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睾丸がひとつしかない

睾丸がひとつしかない系男子です。
標準装備だとふたつもらえるものが、ひとつしかないのです。
なんだか、
ポーカーでいうと、自分だけ手札が一枚足りないような、
FF10でいうと、自分だけスフィアポケットがひとつ少ないような、
マラカスでいうと、自分だけ一個しか持っていないような、
そんな気分になるときがあります。

気づくのも遅かった

物心ついたときから、ひとつしかなかった。自分の片方がひとつなくなったのを母から聞いたのは、20歳をゆうに超えたころだった。どうやら生まれてすぐにタマと身体をつなぐ紐みたいな部分が絡まっていたようで、それを治すために片方切り取ったらしい。

そのため、「キンタマってひとつしかないよね」と、自分の身体をもとに学んだので、しばらく誤認して育つこととなる。

小学生のころは、友達同士の会話で、タマがふたつある前提で話が進んでいるとき、「何いってんだこいつ」と内心思っていた。
例えば、友人が遊んでいる最中にタマを強くぶつけしまい、しばらく悶絶した後、「あっぶねー、もういっこあってよかったー」と発して周りのみんなが大いに笑いこける、といったことがあった。私は、「いやいや、いっこしかないのに何いってんだこいつ」と思っていたのである。
ここで口に出して言っていれば、私の誤認も早期に解決できていたのかもしれないが、不思議とそれを口にすることはなかった。今思えば、内心自分は普通じゃないことを気づいていて、それを言ったら馬鹿にされるんじゃないかと恥ずかしい感情を持っていたのかもしれない。

他にも、保険の授業で男女の身体のことを学ぶとき。もちろん男の子の身体のイラストには、股間の箇所にふたつのタマを表す絵と説明があった。ただ私は、「この教科書間違ってんじゃん」と思っていた。こんなに堂々と間違ってていいのかと先生に言おうかと思っていたが、大抵、保険の授業は下の話になるとクラスが沸き立つので、そんな中、「先生、この教科書間違ってます」なんて言える雰囲気ではなかった。そして、そのまま育ってしまったことにより、私は今でも「教科書(参考書)にも間違いはある」と思うようになってしまった。最近では、参考書を使って勉強しているとき、わからないところを『間違っている』と処理してしまうとっても不便な機能を備えてしまっている。

転機は高校生の頃。キンタマがとてもでかいと評判の友人がいたので、みんなで確かめてみるというイベントが開催された。私も輪の中にいたので、友人のブツを確認したのち、友人から「逆に、普通のサイズってどんななの?」と聞かれ、私のものを確認してもらったときに、発覚した。
「いっこしかない」という現実は、「タマがでかい」という現実よりも、遥かにビッグニュースだったようでその場にいた友人たちからひいたような笑いを受けたとき、自分が普通でないことを自覚した。

とにかく、なんか恥ずかしい

「いっこしかない」ということを自覚してからは、とにかく人の目が気になるようになった。もちろん普通に生きていれば見られる箇所ではないので、特段気にすることではないのであるが、とにかく人の目線が気になるのである。
今まで、間違った認識をしていた事実も相まって、急に恥ずかしさを感じるようになった。

ボクサーパンツのようなピッタリしたパンツが履きづらい。
温泉で、以前まではなにも気にせず隠さずだったのが、急に隠すようになる。
だれもそんなとこ見ないのに、気になってしまう。

もちろんそれは、自分が意識して他の人のモノを確認しているからである。本当に自分が普通ではないのか、それを確認したくて他の人のモノを確認してしまう。そして、自分も見られているのでは?と余計な考えが生まれてしまっていた。

彼女ができて、親密になって、セックスをしたくても、自分のモノを出す勇気が持てずにできなかったこともあった。「変なの」と言われてしまうかもしれない、それがとにかく恥ずかしかったのだ。

そうやって私は今でも、人の目が気になるようになっている。
今となっては結婚もして、子どももいて、タマがいっこしかないことも別にたいしたことないじゃんと思えているのだが、人の目が気になることだけは残り続けている。
普通から外れることに恥ずかしさを感じるようになってしまった。

それでも生きていく

そろそろ恥ずかしさから卒業するときである。
タマがいっこしかないことがたいしたことではないことは今までの人生で十分すぎるほど理解した。いっこでも子どもはできるし、奥さんも特に気にしていない。
かつての友人たちも改めて話すと「あぁ、そんなこと言ってたっけ」ぐらいの記憶しか残っていない。

恥ずかしいと思っていることは、ほとんどが気にしすぎなんだろう。失敗して恥ずかしい、おっきな声出ちゃって恥ずかしい、パンツが見えちゃって恥ずかしい、おならがでちゃって恥ずかしい。
確かにすべて恥ずかしいが、自分が想像する以上に周りは「あの人恥ずかしいね」とは思っていない。

恥ずかしいと思っていたら、いつもワンテンポ遅れている感覚がする。恥ずかしいと思うのは仕方ないとして、その直後に、「いや、恥ずかしいのは自分だけだから。そんなこと気にしてたら何もできないよ、お前」と、右ストレートを繰り出すのだ。

タマがいっこしかなくて、損したことがたくさんある。
今よりもっと、堂々としてたかもしれない。
もう少し、身長が伸びたのかもしれない。
もうちょっと、筋肉がついていたかもしれない。

それでも、恥ずかしさを振り切って生きていく。

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