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生きてて良かった〜鎖ゐ子の場合〜


加納鎖ゐ子です。


小6の頃私は学校へ行くのをやめました。

理由は簡単に言うといじめです。

自分にも原因あったかもな。でもその時初めて孤独を感じて、なんだかクラスのみんなも、先生も通学路も何もかも嫌になった。


少し前に投稿したRちゃんとの事もあるし人間を段々信じられなくなった。

1月に完全に学校に行かなくなった。

その日に生理になった。なんかもう色々パニックだ。

冬休み明け 友達?(クラスメイト)が家に来た。お母さんは家に入れようとしたけど私は泣いて拒んだ。なんで来んの?なんでいれるの。なんでクラスで手紙なんか書いてくんの。みたいな。なんでやねん。うちは学校の人に会いたくないのに。

結局玄関口だけで帰ってもらった。手紙も一応貰ったけど捨てた。

そっから1年はほとんど人と関わらず過ごした。朝一応起きて(起こされるからw)はなまるマーケットと教育テレビを見て昼寝して午後のワイドショー見て、夕方の再放送のドラマ見て、アニメ見て、ご飯食べて深夜までテレビ見て寝る。文字にすると幸せこの上ない、今1番したい生活なのだが…当時は心にぽかんと穴が空いていてそれをテレビという情報で埋めようとしていた。

あまりにも虚無過ぎてなかなか当時の事が思い出せない。ただ物凄く死んでしまいたかった。

何回か死んでしまおうとした。自傷行為をした事もある。夜は基本泣いて過ごした。

包丁持ってるところをお母さんに見られて止められた。最初こそ「学校に行け」とうるさく言ってきた母だったけど次第に何も言わなくなった。それが私には有難かった。

基本家から出ない、出たとしても近所のセリアか古本屋、心療内科の3箇所だった。

そんな生活を続けてたある日、(1個前の)小学校の頃同じクラスだった子から急に連絡が来た。


「フリースクールに一緒に行かない?」


同じ位の歳の子達と話すのも怖かったし、中学を辞めるつもりでいたので(サイコはアホだから知らなかったけど義務教育って中退とか出来ないのな!当時担任だった先生にたしなめられたわ)今更フリースクールとかいいやと最初は断った。

ただその友達は諦めずにずっと誘ってくれた。母親からも勧められしぶしぶ市内のフリースクールの見学へ行った。外に出るきっかけをなくしていた中学1年の私を外に連れ出してくれたのはは同じく不登校の友達だった。


フリースクールでの生活はまた今度お話したいと思います。結論から言うと先生達に本当に大事にして頂いて私のメンタルはかなり回復しました。というか回復しすぎました。長く付き合える友達も出来たしあの場所での2年間は私にとって宝物です。


さて生きてればきっといい事あるよ。って思う。個人的には。昨日の半沢直樹でもはなちゃんが言ってたの見てなんだか泣きそうになった。

自分にとって辛い事もそこそこにあるけど、行動する事によって楽しい事もそこそこあったよ!


今この時期にこのnoteを書いて大丈夫かなとも思うけど私は未来を信じていたい。上手く伝えられていなかったらごめんなさい。辛い人に生きろっていうのもそれはそれで無責任だよね。でも私は、私の場合はあの時踏みとどまってよかった。「死にたい」と思う事も言う事も無くなった。


生きてて良かった。















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加納鎖ゐ子a.k.a.45さいちゃん
日常で「最高!」と言う時、脳内の変換が「鎖ゐこう」になっている事に気づいたあなた、立派な鎖ゐ子オタクです。いらっしゃっせー!