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僕の断捨離レポート_本当に欲しい環境はモノを捨てないと手に入らない

はいどうもこんにちは。

突然ですが、これが僕の部屋です。

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スッキリしてますでしょう?(3分掃除した)ドヤドヤ。ここ1年間くらい部屋を整備しまくってきて、いい感じになってきました。

最近…といってもここ1年くらい僕はモノを減らすことに異常にこだわってきました。何でもかんでも捨てようと鼻息を荒くしてました。今回は、さながら人間ブルドーザーのような僕の断捨離レポートです。

どうぞ楽しんでいってください。

際限なくモノを吐き出す実家

僕がモノを減らさないといけないと強烈に意識したのは2年前、僕が育った実家が取り壊されようとしていた時のことです。

僕の実家は築50年くらいで、そこそこ広い2階建てでした。祖父母が立て続けにお亡くなりになったタイミングで取り壊しが決まったというわけです。

築50年ともなると本当に色々なモノが部屋のあちらこちらから出てきます。祖父も祖母も「終活」するようタイプではなく、モノを溜め込むタイプで、しかもそれらを片付けることもなく、あちらの世界にいってしまったので、とにかく片付けが大変でした。

モノを吐き出しまくってくる様子はまさに千と千尋に出てくる化け物のようです。片付けしているときの様子はまさにこんな感じです。

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この時に僕は悟りました。生きている間にモノを減らしておかないと本当に大変なことになると。まだ僕20代だけどね。

幸いにもテクノロジーの進歩によって、僕らは、モノを減らす世界に生きることができます。スマホがあれば、わざわざ地図を買う必要もありません。別にウォークマンを用意する必要もありません。カレンダーも買う必要がないでしょう。

それでも、なぜか僕らはモノがあふれる世界に生きています。気づいたらモノがあふれている。それは資本主義の本質で、とにかく資本主義は僕らの物欲に訴えかけることで、際限なくものを増やそうとします。

だから僕らはこの資本主義から身を守るためにも、モノを減らすということを本当に意識しないといけないんだとひしひしと感じます。

かといって、すぐに実行に移したかというとそんなことはなく、実際にモノを減らし始めたのはコロナ禍に入って、家にいる時間が異常に長くなってからのことでした。

まずはペーパーレスから

モノを減らすために具体的にはどんなことをしたか。

まずはペーパーレス化です。

そこそこ本を読む僕は、大学4年間でかなり本を溜め込んでました。そのまま捨てるにはかなり忍びない。かといってこのままでは際限なく本が増えていってしまう。

そこで僕はいわゆる「自炊」をすることにしました。本を裁断し、それをスキャナーで読み込む。

これをやるだけでなんということでしょう。これまであった本がすべて電子化されました。これで僕のiPadは持ち運べる図書館になりました。

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異常に時間かかりましたけどね…

ユニクロからの脱却

次に洋服です。基本的にあまりファッションに興味のなかった僕はユニクロで適当な服を着まわしていたのですが、そもそもあまり気乗りするような洋服を買ってませんでした。なので、気に入らない服ばかりなので、必然的に服を買う回数は増えてました。

結果的に気に入ってもいない服が次々とクローゼットの中に収められることになり、1年ぶりに夏服を取り出してみると、去年の夏、自分は何を着て生活していたのだろうと、クローゼットの中から出てくる謎の布たちを見て、そう思ったのでした。

これはいかんと、僕は服を減らすために、もう少しファッションに気を使った方がいいと思うようになりました。自分がこれだと思ったものを探し、それを長く丁寧に使う方が、結果的にモノを減らせると思ったのです。少数精鋭的なノリです。僕にとって、品質がよくかつ自分が気に入ったものを長く使うことは環境意識からではありません。モノを減らすためです。

僕の場合は洋服と本がモノを増やす元凶だったので、この二つを減らすだけでもだいぶ部屋にスペースが出てきます。部屋がスッキリしてきたので、他のものに気を配る余裕が出てきて、調子に乗った僕はさらに色々なモノを処分することになりました。

これまで使っていなかったのに何故か部屋に放置してあった昔のパソコンとか服を減らすとともに必要なくなったハンガーとか全然使わないのに場所だけとるでかいスーツケースとかを次々と葬りました。

基本的にモノを捨てるという行為はなんだか背徳的な行為なので、後回しにしがちなのですが、ここを乗り越えないとモノは減らないです。その背中を押してくれるコンマリさんがとても流行ったのはなんとなくわかる気がします。

断捨離の本質ー勉強したかったらスマホを破壊せよ

突然ですが、僕は北朝鮮の政治を大学院で研究してます。北朝鮮という国は社会主義という考え方で行動している国なのですが、この社会主義というものを考えついた人にマルクスという人がいます。マルクスはこんなことを言っています。

物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。

言っていることは軽く意味不明だと思うのですが、簡単に言えば、周りにどんなものがあるのかによって、その人がどんな考え方をするかは決まるということです。

わかりやすく言えば、勉強を頑張るには「勉強頑張るぞ!」と決意するのではなく、スマホを破壊する方がよっぽど効果的だということを言っているわけです。

おそらくモノを減らす(断捨離)の効果はこの考え方に集約されていると思います。ですが、ちょっと抽象的でわかりづらいので、例を出します。

これは最近僕が新しく整備した机周りの環境です。同じ机を2つ買いました。1つにはパソコンとモニターを置いて、1つは勉強用として何も置いてません。

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今の僕の生活は研究とインターン活動が大きな2つの柱です。インターンはフルリモートでパソコンで作業をすることが多いので、モニターが必須。

一方で勉強とか研究も生産性高くやりたいと思っていました。結果的に、それを両立させ、どちらも効率よく生産性を高くするにはどうしたらいいのかを考えた結果、写真のような机環境が理想ということになったわけです。

元々、机は1個しかなく、横には本棚を置いていました。なので、机を2個置くスペースはなかったのですが、本をペーパーレスにして、本棚を除去することで、自分の生活に必要な必要な作業デスクを2つ用意することができました。

「生産性を高くしたい!」と思っただけでは、生産性は上がらないです。机環境を整備したことで、この記事もデカいスクリーンでガシガシ書いています。生産性爆伸びです。

これがマルクスの言う「物質的条件が意識を規定する」という実践例で、モノを減らすことで得られた大きなベネフィットでした。

まとめー結局モノを減らすと何がいいのか?

モノを減らし始めた当初、自分はモノを減らさないと、将来の片付けとか引っ越しが大変になるという実用的な側面を意識していました。

しかし、実際にモノを減らしてみると、物質的な環境を変えることで自分の意識が変わっていくことがよくわかりました。

自分の重荷になっているモノを減らしていくと、自分の周りには本当に必要なものだけが揃うことになります。そうすると自分の今の生活には何が必要なのかがよくよくわかります。

するとモノを減らすことで精神的にも物質的にも本当に必要なものを置くことができる空間を作り出すことができます。これがモノを減らす効果です。

自分の周りにあるモノへの感度を上げて、不必要なモノは買わないようになる。そして今ある自分の環境をアップデートする空間が手に入ります。みんなもモノを減らしましょう。

ちょっと自分の文章が自己啓発チックなり、気持ち悪いので、そろそろ文章も〆に入りたいと思いますが、モノを減らしたいけどなかなか勇気が出ないという人がいたら連絡ください。僕、ブルドーザーなので全部ゴミ箱に葬り去ってみせます。

完。

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akisan
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