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Rちゃんとの思い出

加納鎖ゐ子です。


4年生の頃出会った「Rちゃん」という女の子

私の事をたくさん好いてくれました。彼女も片親という共通点があり、仲良くしてくれていました。交換日記とかしてくれたり。

ただ排他的というか、友達を独り占めしたいような子で、私はそんな彼女の事を少し重たく感じていました。

他の子と遊びたいのに、他の子をいじめるような事をして私にも「あの子無視しようよ」と言ってきたり。一番嫌だったのは私の家の事をバカにしてくることでした。

私の家が一軒家(マイホーム)ではなく「借家」だとノーテンキな私に気づかせてくれたのも彼女でした。別に借家が悪いわけではけっしてないんだけど、彼女の言い方は明らかに私が貧乏であることをつつくような棘のある言い方で彼女の言葉で「あっ私の家って貧乏なんだ」と気付きました。それからRちゃんの事がとても怖くなりました。私が気付きたくない事の核心をつかれて嫌いになった。そんな感じで…お陰様でつい最近までずっと貧乏コンプレックスでしたガハハ

若い頃言われた言葉ってめちゃくちゃ引き摺るよね〜〜〜

当時母親に「お願いだから転校したい」「学校行きたくない」と毎日言って

新聞に挟まってるアパート、マンションのチラシを見てはどこでもいいから引越したい…と思う日々


から暫くして、借家から市営住宅へ引越しすることが決まりました。かねてより母親が応募を続けていた市営住宅に空きができ、見事うちの家族が当選しました。


家賃は8千円。

引越しに伴い転校が決まりました。とてもうれしかったのを覚えています。


校区外への引越し。めちゃくちゃ嬉しかった。今まで仲良くしてくれてた友達と離れてしまう悲しさよりRちゃんと離れられる嬉しさの方が余裕で勝った。



新しい家は借家の時より狭くボロく汚いけど引越せて彼女と離れられるだけでよかった。


しかし結局新しい環境になっても、不登校になりました。


その話はまた今度…


先日部屋の片付けをしていたらRちゃんがくれたノートを見つけました。

池山田剛先生の絵が表紙だったから少コミの付録だと思う。ピンクのノート。

中を開くと最後のページに

「Rは何があってもさいこの味方だからね!」

と書いてありました。


不器用なりに私の事を気にかけていてくれてたのかな。





そう思わないとやってられません。

子供時代は私も残酷でした。でも彼女と出会ったことは後悔していません。引っ込み思案な私の手を引っ張ってくれた事、とても感謝しています。あとイーカラとゲームキューブで遊ばせてくれてありがとう。また会いたいとは思わないけどどこかで幸せに暮らしていて欲しいです。


日常で「最高!」と言う時、脳内の変換が「鎖ゐこう」になっている事に気づいたあなた、立派な鎖ゐ子オタクです。いらっしゃっせー!