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漆坊弁財天(東京都板橋区)【日本弁天巡礼】
今回は東京都板橋区の「漆坊弁財天」をリポートしよう。
■住宅地にこぢんまりと、凜とたたずむ弁財天
JR板橋駅から徒歩20分程度。静かな住宅地のど真ん中にあるのが、この漆坊弁財天だ。
元々ここにまつられている弁財天は、加賀藩・江戸下屋敷6万5000坪(ちなみに東京ドームは約1万5000坪とのこと)にまつられていた弁天様だったとされている。
しかし、その後何らかの理由によってまつられなくなったようだ。石碑には昭和3年(1928年)のある夜、この土地に住まう人が弁天様からお告げを受け(推察するに夢を通じて神託を受けたのだろう)、再び社を設けてまつられるようになったとの趣旨が書かれている。
おそらく江戸幕府が倒れ、明治時代に突入した頃の混乱で、勧請された弁天様のよりしろとなる殿舎がなくなってしまったのだろう。同じ時代におこなわれた神仏分離の影響もあったのかもしれない。
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石碑には続いて、その後のある日、どこからともなく翁がやってきて、「この弁天様の本来の名前は漆弁天(当時の呼び名)ではなく漆坊弁財天である旨を告げて姿が見えなくなった」、とのエピソードが描かれている。「去った」のではなくわざわざ「姿が見えなくなった」と描写しているのが何やら興味をそそる。
しっかり参拝し心を穏やかにしていると、なんとはなしにこの土地を見守ってきた大きなものを感じた。
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石碑には「本當に有難い弁天様で幸運及び厄除けのご祈祷を致しております」とある。わざわざ土地に住む人の意識に介入し、まつってほしいと望むほどの力ある弁天様である。人のため、地域のためと望みこの地に立つ弁天様。参れば功徳ありなんと思った次第である。
【データ】
漆坊弁財天、〒173-0004 東京都板橋区板橋4丁目56−2