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【ホロライブ】「配信活動終了」は何のために作られたのか?
「配信活動終了はキャラクターIPを残すための措置である」説について
ホロライブが沙花叉クロヱの配信活動終了を発表した。
【沙花叉クロヱ配信活動終了に関するお知らせ】 pic.twitter.com/7z42ABgHfg
— ホロライブプロダクション【公式】 (@hololivetv) November 29, 2024
発表されたのが「卒業」ではなく「配信活動終了」であったことが各所で話題になっている。たとえばインサイドの記事にYahoo!ニュース上でコメントした篠原修二という人物は、以下のように述べている。
何が違うのかと言うと、配信活動は終了するものの「ホロライブプロダクションのタレントとしては継続して所属する」とのことです。 これにより卒業しますが「グッズの販売が継続して可能」となり、そのほかにもホロライブの活動に限定的に復帰することがあるそうです。 企業側は継続してIP収益が見込め、演者側も継続的にホロライブで露出が期待できるため、双方に良いかたちでの卒業となるのではないでしょうか。
またオタク総研の記事では次のように説明されている。
これまでの「卒業」という形態では、卒業タレントのコンテンツが視聴できなくなったり、グッズ販売がされなくなったりする。一部では「卒業と変わらない」との声も寄せられているが、「コンテンツを残しておく」との方針はタレント当人やファンはもちろん、カバー側も経営の観点では有用とも想定されている。
ポイントは、どちらも「配信活動終了は卒業と違って今後のグッズ販売が可能」という考えを示していることである。Twitter上でも似たような解釈を示しているツイートが無数に見つかる。そしてその解釈は、必ずと言っていいほど、カバーがタレントの活動終了後もキャラクターIPで利益を出そうとしているのではないかという疑念とセットになっている。
そうなのだろうか?
そもそも、冒頭に載せた「沙花叉クロヱ配信活動終了に関するお知らせ」において、配信活動終了の具体的な内容は「YouTube等のプラットフォーム・SNS上における配信活動やライブイベントの開催、定期的な新規グッズの販売等をはじめとする定常的な活動を終了する」ことだと書かれている(太字は引用者)。つまり、卒業であろうが配信活動終了であろうが、その後新しいグッズは出なくなるのである。
では、これまでに出ていたグッズの販売に関して違いがあるということだろうか。それは事実だろう。配信活動終了したワトソン・アメリアと沙花叉クロヱについては、お知らせに「現在販売しているグッズ等につきましては継続して販売する予定」である旨が記されており、卒業した湊あくあについてはこの文言がない。
しかし、実態としてそれほど大きな差が出てくるのかを考えるとよく分からないところがある。たとえば卒業した湊あくあについてホロライブプロダクション公式ショップで検索すると、確かにスターティングボイスが買えなくなっているなど配信活動終了メンバー(アメリア・ワトソン)との違いはあるが、今でも購入できるグッズは多数存在する。
まだ在庫があるだけで売り切れたら再製造・再販売はしないということかもしれないが、少なくとも卒業したからといってカバーが既存グッズをまったく販売することができなくなるわけではないことは事実である。したがって、少なくとも配信活動終了の最大のポイントがグッズ販売の可否にあるというのは疑わしい。
では、オタク総研が言及していた「コンテンツ視聴」がポイントなのだろうか。これも違うだろう。卒業した湊あくあのYouTubeチャンネルは今も残っているし、将来どこかの時点で消去されるというアナウンスもないため、今後も残り続ける。そして湊あくあのオリジナル曲も削除されていないので、カバーはそこから生じる利益を今も得ているだろう。
したがって、「配信活動終了はキャラクターIPを残すための措置である」という説は、そもそも前提の「卒業するとIPが残らない」が不透明であるために、あまり説得力がないように思える。
寂しさの軽減
では配信活動終了とは何のための措置なのだろうか。いったん、カバーが公式noteで出した記事をよく読んでみよう。
まず、「卒業」は「タレントがプロダクションを離れ、一部進行中のプロジェクトを除きすべての活動を終了すること」だとされる。しかし卒業は残されるタレント、ファン、スタッフにとって「非常に強い寂しさを伴うもの」だった。そこで「新しい「卒業」の一つの形」として考案されたのが「配信活動終了」だという。
「配信活動終了」は、「将来のプロジェクトにおけるプロダクションの思いと、タレントの意思の合意によって、偶然タイミングの合った卒業生が母校に顔を出すかのように、今後も限定的な形での活動をお届けする機会を願う取り組み」だという。そして、まさに卒業生が母校に顔を出すかどうかが人によって異なるように、今後の限定的な活動の範囲はタレントによって異なると説明されている。
最後に、「より様々な活動ができるプロダクションへ」と題したセクションでは、「皆様に支えて頂ける環境をより良くするために、またプロダクションを離れるタレントが新たな門出を迎えるにあたり、ファンの皆さまの不安や寂しさを少しでも軽減しながらプロダクション、そしてタレント自身がより幸せで明るい未来を作れるよう、今後も前進を続けていきます」と結ばれている。
この記事はシンプルである。卒業はとても寂しいので、卒業よりも寂しくない門出の形を用意した。その軽減は、今後も限定的な形であれば活動の可能性があることによってもたらされる、ということだ(この記事では既存グッズの販売継続については何も述べられていないが、寂しさの軽減という観点で正面から説明してもよかったのにと思わなくもない)。
このように、「配信活動終了」については、外側から込められた意味と内側から込められた意味がかなり食い違っているように見える。そして、それは別にカバーが本心を隠してきれいごとを言っているからではないと私は思う。では、なぜこのような行き違いが生まれるのだろうか。
生きたIPを残すこと
行き違いが生じているのは、VTuberビジネスと他のIP(キャラクター)ビジネスとの違いがよく理解されていないからだと思われる。VTuberをディズニーやサンリオのようなIPと似たようなものとして理解した場合、「配信活動終了」という言葉は「アバターは残るので、アバターだけで可能な活動は行う」という意味合いに聞こえるだろう。純粋なキャラクターIPビジネスに移行するように見えるのだと思われる。
しかし、繰り返すが「配信活動終了」には「定期的な新規グッズの販売」の終了も含まれているので、そのような意味合いの言葉ではない。そもそもカバーは、タレントが去っても残されたアバターだけでビジネスが可能だという考え方をしていない。CEOの谷郷元昭が今年1月に記者向けに行った説明を見てみよう。
ここで谷郷は、「VTuberとは、モーションキャプチャーを用いてアニメルックアバターで活動するバーチャルエンターテイナーのこと」と定義した上で、VTuberの特徴の一つとして、「インフルエンサー×キャラクターのそれぞれの特徴を併せ持つ生きたIP」であることを挙げている。この部分だけでも、キャラクター(アバター)だけではVTuberが成り立たないと考えられていることが分かる。
さらに重要なのは以下の部分である。
VTuber(の中の人)を将来的に生成AIが担う可能性はあるのか、という問いに対しては、すでに実験を行なったとした上で、「可能性はない」と明言。「VTuberのビジネスは、ファンがタレントの目標を応援するという構造。VTuberビジネスの本質は、応援すること」とし、生成AIによるキャラクターは、そうした人の熱意を向ける対象にはなりえないとした。
VTuberビジネスの本質は応援であるという見方は、昨年PIVOTに出演した際にも語られていた。
「配信活動終了」が何のために作られたのかを理解する上で最も重要なのはこの点だと思われる。「卒業」と「配信活動終了」の違いとしてカバーが強調しているのは、今後タレントとプロダクションの合意の下で「限定的な形での活動をお届けする機会」があるかないかであった。それは言い換えれば、ファンが今後もそのタレントを応援する余地があるかないかの違いである。応援する余地がなければ、そのVTuberに関するビジネスは成り立たない。今後も活動する可能性が少しでもあるのであれば、それを願って既存グッズを購入するといった行動は、応援消費の一種としてなしうるだろう。カバーが述べていた「寂しさの軽減」は、応援の観点から見るなら、応援の余地を少しでも残すという意味になるだろう。生きたIPであるVTuberを応援してもらうビジネスであることを理解しているからこそ、応援の余地が完全になくなる「卒業」とは別のものが要請されたのである。
なお、今述べたことは、谷郷の言う「Vtuberは本人の稼働がなくてもマーチャンダイジングやライセンス/タイアップで収益があげられるビジネスである」ということとは矛盾しない。「本人の稼働」と「本人の存在」は別物だからである。タレントが長期間にわたって活動を休止していたとしても、タレントとして存在している限りはファンは復帰を待って応援し続けることができるし、その応援にはグッズやコラボ商品を買うことも含まれる。しかし、たとえば今ホロライブが湊あくあの既存グッズを本人の同意なしに再販したとすると、それを買うにせよ買わないにせよ、ファンはそれを買うという行為が何を意味するのか少なからず戸惑うことになるだろう(少なくともそれは応援ではなく、グッズのコンプリートとか、思い出のためといったことにしかならないだろう)。VTuberは徹頭徹尾生きたIPであり、単なるキャラクターIPには移行できないのである。
ところで、上に引いたカバーのnote記事には、タレントが卒業と配信活動終了を選ぶことができると解釈できるような文があった。
また、とても大事なこととして、「卒業」と「配信活動終了」に優劣はないということをご理解ください。プロダクション側の願いは新たな門出の形の提供であり、どのような形をタレントが選択したとしてもそれは尊重されるべき決断だと考えています。
私が少し懸念しているのは、本当にタレントに選択の余地があるのかということである。昨日の一連の配信では、沙花叉クロヱ自身は「卒業」と述べており、天音かなたなど他のタレントも沙花叉の表現を尊重して「卒業」と述べていた。これは最初に配信活動を終了したアメリア・ワトソンのケースとはかなり異なっており、少なくとも私は戸惑った。本当は卒業であり、今後の活動の可能性はまったくないタレントについても、配信活動終了と表現しているのであれば、そこには欺瞞があると思う。応援しても意味のないタレントを応援する意味があると言っていることになるからだ。
今後タレントの意向にかかわらず配信活動終了がデフォルトになっていくような展開にならないことを願っている(必ずそうなるだろうとまでは今のところ思っていない)。もしそうなったら、そのときカバーがしていることは、単に「キャラクターIPでビジネスしている」ことではなく、「生きていないIPを生きているように見せかけてビジネスしている」ことになるからだ。お金儲けは別に悪いことではないが、嘘をつくのは悪いことである。