柴犬が好き
私のノートになぜか「好き」してくださったかたが柴犬好きらしく、そこは私のツボでもあったので、書いておこうかなと。
あ。いや。明日急遽最低3つは弁当作らにゃならなくなり、その支度をしたくなくて現実逃避してるのもあるんですが。
子どもはよく「動物なら何が好き。」と、聞いてくる。
私はいつも「柴犬が好き。」と答える。犬全般ではない。柴犬が好きなのだ。
実家には18まで生きた柴犬がいた。
忠犬てわけでも、飛び抜けて賢いというわけでもなかったけど、好奇心旺盛でマイペースで、ちょっと怖がりで、本当に愛しかった。
名前が2文字だったのだが、母が散歩中試しに名前を呼んでみたら振り返る。今度は2文字の我が子(私か妹)の名前を呼んでみると、やはり振り返る。ちょっと怪訝そう。
散歩で行くべき方には行きたくなくて、数歩従ったふりをして、臭いを嗅ぎながら知らんふりして方向転換を図る。
自分のおならの音にびっくりして振り返ったこともあった。
お腹が空いたときの催促の鳴き声が「チョーダイよー!!」と聞こえたり。
意地悪した奴が小屋の前で散歩に誘っても出てこなかったりした。
家にあげてもらって、人間が美味しそうなものを食べていると、キラキラした眼差しでこちらの目線の先に回り込んでお座り。
なんというか、その佇まいが好きだった。
最後の方は、人間の赤ちゃん用オムツに尻尾穴を開けて履かせてもらって、終日家の中で暮らした。歳を取って寒さが堪えるようになったからだ。
よくガス温風機の真ん前に陣取っていたのでお尻が熱くないか心配した。
死んでしまってしばらくは、そこに居ないことに慣れなくて辛かった。よその犬を見ると涙ぐんでしまったりした。
もう居なくなってこの秋で12年。
極めて個人的体験に基づき、今も柴犬を見かけると、いいな、可愛いな、綺麗だな、と思う。
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