【Mouthwashing】感想+考察
はじめに
包帯人間のビジュアルに惹かれて手に取った本作。暫定GOTY2024であり、おそらくこのまま今年は終わる。全世界的に人気が爆発しているゲームなので今更なレビューはさっくりと終わらせ、既クリア者向けに言いたいことをメインに記事を書く。
このゲームは5人の乗組員を乗せたとある宇宙船(貨物)の崩壊を描く、一人称視点の短編ホラーゲームだ。
宇宙船の衝突事故のシーンに始まり、「衝突事故を引き起こした船長:カーリーの視点(衝突までN日)」と「衝突事故の後始末をする船長代理:ジミーの視点(衝突からNヶ月)」の2視点を交互にザッピングし進行していく。
並の作品であれば出し惜しみされるような情報がバンバン明かされるため、非常に展開が早く グイグイと物語に惹き込まれる。
ホラーゆえどうしても人を選ぶが、ジャンプスケアはない。臓器などの描写はあるし、正直かなりプレイ体験として怖かった。それと同時に面白かったし、印象深かったし、好きだった。
とにかく結末を迎えて以降 動悸がおさまらず、荒れる感情を抱えながら文字を打っている。これは恐怖のせいだけではない。未体験の方、ホラーゲームに耐性のある方はぜひプレイして この魅力を味わって欲しい。
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以下は作品の内容に踏み込んだ記事となる。主にどういった点が面白かったかと、自分がこの作品から読み取ったことを纏めた。また 本作の宣伝を踏まえた前作にあたる【How Fish Is Made】(とそこに内包されるもう一つのゲーム)の内容も踏まえているためご容赦いただきたい。
ゲームに騙されたい、圧倒されたい
ホラーゲームはジャンルとして特殊だ。プレイヤーに恐怖体験を与えること自体に価値があるため、面白さ自体に対するハードルが低い。筆者は考察を書き、実績をコンプリートするためゲームを2周し、コンソールでチャプタープレイしていたが、2周目なのに冒頭から恐怖でリタイアしそうになった。顔を背けるシーンもあった。
この作品はホラーゲームとして一級品である。にも関わらず、恐怖以外の要素も素晴らしかったのでその点を書きたい。それこそが「プレイヤーのコントロール」だ。
筆者が普段ゲームを漁る時、一番求めているのは、「ゲームに騙されたい、圧倒されたい、振り回されたい」というものだ。そしてこの作品は物語構造に大掛かりな叙述トリックを用いている。
ゲームは終盤まで「なぜカーリー船長は衝突事故を起こしたのか?」を追う物語として進行する。カーリーの視点である「衝突までN日」を追っていくことでその謎が明かされるのだろう、と。
そして迎えた「衝突まで0日」のシーン。プレイヤーに与えられるのは、「衝突後の主人公であり、カーリーの衝突事故の真相を追っていたジミーこそが衝突事故を招いた張本人である」という事実だ。彼は周囲に嘘を吐き、プレイヤーを欺いていたのだ。
他のプレイヤーがどうだったか知らないが、筆者は示されたあらすじ通りにストーリーラインを追っていたため、完全に騙されていた。
このトリックを成立させるのが「一人称視点のゲームであること」「2人の視点を交互に体験するゲームであること」だ。つまりゲームの構造自体が、トリックに最適なものになっている。
筆者はゲームを通じてこういう体験をしたかったのだ。
「衝突まで0日」のシーンに至るまで、たとえばスウォンジーに疑いの目を向けさせるミスリードも見事だ。
アーニャと密談で涙を流させ、作業室への侵入を阻み、斧を手にコックピットを突き破り、挙句冷凍ポッドの存在を隠す。まんまとプレイヤーの疑いの目がスウォンジーに向くようにできている。
ジミーに従っているのが 今回インターンとして初めてタルパ号に乗り込んだ何も知らないダイスケであるというのも真相を隠すための巧みな作劇だった。
そうして真相が明らかになった瞬間から、信頼できない語り手であることが判明したジミーの暴走は拡大していく。
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プレイヤーの認知を逆手に取った演出はここに留まらない。
たとえば筆者が感心したのは、ダイスケのための消毒薬を探すパート、突然現れた墓の文字を読もうとインベントリを開き、閉じると場面が転換している演出。
これまで読めない文字をコードスキャナーで読んできた、説明がなくともプレイヤーは今までと同じようにそうするだろう。医療室の一部を視認できない状況、この状況で正体不明の墓が出てきたならばプレイヤーはコードスキャナーを使うだろう。そういうプレイヤーと開発者との信頼や対話がその裏にはある。
カーリーがジミーとの面談を済ませた後、通知を入手し、それをプレイヤーが読もうとインベントリを開いた瞬間にチャプター変更の演出が発生する というのもまた、プレイヤーの認知を利用した演出だ。
【Mouthwashing】はストーリーも、構成も、グラフィックも、演出も、扱っているテーマも、もちろんホラーゲームとしての役割も 全てが高水準のゲームだが、何よりも入念に計算されたトリックを通された体験が筆者にとっては衝撃だった。
怒涛の展開に驚かされ続けた本作であったが、一方で筆者はラストシーン、カーリーを抱えた瞬間に「この先 カーリーがどうなるか、ジミーという男が何をするか」を理解していた。プレイヤーを振り回しつつ、プレイヤーの胸にストンと落ちる結末を与えてくれるところも本作の魅力であった。
考察と持論
キャラクターごとに分け、考えたことを書いた。根拠のある解釈から 余白を自分で埋めてしまった解釈までいろいろある。関心のない事項への読み解きほど甘いため あくまでひとりの人間の考えとして捉えて欲しい。
カーリー
カーリーの内心
ジミーの妄想においてカーリーは発言するが、あれをそのままカーリーの内心と捉えるプレイヤーはいないだろう。各プレイヤーが、なされるがままになっているカーリーの心情を推察しているが、身も蓋もないことを言うと、カーリーの人格やカーリーらしい思考能力はもはやカーリーの中にはないのではないかと考えている。
「これは作品なのだから、そこには何かしらの意図があるだろう」と考えるのが普通ではあるが、ジミーが「無」から責められ、「無」に対して救いを求めている という状況もそれはそれでテーマ性がある。
【How Fish Is Made】のカーリーは3人の男の笑い話をする。それぞれ「両手を失った男」「両足を失った男」「聴力を失った男」についてだ。この例えにおいて 前二つがカーリーの状態と一致しているため、最後の一つもカーリーの状態と一致しているのではないか。
その場合 事故後のカーリーの思考能力が事故前と同程度だったとしても、ジミーや他クルーの発言を読み解くことができないため、結局「内心」と呼べるほどのものは醸成されてないのでは無いかと思った。
カーリーの生存可能性
正直彼の身体が コールドスリープの解凍どころか、コールドスリープ自体に耐えられると思えない。そのため、この物語に生存者はいないと考える。カーリーを殺害し、ジミーは自害した。
筆者は「死体を宇宙空間に打ち上げる」描写が好きだ(サイパンDLCソミエンド)。いつか宇宙船の残骸がサルベージされた時、奇妙な死体4つと、およそ生きているとは言えない状態の冷凍人間が発見されると思うとなかなかロマンを感じる。「解凍すれば中の人物が死ぬので絶対に開けられない箱」は、アウターワールドや、火の鳥の未来編のようだ。
更に脱線するが、操作キャラクターの手足が基本的に見えない本作において、ラストシーンで己の無力な手足を見渡せるのは本当にいい演出だ。エンドロールが流れてもしばらくは操作が効くが 下半身から凍結が進み、やがて視点の操作が効かなくなるというのは圧巻の表現だ。
あの状態のカーリーが生き延びるのは難しいため、作中のどこかの時点で死亡している説もある。その説は非常に好みなのだが、最後にカーリーの視点で カーリーを操作して物語を終えることができるため、カーリーは最後まで生きてはいたと筆者は考える。
カーリーが生かされた2つの理由
衝突2ヶ月の時点で アーニャとの会話に登場するこの話題。1つ目の理由は直前に語られる「なぜカーリーは衝突事故を起こそうとしたか?」で間違いないが、2つ目の理由ははっきりと明かされていない。
タルパ号の船員で話し合って決定したものらしいが、個人的には「苦しみ(罰)を与えるため」が作品テーマともしっくりくると考えた(これについてはアーニャの項で更に掘り下げた)。船員は彼の苦しみを祈ったのだ。
プレイヤーの印象ほど立派な人間でもない
作品のトリックが明かされて以降、優秀な船長であり言葉に説得力のあるカーリーと、カーリーの言葉のみをただ模倣するジミーの対比が浮き彫りになる…と思っていたが、2周目をプレイして感じたのは「カーリーの発言も大概中身の伴っていない口先だけのもの」だった。
それでも思いやりや とっさの責任感がある分ジミーとは比べものにならないが。
カーリーはアーニャのSOSを見逃し、ジミーの危険性を見抜くことができず 最初の衝突事故を間接的に招くことになる。この事故をカーリーの責任とするのは酷であるが、カーリーが真剣に2者と向き合えば防げた事故であったこともまた事実だ。
ただ、船員に解雇を伝えたのが「Mouthwashing」と言われてしまうのは可哀想だと思う。伝えるのが後でも先でも船員が苦しむのは必至で、これが選択肢のあるゲームだったとしたら自分は選択を悩んだと思う。というか「早めに告げたほうが解決策が考えられるから」という理由で先に伝えることを選ぶかもしれない。
アーニャ
妊娠騒動の相手とその関係性
作中の描写から相手がジミーであることは疑いようがないが議論の幅があるのは、その場合のジミーとアーニャの関係性だ。
カーリーが妊娠を告げられた際の初めの反応が「誰が…」であることから 公然のカップルではない。その後にジミーだと察しているのは友人ゆえにジミーの女癖の悪さに心当たりがあってのものかと感じた。
しかしアーニャの反応から 全く信頼関係のない間柄とはどうしても思えなかった。「ジム」と愛称で呼びかける場面や、ジミーの行動に対して過剰に感謝をするなど、描かれる会話や描写からは一定以上の信頼を寄せている様子が見られる。
性行為こそ不同意だったが、恋人に近い関係自体は元々あったのではないか?と思う。ここはかなり解釈が難しい。
アーニャ目線の衝突事故
2周目を遊んでいて感じたのは「アーニャの目線からすると衝突事故の犯人はほぼジミーなのではないか?」ということ。コックピットに向かったのはアーニャから妊娠を告げられたジミーであり、カーリーはそれを追っただけで、カーリー自身の目的地はコックピットではない。
動機の面でも、失職の危機に面した不安定な時期に妊娠を告げられたジミーが衝動的な行動を起こしたと捉えるのが自然な流れだ。
衝突から3ヶ月の時点でアーニャがスウォンジーに打ち明けた内容のひとつはこの疑念だろう。そのため、衝突4ヶ月時点でのスウォンジーのカーリー評が「ツキのないリーダー」になったのではないか。
(まあスウォンジーはこういう皮肉を言いそうでもある。)
女性蔑視と性被害の矮小化
不得意なテーマゆえ深入りはしないが、この作品においてアーニャが背負ってるテーマが上記のものであるにも関わらず、プレイヤーのほとんどがその点に言及していないことが、皮肉にもこのテーマを上位構造的に再現しているという指摘が興味深かった。
たかだか5シーンしかない衝突前において、アーニャは何度もSOSのサインを投げる。ジミーから診断時にハラスメントを受けていること、寝室に鍵がかからないこと。見ようによってはディスプレイの欠けの話もだ。そのいずれに対してもカーリーの反応は軽い。「俺がなんとかする」の実態は友人同士の ジョーク混じりのなあなあなやりとりだ。
銃を盗まれてようやくアーニャの様子がおかしいことに気付いたカーリーの「俺を頼ってくれて良かったんだ」に対する回答が「何をしてくれたって言うんです?」というどうしようもない断絶だ。カーリーは「何でもする」とは言うが、「カーリーがこの件についてジミーを罰することなどない」と散々軽視されたアーニャは分かっている。ジミーを「ここにいてほしくない」と望むアーニャの意見が聞き入れられることはない。
アーニャが銃を隠した理由
考察にあたって、アーニャの理解が最も困難だった。個人的には世間の人が捉えているほど アーニャはカーリーを慕ってはおらず、性暴力の加害者であるジミーとその訴えを軽視していたカーリー、双方信頼していなかったがゆえに、ジミーとカーリーの両方から銃を隠したのではないかと思う。
審判の直前、彼女が医務室に立て籠り「最高の瞬間」だと言った理由は、ジミーとカーリーの両者を突き放して己の運命を決断したためではないか。
筆者はどうしてもカーリーとともにいられることを「最高の瞬間」と称しているように見れなかった。あの場で閉じ込められたカーリーは、鎮痛剤や食事を口にすることができず、苦しみを味わいながら衰弱していくしかない。単にカーリーをジミーから守るためならば、カーリーと心中していただろう。ならばなぜ生かしたか。苦しみを与えるためだ。
彼女は「自分を傷つけるような真似はしない」ので、自傷のためにODを行ったのではない。ジミーを過剰におだてることで船内にあるすべての鎮痛剤を入手し、カーリーから奪うためにODを行ったのだ。そして医務室に閉じ篭もることで、ジミーからカーリーと銃を隔離しようとした。
彼女は「ジミーとカーリーから銃を隠した」のだ。
ジミー
カーリーに責任をなすりつけたのは悪か
当人は保身のためにカーリーに責任をなすりつけたのだろうが、仮に正直に話した場合 その時点でタルパ号は崩壊していたので、結果としては最善の行動だったのではないかと思う。
もしかしたらスウォンジーがジミーを隔離して残りの船員で生き延びる手段を探る未来もあったかもしれない。その場合こそ正当なパニックホラーになりそう。
また、船内に流れるプレイリストに悪態をつくジミーとそうでないカーリーや、アーニャの要求に苛立ちをぶつけるジミーと快く引き受けるカーリーを指し、2人の船長としての格を比較するものがある。実際に差はあるのだろうが、ジミーの視点は事故後、このまま救助が来なければ死を待つしかない極限状態であり 単純比較はフェアではないと思う。
たすけて
内臓パズルの後にTV画面に表示される「たすけて」という文字。直前の「ごちそう」がジミーの思考であること、直後画面に映し出されるキャラクターがジミーであることから ここで助けを求めているのはジミーだ。
この後に及んでカーリーに救いと赦しを求め、自分のための耳障りのいい言葉を並べるジミーは壮絶だ。カーリーは完全無欠の船長ではなく、ジミー自身も「ヒーロー気取り」と非難していたほどだ。
それでもジミーにとっての理想の船長像はカーリーだったし、ジミーの失敗をフォローするためコックピットに飛び込んだカーリーの姿はヒロイックだったのだろうと想像がつく。
スウォンジー
ダイスケに斧を突き立てたのはジミー説
審判の時まわりの時間軸はかなり複雑(衝突まで/衝突からは時系列順に並んでいたが、ここは時系列もバラバラなので認識が難しい)で、カメラワークも特徴的ゆえ ジミーが認識を誤認したという解釈もわかるが、個人的にはダイスケにとどめを刺したのはスウォンジーだと考えている。
ジミーのせいでダイスケは再起不能になり、もはや苦しみながら衰弱していくしかない状況の中、スウォンジーが取った責任が「ダイスケの息の根を止める」ことだろう。作品テーマ的にも、直後のスウォンジーの発言がしっかりしていることからも 筆者はそう捉えた。
グッドエンディング
スウォンジーに10敗すると取得できる実績。期待するような特殊エンドが特になかったのが残念だが、この実績の名称は結構面白い。
何がグッドエンディングか?個人的には、スウォンジーとジミーの対決でスウォンジーが勝ったとして、カーリーが殺されて(あるいは放置されて)スウォンジーが自殺するような気がしてしまう。スウォンジーは冷凍ポッドに入ることがあるのだろうか。結局全滅は免れないと思うのだが、それでもこの実績にグッドエンディングの名が与えられているのは、スウォンジーがダイスケの仇を討ったからか、ジミーが内心に救済を見いだすことなく散ったからか。
ちなみに初見時は角でひたすらスウォンジーを待つというジミーらしい戦法を取りストレート勝ちしたため知らなかったが、この空間にダイスケの遺影があるのはなかなか痛ましい。
その他
考えていて分からなかったもの
盲目の獣の目を盗んでポレから薬を奪うシーンが何を意図しているか本当に分からなかった。
実績について、「靴下人形」はカーリーに好き勝手なことを喋らせる本編と絡み合っているが、「友好的自己紹介」は実績名も演出の意図も分からなかった(まあジミーの妄想だとは思う/何かのパロディか?と思ったが どうか)。
これに限らず、考察や持論に対して意見があれば教えてください。
考察の当てになりそうなもの
タルパがいわゆるイマジナリーフレンドを意味する単語というのは初めて知った。
全身を焼かれた青い瞳の包帯男
正直な話、このゲームが手に取ったきっかけがローポリグラフィックと、カーリーの容姿からジョシュアを連想したためだったのだが…
作ってる側がこれだったので、もう何言ってもいいだろ。本旨から逸れるので深くは言及しないが、ジミーとカーリーのキャラクターは、シーザーとジョシュアを意図しているところもあるんじゃないか?と思う。
俺の 大好物が きました
ここまで語ったいろいろとは別に、もともと好きだったものがたくさん詰め込まれた作品だったことが 自分にとってのこの作品の評価を押し上げている。
叙述トリック
これは前項の通り。ミステリ畑で育ち 叙述トリックを愛してきたため 気持ちよく騙されるとその一点だけでも作品のことを好きになってしまう。
事故による閉鎖空間でのパニックホラー
めちゃくちゃ好き。善人が善人であろうともがくことが難しくなるところが見たい。本作においてもジミー視点の時間が進むたびに船内が荒れていくのを見るのが楽しかった。
これについてはジミーよりも スウォンジーが斧を液晶に叩きつけたのが割れ窓として決定的だったのではないかと思う。
カニバリズム
前項のシチュエーションが好きなのも食人に通じやすいから。まさか宇宙船事故の閉鎖空間で食糧危機が原因でない食人が発生するとは思わなかったが。
ローポリ
筆者は敢えてローポリにこだわったグラフィックも大好き(最近だとボムラッシュサイバーファンクやウムランギジェネーション)であるため、この作品もグラフィック面で注目していた。
特にホラー作品においては「表現力の上がった今の描写よりも、ドットだったり ローポリで描かれていた時代の方が想像を掻き立てられて怖い」という意見が散見されるが、本作がグラフィックを欠点とされずに多くのプレイヤーから愛されているのは嬉しかった。
立派な人間が見るも無惨な姿になる
直接的には「顔に自信のある人間が顔をズタズタにされる(Huntdownのボスにいた)」のが好きだが、人望が厚く能力のあったカーリー船長が 汚名を被され、四肢を失い、介護に身を委ねるだけの意思疎通のできない存在に変容してしまったのは かなり好きな描写だ。
馬
まあ これはどうでもいいか…。
最後にバカ2連発を貼って終わる。