Youth Yamada (ミュージシャン) [Interview in Brooklyn vol.9]

アメリカで生まれ、7歳のときに日本へ引っ越したというユース・ヤマダ。その時アメリカに残った母親とは、つまり7歳で生き別れたそうだ。大人になってニューヨークに引っ越して来てからなんとなく「20年近く会っていない母を探してみよう。」と思いたち、探してみたら近くにいることがあっさり判明し今は友達のような関係、というドラマティックな話を、録画をオフした後の雑談で淡々と語ってくれた。
近頃、毎日ユーチューブにアップしているというビートルズのベースカバーも、丸々一曲、バックトラックは流さずに本当にベースラインだけなので、淡々と、シュール。
次回7月13日ハニーズチューズデイで演奏して頂くにあたり、彼自身と彼の音楽のルーツについてお話をうかがった。

ユースヤマダです。アメリカで生まれました、フィラデルフィアの病院です。7歳ごろ日本へ引っ越しました。東京の隣です。そこで20年ぐらいを過ごしました。2009年からニューヨークに戻り暮らしています。

アメリカから日本へ引っ越したのが7歳。何か大きな変化は感じましたか?

そうですね、何と言うか...カルチャーギャップは結構ありました。やはり人のキャラクターが違うというか。僕は日本語ネイティヴだし、両親は日本人でしたが、ひとによっては何だか...いわゆる帰国子女? アメリカから来た少年といったような扱いを受けていた時期もありました(笑)。
日本へ越したばかりの頃は特に、小学校の時だったかな?もう少し続いたかもしれません...必ずしもいつも居心地が悪かったというわけではありません。でも何人かの人々は(僕を)そういう目で見ていたと感じることはありました。

大人になってから自分の意思でニューヨークに引っ越したのは、なぜでしょうか?

それは音楽がやりたかったからです。子供の頃住んでいた所を見たかったということもありますが...あまり覚えていなかったので。でもやっぱり主な理由、メインは音楽ですね。特に60年代が大好きで。もちろんアメリカの市民権があったというのも、もう一つ理由ではありますが。

音楽以外には、何かされていらっしゃいますか?

フリーランスで色々とやって来ました...翻訳やツアーガイドの通訳、他のミュージシャンのコーディネーターなどもです。音楽の知識と英語を活かして、例えば日本から彼らがライヴやレコーディングがある時に手助けが出来たりします。

楽器を始めたきっかけは?

ビートルズを全曲...ビートルズの4人がプレイした楽器は一通り自分で演奏したことがあります。彼らはギター、キーボード、ベースとドラムを演奏しています。それで僕もそれらの楽器を全てプレイするようになりました。東京の大学へ通っていた時にはビートルズサークルにも所属していました。僕は楽器は左利きなので、最初はポールマッカートニーのパートから始めました。それ以前はだいたい自分の部屋で、ひとりでアコースティックギターを弾いていました。中学高校生の頃ですね。さらに遡ると...母親がクラシックのピアニストだったのでピアノも弾いていました、少しだけ。

2015年と2019年に、『ジョンレノン ソングライティング コンテスト』でファイナリストに選ばれていらっしゃいます。
2015年 Shining' On
2019年  Goodnight Darling

オリジナルの曲を作り始めたのはいつ頃でしょうか?

確か大学のサークルではビートルズのカヴァーバンドをやっていて、ちょうど卒業する時にオリジナル曲を書いて自分達のバンドを結成しました。レノン-マッカートニーのようにパートナーとの共作もしていました。

現在は主に、どのような活動をされていますか?

今までいくつか自作曲のアルバムをオンライン、デジタルでリリースしていました。今度は本物のレコードを作ろうとプランを始めています。あとはYoutubeでビートルズの曲をデビューから最後まで、ひたすらベースを弾いて毎日アップロードしているのでぜひ観てみて下さいね。

ニューヨークの中でお気に入りの場所は?

お気に入りの場所...難しいですがひとつはまさにここ、自分の(古い)アパートのリヴィングルームです(笑)。他にもプロスペクトパークとか。
あとはやはりグリニッジヴィレッジが一番で、Fat Catとかライヴハウスでジャズや様々な音楽を聴くのが好きですね。それとアップステートの山々、自然も良いですね。

インタビュー : Twisty
日本語訳 : ユースヤマダ

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