるんだったら、という事で、私はとことんふざける事した。
それは、そのつまらない仕事を楽しくやるために考えた事だった訳だが、結果的には、人がやらない斬新なアプローチがその後の伝説的なマーケティング手法となり、その事業は数千億のビジネスとなる。
その経験から、同業で独立して稼ぐと、金には金を求めて人が群がり、人が群がると金が群がる。
つまり、悪循環の真逆の好循環が生まれた。
魔物は天空に住んでいると萬田銀次郎氏も言う通り、上手くいっている時はもっと上を見ているので、まさか下がるとは思わない。
しかし、案の定、終わりは訪れ、昨日まで友達だと思っていた奴らも取引先も、結局は金に群がっていたに過ぎず、金の切れ目が縁の切れ目となった。
この教訓で、学んだ事は、
・金が金を生むという事
・金で動く人が多いという事
・儲かっても失う覚悟で動じない事
という事だ。
金の力ではなく、自分の能力を過信し、周りにいる人も自分という内面に惹かれ、魅力を感じてくれていると考えていたのは完全なるおごりだった。
2回目に金持ちになった時には、前回の教訓もあり、少し冷静というか、物事に冷めていた。
しかし、相変わらず、人生を楽しもうというスタンスは変わらないため、金に群がる人たちと楽しむことにした。
数百人が簡単に裸になり、高価な食事やプレゼントを喜ぶ。
また、仕事面でも儲けは興味が無いから利益度外視で遊んでいると、逆に儲け話が舞い込んできた。
欲しいと思えば手に入らないのに、特に望まなくても、価値を生めばお金は回ってくるのかもしれないと思った。
その価値を決めるのは人なので、つまりは価値であれ、なんであれ、人が集まればビジネスになるのかもしれない
それは欲望だったり、必需品だったり、娯楽だったり。
いずれにしても、狙って得られるものでは無いが、狙わないと当たらない。
つまり、狙い通りにはならなくても、狙うこと、行動する事が重要なのだ。
今は、女も金も無いが、正直寂しさと共に平和を手に入れた。
平和は物足りなくてつまらないが、またあの刺激的な世界に戻りたいかと言われたら正直疲れた。
大金で、この平和でつまらない毎日を買ったのかもしれない。
贅沢な買い物だ(笑)
無駄な時間、平和な時間はとても貴重だと思う。