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【Mouthwashing】感想+考察
はじめに
包帯人間のビジュアルに惹かれて手に取った本作。暫定GOTY2024であり、おそらくこのまま今年は終わる。
全世界的に人気が爆発しているゲームなので今更なレビューはさっくりと終わらせ、既クリア者向けに言いたいことをメインに記事を書く。
このゲームは5人の乗組員を乗せたとある宇宙船(貨物)の崩壊を描く、一人称視点の短編ホラーゲームだ。
宇宙船の衝突事故のシーンに始まり、「衝突事故を引き起こした船長:カーリーの視点(衝突までN日)」と「衝突事故の後始末をする船長代理:ジミーの視点(衝突からNヶ月)」の2視点を交互にザッピングし進行していく。
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各シーンでは並の作品であれば出し惜しみされるような情報がバンバン明かされるため、非常に展開が早く グイグイと物語に惹き込まれる。
ホラーゆえどうしても人を選ぶ。臓器などの描写はあるし、直接的なジャンプスケアは無いものの、正直かなりプレイ体験として怖かった。それと同時に面白かったし、印象深かったし、好きだった。
とにかく結末を迎えて以降 動悸がおさまらず、荒れる感情を抱えながら文字を打っている。これは恐怖のせいだけではない。未体験の方、ホラーゲームに耐性のある方はぜひプレイして この魅力を味わって欲しい。
◆
以下は作品の内容に踏み込んだ記事となる。主にどういった点が面白かったかと、自分がこの作品から読み取ったことを纏めた。また 本作の宣伝を踏まえた前作にあたる【How Fish Is Made】(とそこに内包されるもう一つのゲーム)の内容も踏まえているためご容赦いただきたい。
昼と夜の間で時が止まる
終わりのない永遠の夕暮れ時
ゲームに騙されたい、圧倒されたい
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ホラーゲームは特殊なジャンルだ。「プレイヤーに恐怖体験を与えること」自体に価値があるため、面白さに対するハードルが低い。筆者は考察を書き、実績をコンプリートするためゲームを2周し、コンソールモードからチャプターごとにプレイをしたが、2周目なのに冒頭から恐怖でリタイアしそうになった。2周目なのに思わず顔を背けるシーンもあった。
この作品はホラーゲームとして一級品である。にも関わらず、恐怖以外の要素も素晴らしかったのでその点を書きたい。それこそが「プレイヤーのコントロール」だ。
筆者が普段ゲームを漁る時、一番求めているのは、「ゲームに騙されたい、圧倒されたい、振り回されたい」というものだ。そしてこの作品は物語構造に大掛かりな叙述トリックを用いている。
カーリー船長がこんな行動をとるなど、誰が想像できただろう?乗務員たちを当然のごとく道連れにしようとした結果、この男は自殺すらまともにできなかったのだ。四肢を失い、口も利けなくなるほどの重傷を負ったカーリー船長の運命は今、ゆっくりと迫る死を待つしかないクルーたちの手に委ねられることになる。
ゲームは終盤まで「なぜカーリー船長は衝突事故を起こしたのか?」を追う物語として進行する。カーリーの視点である「衝突までN日」を追っていくことでその謎が明かされるのだろう、と。
そして迎えた「衝突まで0日」のシーン。プレイヤーに与えられるのは、「衝突後の主人公であり、カーリーの衝突事故の真相を追っていたジミーこそが衝突事故を招いた張本人である」という事実だ。彼は周囲に嘘を吐き、プレイヤーを欺いていたのだ。
他のプレイヤーがどうだったか知らないが、筆者は示されたあらすじ通りにストーリーラインを追っていたため、完全に騙されていた。
このトリックを成立させるのが「一人称視点のゲームであること」「2人の視点を交互に体験するゲームであること」だ。つまりゲームの構造自体が、トリックに最適化されたものになっている。
筆者はゲームを通じてこういう体験をしたかったのだ。
「衝突まで0日」のシーンに至るまで、たとえばスウォンジーに疑いの目を向けさせるミスリードも見事だ。
密談でアーニャに涙を流させ、作業室への侵入を阻み、斧を手にコックピットを突き破り、挙句冷凍ポッドの存在を隠す。まんまとプレイヤーの疑いの目がスウォンジーに向くようにできている。
ジミーに従っているのが 今回インターンとして初めてタルパ号に乗り込んだ何も知らないダイスケであるというのも真相を隠すための巧みな作劇だった。慕う人間がそばにいることで、プレイヤーは状況に悩まされながらも全力で挑むみんなのリーダーであるジミー像を信じることができる。
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そうして真相が明らかになった瞬間から、信頼できない語り手であることが判明したジミーの暴走は拡大していく。
◆
プレイヤーの認知を逆手に取った演出はここに留まらない。
たとえば筆者が感心したのは、ダイスケのための消毒薬を探すパート、突然現れた墓の文字を読もうとインベントリを開き、閉じると場面が転換している演出。
これまで読めない文字をコードスキャナーで読んできた、説明がなくともプレイヤーは今までと同じようにそうするだろう。医療室の一部を視認できない状況、この状況で正体不明の墓が出てきたならばプレイヤーはコードスキャナーを使うだろう。そういうプレイヤーと開発者との信頼や対話が裏にはある。
カーリーがジミーとの面談を済ませた後、通知を入手する。それをプレイヤーが読もうとインベントリを開いた瞬間にチャプター変更の演出が発生する というのもまた、プレイヤーの認知を利用した演出だ。
それと同時に、通知を受けたカーリーの気が遠のくような絶望を表現しており素晴らしい
【Mouthwashing】はストーリーも、構成も、グラフィックも、演出も、扱っているテーマも、もちろんホラーゲームとしての役割も 全てが高水準のゲームだが、何よりも入念に計算されたトリックを通された体験が筆者にとっては衝撃だった。
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怒涛の展開に驚かされ続けた本作であったが、一方で筆者はラストシーン、カーリーを抱えた瞬間に「この先 カーリーがどうなるか、ジミーという男が何をするか」を理解していた。プレイヤーを振り回しつつ、プレイヤーの胸にストンと落ちる結末を与えてくれるところも本作の魅力だ。
考察と持論
キャラクターごとに分け、考えたことを書いた。根拠のある解釈から 余白を自分で埋めた解釈までいろいろある。関心のない事項への読み解きほど甘いため あくまでひとりの人間の考えとして捉えて欲しい。それから全てのキャラクター解釈の前段に「ポニー運送の過酷な労働体制」があることは念頭に置きたい。
カーリー
カーリーの内心
ジミーの妄想においてカーリーは発言するが、あれをそのままカーリーの内心と捉えるプレイヤーはいないだろう。各プレイヤーが、なされるがままになっているカーリーの心情を推察しているが、身も蓋もないことを言うと、カーリーの人格や「カーリーらしい思考能力」はもはやカーリーの中にはないのではないかと考えている。
「これは作品なのだから、そこには何かしらの意図があるだろう」と考えるのが普通ではあるが、これはカーリーを思い通りの言葉を代わりにしゃべらせる【靴下人形】として扱うジミーを否定的に描いた作品だ。彼の内心を想像する時に、どうしたってプレイヤーは自分の意志を反映する。ジミーへの憎悪を募らせた、アーニャへ謝罪していた、自分の行いを後悔していた…いずれの想像も結局はプレイヤーの願望の反映であり、プレイヤーがカーリーを【靴下人形】として扱う構造ができてしまう。
ゆえにカーリーの内心は想像すべきではない。ジミーは「無」から責められ、「無」に対して救いを求めているのだ。
◆
根拠がひとつある。
【How Fish Is Made】のカーリーは3人の男の笑い話をする。それぞれ「両手を失った男」「両足を失った男」「聴力を失った男」についてだ。この例えにおいて 前二つがカーリーの状態と一致しているため、最後の一つもカーリーの状態と一致しているのではないか。
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その場合 事故後のカーリーの思考能力が事故前と同程度だったとしても、ジミーや他クルーの発言を読み解くことができないため、結局「内心」と呼べるほどのものは醸成されてないのでは無いか。
製作者Q&Aの中で「How Fish Is Madeは正史に含んでよい」と回答されていたため、ほぼほぼ聴力についてはこの解釈と捉えていいだろう。
反証としては「ラストシーンでカーリー操作になった時に音が聴こえてる」というものがあり、これは最もな指摘だと思う(が、あのシーンで無音だと本当に何もわからないため演出優先でああするしかなかったとも思う)。
・カーリーはなぜ笑ったか
ところで上記の説を採用すると、銃を取った時にカーリーが笑った理由に説明がつけられなくなる。このnoteを書いた当初はジミーの妄想と片付けたが、このゲームにおいて妄想と現実のパートはしっかりと区分されているため、考察としては不足している。
これに関する考察記事をひとつ紹介する。
ありがたいことに筆者の記事から「カーリーの聴覚不全説」を採用し、カーリーが笑った理由の考察を行なっている記事だ。内容については当該記事を読んでいただきたいため敢えて書かないが非常に説得力がある。
せっかく説を引用いただいたので、筆者もきちんとこの謎に向き合わねばとの思いで考えた。
カーリーの内面については前述のとおり プレイヤーの願望が投影されるため基本的に考えるべきではないが、「ジミーが銃を手にした時に笑った」「痛み以外のほとんどの事象に無反応・無抵抗だった」と【How Fish Is Made】で書かれている内容は考察の材料になる。
「痛みにのみ抵抗を示した」描写から考えると、銃を見たことで「死=苦しみからの解放」を連想した結果笑ったのではないか。何が起きているか、何が話されているのか、目の前の人物が誰かさえ分かっていないが、なぜか苦しみ続けている己にようやく死がもたらされることを理解して笑ったのだ。こう捉えるのであれば「カーリーの内心」を想像しない自説とも共存できる。
個人的には事故後のカーリーの明確な意思は【How Fish Is Made】の世界にあり、【Mouthwashing】で事故後のあれこれを体験している肉体には意識がない という解釈をしている。
カーリーの生存可能性
正直彼の身体が コールドスリープの解凍どころか、コールドスリープ自体に耐えられると思えない。そのため、この物語に生存者はいないと考える。カーリーを殺害し、ジミーは自害した。
筆者は「死体を宇宙空間に打ち上げる」描写が好きだ(サイパンDLCソミエンド)。いつか宇宙船の残骸がサルベージされた時、奇妙な死体4つと、およそ生きているとは言えない状態の冷凍人間が発見されると思うとなかなかロマンを感じる。「解凍すれば中の人物が死ぬので絶対に開けられない箱」は、アウターワールドや、火の鳥の未来編のようだ。
更に脱線するが、操作キャラクターの手足が基本的に見えない本作において、ラストシーンで己の無力な手足を見渡せるのは本当にいい演出だ。エンドロールが流れてもしばらくは操作が効くが 下半身から凍結が進み、やがて視点の操作が効かなくなるというのは圧巻の表現だ。
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あの状態のカーリーが生き延びるのは難しいため、作中のどこかの時点で死亡している説もある。その説は非常に好みなのだが、最後にカーリーの視点で カーリーを操作して物語を終えることができるため、カーリーは最後まで生きてはいたと筆者は考える。
カーリーが生かされた2つの理由
衝突2ヶ月の時点で アーニャとの会話に登場するこの話題。1つ目の理由は直前に語られる「なぜカーリーは衝突事故を起こそうとしたか?」で間違いないが、2つ目の理由ははっきりと明かされていない。
タルパ号の船員で話し合って決定したものらしいが、個人的には「苦しみ(罰)を与えるため」が作品テーマともしっくりくると考えた(これについてはアーニャの項で更に掘り下げた)。船員は彼の苦しみを祈ったのだ。
カーリーが事故を起こした理由などなく、(前述の解釈だと)罰を受けるべきカーリーの人格もないので、「カーリーが生かされた理由」も本当は無かった。
プレイヤーの印象ほど立派な人間でもない
作品のトリックが明かされて以降、優秀な船長であり言葉に説得力のあるカーリーと、カーリーの言葉のみをただ模倣するジミーの対比が浮き彫りになる…と思っていたが、2周目をプレイして感じたのは「カーリーの発言も大概中身の伴っていない口先だけのもの」だった。
それでも思いやりや とっさの責任感がある分ジミーとは比べものにならないが。
カーリーはアーニャのSOSを見逃し、ジミーの危険性を見抜くことができず 最初の衝突事故を間接的に招くことになる。この事故をカーリーの責任とするのは酷であるが、カーリーが真剣に2者と向き合えば防げた事故であったこともまた事実だ。
ただ、船員に解雇を伝えたのが「Mouthwashing」と言われてしまうのは可哀想だと思う。伝えるのが後でも先でも船員が苦しむのは必至で、これが選択肢のあるゲームだったとしたら自分は選択を悩んだと思う。というか「早めに告げたほうが解決策が考えられるから」という理由で先に伝えることを選ぶかもしれない。
Mouthwashing:殺菌などの確かな効果の期待できない 自分がスッキリするための自己満足的な行為のこと
◆
彼の善悪については活発な議論が交わされており、プレイヤーごとの評価のブレが最も大きいキャラクターで、ある意味プレイヤーの属性を反映する鏡のような人物だ。ジミーに引っ張られ「有能なリーダー」と捉える者がいる一方、アーニャの問題に対する楽観的態度は責められがちであり、時にはジミーの問題の全責任を負わされて非難を受けているのも見る。
個人的に最もしっくりきた評価は「善くあろうと努める中立者」であり、ところで「権力勾配の存在する問題に対して中立的に立ち回ることは時に危険を伴う」というものだった。
アーニャの問題についてジミーに肩入れするのは、女性蔑視だけが原因と単純に言えるものでなく、カーリーとジミーの付き合いが長いことも一因である。また、プレイヤーは物語を俯瞰して見て「性加害はあった」と確信しているが、カーリーの目線では一方の意見だけを聞いて判断できるものではない。
しかし立場的に弱い者と強い者の間に発生した問題について中立的に解決しようという姿勢は、公正ではなく 強者に寄り添った行為だ。そして、その構造に気付くことは難しい。
筆者も「両者の意見をしっかりと聞いて検証すること」が「公平で中立的な解決方法」だと考えていた。
カーリーの評価がなされる時に割と無視されがちであるが、本人も別に解雇後安泰ではなく(ジミーが勝手に仄めかしているだけ)、はしごの幻覚を解雇通知前に見ている、睡眠障害の傾向があるなど 他の乗組員同様に精神負担を抱えていることは念押ししたい。
アーニャ
妊娠騒動の相手とその関係性
作中の描写から相手がジミーであることは疑いようがないが議論の幅があるのは、その場合のジミーとアーニャの関係性だ。
カーリーが妊娠を告げられた際の反応が「誰が…」であることから 公然のカップルではない。その後にジミーだと察しているのは友人ゆえにジミーの女癖の悪さに心当たりがあってのものかと感じた。
(追記)
このシーンの会話の流れは「君が?何だって?誰が…」「船長、言いましたよね」「(略)ジミーとは長い付き合いだ、話すよ」というものであるため、アーニャが最近話したある情報が元となって相手がジミーだと気付いた…という流れが自然だと考察されており、まあそう考えるべきだろう。
アーニャはおそらくこの会話が行われる前の晩、ジミーによる直近の被害をカーリーに報告していたが、カーリーにとって直近の行為が妊娠と結び付かなかった。このシーンでは改めて被害が長期的なものであることを告発し、カーリーの中で遅れて合点がいったというシーンだろう。
しかしアーニャの反応からは、どうしても全く信頼関係のない間柄とは思えなかった。「ジム」と愛称で呼びかける場面や、ジミーの行動に対して過剰に感謝をするなど、描かれる会話や描写からは一定以上の信頼を寄せている様子が見られる。
性行為こそ不同意だったが、恋人に近い関係自体は元々あったのではないか?と思う。ここはかなり解釈が難しい。
(追記)
アーニャはジミーを刺激しないために親密に振る舞っていたのでは無いか?という趣旨のコメントをいただいた。性加害にとどまらず、児童虐待などでも見られる反応であるため納得する一方、この発想には至れなかったので まだまだ性差別描写への寄り添いが足りないと痛感した。
アーニャ個人の立場に立った理由は自己防衛で、ゲーム的には「慕われるリーダー」というジミー像を作り上げるミスリードの一環としての狙いもあるかも知れない。
アーニャ目線の衝突事故
2周目を遊んでいて感じたのは「アーニャの目線からすると衝突事故の犯人はほぼジミーなのではないか?」ということ。コックピットに向かったのはアーニャから妊娠を告げられたジミーであり、カーリーはそれを追っただけで、カーリー自身の目的地はコックピットではない。
動機の面でも、失職の危機に面した不安定な時期に妊娠を告げられたジミーが衝動的な行動を起こしたと捉えるのが自然な流れだ。
衝突から3ヶ月の時点でアーニャがスウォンジーに打ち明けた内容のひとつはこの疑念だろう。そのため、衝突4ヶ月時点でのスウォンジーのカーリー評が「ツキのないリーダー」になったのではないか。
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ジミーを考えるにあたって「わざと衝突事故を起こそうとしたのではなく、技術がないゆえに意図せず最悪の結果を招いてしまったのでは?」と思い冒頭シーンを確認したが、舵を反対に切り、セキュリティを抜けてまで自動操縦を切っているため、わざとです。
女性蔑視と性被害の矮小化
不得意なテーマゆえ深入りはしないが、この作品においてアーニャが背負ってるテーマが上記のものであるにも関わらず、プレイヤーのほとんどがその点に言及していないことが、皮肉にもこのテーマを上位構造的に再現しているという指摘が興味深かった。
あくまでアーニャの抱えるテーマであって 作品のメインテーマではないため、人々の感想がそうなってしまうのは仕方がないと思うが、感想を漁っていて「妊娠の必然性がわからなかった」というものも目にしたので まあ危惧されるのも分かる。
たかだか5シーンしかない衝突前において、アーニャは何度もSOSのサインを投げる。ジミーから診断時にハラスメントを受けていること、寝室に鍵がかからないこと。見ようによってはディスプレイの欠けの話もだ。そのいずれに対してもカーリーの反応は軽い。「俺がなんとかする」の実態は友人同士の ジョーク混じりのなあなあなやりとりだ。
銃を盗まれてようやくアーニャの様子がおかしいことに気付いたカーリーの「俺を頼ってくれて良かったんだ」に対する回答が「何をしてくれたって言うんです?」というどうしようもない断絶だ。カーリーは「何でもする」とは言うが、「カーリーがこの件についてジミーを罰することなどない」と散々軽視されたアーニャは分かっている。ジミーを「ここにいてほしくない」と望むアーニャの意見が聞き入れられることはない。
アーニャが銃を隠した理由
考察にあたって、アーニャの理解が最も困難だった。個人的には世間の人が捉えているほど アーニャはカーリーを慕ってはおらず、性暴力の加害者であるジミーとその訴えを軽視していたカーリー、双方信頼していなかったがゆえに、ジミーとカーリーの両方から銃を隠したのではないかと思う。
審判の直前、彼女が医務室に立て籠り「最高の瞬間」だと言った理由は、ジミーとカーリーの両者を突き放して己の運命を決断したためではないか。
筆者はどうしてもカーリーとともにいられることを「最高の瞬間」と称しているように見れなかった。あの場で閉じ込められたカーリーは、鎮痛剤や食事を口にすることができず、苦しみを味わいながら衰弱していくしかない。単にカーリーをジミーから守るためならば、カーリーと心中していただろう。ならばなぜ生かしたか。苦しみを与えるためだ。
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彼女は「自分を傷つけるような真似はしない」ので、自傷のためにODを行ったのではない。ジミーを過剰におだてることで船内にあるすべての鎮痛剤を入手し、カーリーから奪うためにODを行ったのだ。そして医務室に閉じ篭もることで、ジミーからカーリーと銃を隔離しようとした。
彼女は「ジミーとカーリーから銃を隠した」のだ。
ジミー
カーリーに責任をなすりつけたのは悪か
当人は保身のためにカーリーに責任をなすりつけたのだろうが、仮に正直に話した場合 その時点でタルパ号は崩壊していたので、結果としては最善の行動だったのではないかと思う。
もしかしたらスウォンジーがジミーを隔離して残りの船員で生き延びる手段を探る未来もあったかもしれない。その場合こそ正当なパニックホラーになりそう。
良いふうに想像するのであれば、限界まで延命しようとして、限界が来た時点で騙すような形でダイスケを冷凍して、カーリーを殺害して、アーニャとスウォンジーは自殺かな。
また「船内に流れるプレイリストに悪態をつくジミーとそうでないカーリー」や「アーニャの要求に苛立ちをぶつけるジミーと快く引き受けるカーリー」を指し、2人の船長としての格を比較するものがある。
実際に差はあるのだろうが、ジミーの視点は事故後、このまま救助が来なければ死を待つしかない極限状態であり 単純比較はフェアではない。
たすけて
内臓パズルの後にTV画面に表示される「たすけて」という文字。直前の「ごちそう」がジミーの思考であること、直後画面に映し出されるキャラクターがジミーであることから ここで助けを求めているのはジミーだ。
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この後に及んでカーリーに救いと赦しを求め、自分のための耳障りのいい言葉を並べるジミーは壮絶だ。カーリーは完全無欠の船長ではなく、ジミー自身も「ヒーロー気取り」と非難していたほどだ。
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それでもジミーにとっての理想の船長像はカーリーだったし、ジミーの失敗をフォローするためコックピットに飛び込んだカーリーの姿はヒロイックだったのだろうと想像がつく。
・考察でもない面白かった話
カーリーによるジミーの精神鑑定シーンで、先にコックピットに入っていたジミーが船長の席に座っているという指摘がされていた。一般的に「機長が左席、副操縦士が右席」で、冒頭のシーンを見る限りタルパ号も同様の配置のはずだ。
また、誕生日パーティのシーンにおいて 誕生日を祝われる船長を差し置いて誕生日席に座っていることも同様に指摘されていた(これは指定の座席があるのかもしれない)。
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深く考察するわけではないが、こういうキャラクター描写の細かさ・一貫性はすごいと思う。
スウォンジー
ダイスケに斧を突き立てたのはジミー説
審判の時まわりの時間軸はかなり複雑(衝突まで/衝突からは時系列順に並んでいたが、ここは時系列もバラバラなので認識が難しい)で、カメラワークも特徴的ゆえ ジミーが認識を誤認したという解釈もわかるが、個人的にはダイスケにとどめを刺したのはスウォンジーだと考えている。
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ジミーのせいでダイスケは再起不能になり、もはや苦しみながら衰弱していくしかない状況の中、スウォンジーが取った責任が「ダイスケの息の根を止める」ことだろう。作品テーマ的にも、直後のスウォンジーの発言がしっかりしていることからも 筆者はそう捉えた。
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(追記)
総合して【審判の日のタルパ号においては「死」のみが救いだった】という解釈を採用している(この解釈はかなり恣意的だと思う)。
アーニャは(カーリーの命運を決めず)自殺し
カーリーは死による解放を期待して笑い
スウォンジーはダイスケの介錯をし
ジミーはカーリーの死を先延ばしにして自殺した ということになる。
グッドエンド
スウォンジーに10敗すると取得できる実績。期待するような特殊エンドが特になかったのが残念だが、この実績の名称は結構面白い。
何がグッドエンドか?個人的には、スウォンジーとジミーの対決でスウォンジーが勝ったとして、カーリーが殺されて(あるいは放置されて)スウォンジーが自殺するような気がしてしまう。結局全滅は免れないと思うのだが、それでもこの実績にグッドエンドの名が与えられているのは、スウォンジーがダイスケの仇を討ったからか、ジミーが内心に救済を見いだすことなく散ったからか。
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初見時は角でひたすらスウォンジーを待つというジミーらしい戦法を取りストレート勝ちしたため知らなかったが、この空間にはダイスケの遺影があり痛ましい。
クライマックスの流れは、コンソールを見るに「スウォンジーとダイスケの物語」「カーリーの物語」「ポレ(子供=アーニャ/会社・社会)の物語」に決着をつける というものですべてに決着をつけていく。アーニャがかなり間接的なのが印象的だ。
その他
考えていて分からなかったもの
盲目の獣の目を盗んでポレから薬を奪うシーンが何を意図しているか本当に分からなかった。のだが、そもそも筆者はこのシーンが怖すぎてビビり攻略しかしておらず他人のスクショを見て盲目の獣=馬の姿を視認することができることを知ったため、ちゃんと考察する土俵に立っていなかったらしい(追記)。
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怖いシーンの考察については放棄させて欲しい。
(実績について)
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「靴下人形」はカーリーに好き勝手なことを喋らせる本編と絡み合っているが、「友好的自己紹介」は実績名も演出の意図も分からなかった(友好的?/まあジミーの妄想だとは思う/何かのパロディか?と思ったが どうか)。
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これに限らず、考察や持論に対して意見があれば教えてください。
考察の当てになりそうなもの
タルパがいわゆるイマジナリーフレンドを意味する単語というのは初めて知った。
(追記)
コメントにて、本作で使われているタルパは綴り的に以下のタルパ(トルコ神話に登場する天馬)だと教えていただいた。当然これも知らなかったので勉強になった。
考えてみれば、運送会社が自社の船にイマジナリーフレンドを由来とする単語を選ぶわけがない。ポニー運送には「ペガサス号」「ユニコーン号」といった船があり、その中でタルパ号が舞台として選ばれたゲーム的理由がダブルミーニングを狙って…といったところだろう。
全身を焼かれた青い瞳の包帯男
正直な話、このゲームが手に取ったきっかけがローポリグラフィックと、カーリーの容姿からジョシュアを連想したためだったのだが…
Curly: ghhgguuuhgaaaah
— Wrong Organ (@Wrong_Organ) September 8, 2024
Jimmy: pic.twitter.com/aTKR2GSiob
作ってる側がこれだったので、もう何言ってもいいだろ。
本旨から逸れるので深くは言及しないが、ジミーとカーリーのキャラクターは、シーザーとジョシュアを意図しているところもあるんじゃないか?と思う。
パロディ絵などを無差別に投稿してるのか?と思ってメディアを一通りみたがそういうわけでもなく、何かしらの元ネタをジョシュアにした画像を更にコラージュしているという気合いの入りようで かなり迫力を感じた。
俺の 大好物が きました
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ここまで語ったいろいろとは別に、もともと好きだったものがたくさん詰め込まれた作品だったことが 自分にとってのこの作品の評価を押し上げている。
叙述トリック
これは前項の通り。ミステリ畑で育ち 叙述トリックを愛してきたため 気持ちよく騙されるとその一点だけでも作品のことを好きになってしまう。
事故による閉鎖空間でのパニックホラー
めちゃくちゃ好き。善人が善人であろうともがくことが難しくなるところが見たい。本作においてもジミー視点の時間が進むたびに船内が荒れていくのを見るのが楽しかった。
これについてはジミーよりも スウォンジーが斧を液晶に叩きつけたのが割れ窓として決定的だったのではないかと思う。
カニバリズム
前項のシチュエーションが好きなのも食人に通じやすいから。まさか宇宙船事故の閉鎖空間で食糧危機が原因でない食人が発生するとは思わなかったが。
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ローポリ
筆者は敢えてローポリにこだわったグラフィックも大好き(最近だとボムラッシュサイバーファンクやウムランギジェネーション)であるため、この作品もグラフィック面で注目していた。
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特にホラー作品においては「表現力の上がった今の描写よりも、ドットだったり ローポリで描かれていた時代の方が想像を掻き立てられて怖い」という意見が散見されるが、本作がグラフィックを欠点とされずに多くのプレイヤーから愛されているのは嬉しかった。
立派な人間が見るも無惨な姿になる
直接的には「顔に自信のある人間が顔をズタズタにされる(Huntdownのボスにいた)」のが好きだが、人望が厚く能力のあったカーリー船長が 汚名を被され、四肢を失い、介護に身を委ねるだけの意思疎通のできない存在に変容してしまったのは かなり好きな描写だ。
馬
まあ これはどうでもいいか…。
最後にバカ2連発を貼って終わる。
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さよならを教えての「永遠の夕暮れ時」について、昼(生)にも夜(死)にもたどり着けない閉塞的な苦しみを表していると考察されており、本作の時間モニターがずっと夕暮れであることも狂おしいほど恐ろしい舞台設定だと感じた