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エアチャイナ日本帰国タイムアタックー「社会主義核心価値観」と5年ぶりの邂逅ー

2024年8月15日(木)

モンゴル・ウランバートル空港から飛び立ったエアチャイナの飛行機はゴビ砂漠と思われる不毛地帯を抜け、無事、東京・羽田への経由先であった北京首都国際空港に着陸した。少し長めの休みを取り、友人たちとのモンゴル旅行を満喫した私はいよいよ羽田に帰国しようとしていた。

着陸後、国際線乗り換え口に向かおうとしたところ、「キャンセル」の文字が目に飛び込んできた。「かわいそうに」と思ったのも束の間、それは私自身が搭乗予定の飛行機であった。三秒前の自分自身が恨めしく思えた。

辺りには当然のごとく、大量の日本人がいた。帰宅困難者である。その日、日本には台風が接近していた。しかしウランバートル空港で別れた友人たちは成田空港への直行便に何事もなく搭乗し、東京へと向かった。その姿を見て、私は自分自身の無事の帰国を確信していた。

絶望した私は大量の帰宅困難者の中から新たな航空機の獲得に成功した集団を見つけ、その方法を聞いた。その方々は「私たちはツアー旅行の人間なのであなたのお役には立てない」と言った。「それはそうだ」と思いながら、私は絶望の感を深めた。

エアチャイナのスタッフは、とあるパンフレットを手渡し、「こちらへ向かいなさい」と言った。それは空港内にあるサービスカウンターであった。すなわち私は入国しなければならない。急遽の入国。24時間のトランジットビザをなんとか獲得し、エアチャイナが用意した空港近くへのホテルへと無事収容された。

外観は非常に怪しかったが、部屋は非常に快適で過ごしやすかった。食事もなかなか美味しかった。

振り替えの飛行機は翌日の夕方に設定されていた。やることはない。ここは中国。アメリカ系のインターネットサービスは基本的に使えない。なぜか使えたYahooの運行情報を閲覧すると、世界各国から日本に向かう飛行機が欠航だった。世界中に日本人の帰宅困難者がいる。そう思うと気持ちが晴れた。かわいそうなのは自分だけではない。その事実で私の心は晴れやかだった。健全ではない。

やることもないので部屋の中でじっとしているしかない。部屋の窓からは数分おきに離着陸する飛行機が見えた。お世辞にも綺麗とは言えない北京の大気を身に纏った飛行機がたくさん見えた。こんなに飛行機が飛んでいるのになぜ自分は飛行機に乗れないのか、理解に苦しんだ。うらめしい、というのはこんな感情を言うのだろう。

2024年8月16日(金)

夜が明けた。航空券を手配しているアプリを見ると、振り替えの飛行機も欠航になっていた。それはそうだろう。昨日の時点で台風は西日本にいた。今日、台風の目指す先は関東である。このまま飛び立ったら、羽田上空で台風と「コンニチハ」である。どうも土曜日まで待つしかないようだ。

しかしここには重大な欠陥が潜んでいた。私は24時間のトランジットビザしか持っていない。昨日、ビザを獲得した16時ごろにその期限が切れる。それまでに何かしらの対策を施さなければ、ビザの期限が切れ、私はめでたく不法滞在者だ。それで強制送還されるなら、帰国できるしいいか、と冗談にもならないようなことを考えていた。

ビザの更新も含めて航空券を再度発行しないといけない。荷物はホテルの部屋に置いたまま、一度空港へ行った。大変身軽だった。北京滞在を楽しみかけている私の姿があった。「もしかしたら今日、空港に行ったらワンチャンフライトが飛ぶかもしれない」といった希望的観測はすでに捨てていた。

結局、航空会社のスタッフからビザの期限切れは航空機の遅延証明書で対応するように指示があった。実はこの時点で私は大きなピンチに追い込まれていた。なぜか。それは私は土曜日の午後に友人の結婚式に出席し、ミニコーナーの司会を担当しなければならなかったからだ。

結婚式に間に合うためには、土曜日午前中のフライトが最後のチャンスだ。元々のフライトは木曜日夕方の時間帯だった。だから土曜日のフライトになったとしても、夕方のフライトに充当されるのではないか。

そうなれば結婚式には間に合わない。空港に向かう時点で諦めかけていた。しかし、渡された航空券には「土曜 8:30」の文字。「不法滞在者になりかけている謎の日本人を一刻も早く日本に帰してあげたい」そんなエアチャイナの「粋」がそこにはあった。知らんけど。(知らんけど)

明日早朝のフライトが飛ぶことを祈りながらホテル周辺を散歩した。近くの公園で5年ぶりに「社会主義核心価値観」に出会った。中国共産党が21世紀になり提唱している国家・統治理念を示すスローガンである。

以前、この政治広告を見たのは5年前。中国経由で北朝鮮を訪問するときであった。私が関心を持つ北朝鮮と比べるといささか巨大すぎるこの国をどのように捉えたらよいのか。その当時から私には皆目検討がつかなかった。

そこからコロナ禍があった。直近では在北京日本人学校に通う男児が殺害される痛ましい事件があった。中国海軍の艦船が初めて接続水域を通過したこともあった。私は中国に巨大がゆえに注目ポイントを定めづらい国という印象を持っている。それがゆえに日本との関係を揺るがしかねないキャッチーな事件の一つ一つに飛びついてしまいがちだと感じる。その裏側にある巨大な歴史と構造を見る目を養うことも東アジアを考えるためには必要なのだろう。

いずれにせよいつどうなるかよくわからない東アジアの国際情勢の中で、本当に偶然に北京の空気を吸うことができたのは幸運なことだったのかもしれない。

2024年8月17日(土)

朝5時に起き、空港へと向かった。無事、飛行機は羽田に向かうようであった。なぜか航空券を手配したアプリ上では、当該フライトは成田空港へと向かうと表示してあった。乗ってみるまでどちらが正しいのかわからない。結婚式に間に合うかチャレンジは引き続き続いていた。

結局、羽田空港に降り立った飛行機。結婚式に間に合うかチャレンジの追い風は私に吹いていた。タラップを降りた瞬間、懐かしい日本の蒸し暑さが襲ってきた。そうだ、私はモンゴルに行っていたんだ。あの爽やかな草原に身を置いていたのだ。北京の2日間はそのことを忘れるのにあまりに十分であった。体温を超えるような日本の暑さに接するという巨大な反作用で、かろうじてそのことを思い出すことができた。

いくつかの公共交通を乗り継ぎ、自宅に到着したのは羽田空港へ着陸してから45分後ほどのことだった。急いでスーツに着替えた私。この時点で結婚式まで相当な時間の余裕があった。結婚式には余裕で間に合った。日本の公共交通に支えられた、なんだか呆気ない拍子抜けの結論である。

結婚式が始まった。新郎が挨拶をする。彼は言った。「私は嵐が好きなんです。今回の結婚式でどの嵐の曲を流すか選曲していたら、本当に嵐が来てしまいました!」

お後がよろしいようで。

完。

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