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門限

門限の厳しい家庭で育った。小学校低学年のとき、門限を過ぎても帰ってこない兄に対し、母が家の鍵を閉め、兄を家に入れないようにしている光景を見てからというもの、「決められた時間に帰らなければこんなことになるのか」と恐怖したことを今でも覚えている。

そんな私も一度だけ門限を破ったことがある。

高校生のときにはじめて彼女ができたときのこと。お互い部活動に精を出していたため、休みの日にデートみたいな付き合い方はできなかったが、タイミングが合えば一緒に下校することがよくあった。ふたりとも自転車で高校に通っていたため、自転車をだらだら漕ぎながら好きな音楽の話や、クラスで起こった話、お互いが知らない中学生時代の話をしながら彼女の家まで一緒に帰る、まさに青春の1ページとやらを過ごしていた。

高校生の頃の私の門限は22時だった。一緒に帰る日は大体20時頃に学校を出ることが多く、そこから彼女の家まで30分、彼女の家から私の家まで帰るのに40分ほどかかるので、門限には問題がなかったが寄り道したりする余裕はなかった。

だが、関係が親しくなるにつれ、「少しでも長く一緒にいたい」という気持ちが強くなってくる。家に帰って電話をするのが一番ベストだが、それでは物足りない。スケベな下心もあるからだ。もちろんそれだけではないのだが、それが捨てきれないのも事実。キスをしてみたい。そして、周りの友達が言う、セックスというものもとっても気になる。

そんな気持ちも含めて、一緒に変える時間はどんどん長くなり、
学校から彼女の家まで30分→彼女の家の近くの公園で60分話す→ダッシュで30分で家まで帰る
という日が続くようになっていった。

母からの門限に対する忠告も受けつつ、抑えられない衝動が私のなかに確かにあった。『門限を破ってはいけないー。』だが、今の自分にはもっと大切なことがあるのでは?と、まさに大人への一歩を踏み出そうとしていた。

そんな葛藤を抱えたまま、とある日の部活終わりに彼女と一緒に家に帰ることとなった。いつも通り、一緒に自転車で彼女の家の近くまで帰り、近くの公園でおしゃべりを楽しむコース。
だが、今日は様子が違った。初めて手を繋いでおしゃべりをしていた。どちらからともなく…いや、当時の私にそんな勇気はなかったので彼女の方から手を握ってくれたのだ。そして、そのまま初めてのキスをした。私は頭の中が真っ白になり、時間のことを忘れて、ただその瞬間に夢中になっていたことを覚えている。

そして、いつもよりぎこちない会話と、いつも以上に幸せな空気感の中、急に私の頭に「今、何時?」がよぎる。ポケットから携帯を取り出し、時刻を確認すると、【21時40分】だった。
「あ、やばい」と一気に現実に引きずり込まれる。早急に帰らなければー。

まず、門限があることは恥ずかしくて彼女には言っていない。今この雰囲気で急に帰るなんて言ったらなんか怪しい。しかし、考えている時間はないので、「あ、やべ。兄貴にお使い頼まれてた!」なんて末っ子特有の白々しい嘘をつき、「ごめん、また明日!」といって、自転車に飛び乗った。

勝負はここからだ。現在の時刻は21時43分。家までの距離は10km。時速30km~40kmで相棒のママチャリをぶっ飛ばせば間に合う時間だ。かなり焦っているが頭は冷静である。
弱虫ペダルで学んだ技術【ダンシング】を使い、自転車を右に左に傾けながら、全力で進む。ぎっこ、ぎっこ、ぎっこ、、、さすが【ダンシング】と呼ばれる技術。すぐに足は悲鳴を上げるが、立ち止まるわけには、サドルに腰を下ろすわけにはいかない。門限に間に合わせるには、あと残り17分、ずっとこれで漕ぎ続ける形でないと間に合わないのだ。

私の自転車はグングン進むー。
時間が気になる。場所で家までの距離は大体わかる。時間を見れば間に合うかどうか把握できるが、今時間を見るためにサドルに腰をおろしたら、もう【ダンシング】はできない。足の限界はとっくに超えているのだ。
時計は見ない。このペースでいけば、必ず門限に間にあう。依然頭の中は冷静だった。とにかく漕ぐ。一心不乱に。

一度門限を過ぎたことのある兄はしばらく遊びに行ったり、寄り道して帰ることを禁止されていた。このままでは、私もそうなってしまう。そして、キスが、もうできなくなってしまう。
嫌だ!それだけは嫌だ!その気持だけで私の【ダンシング】は息を吹き返す。2,30分前のキスの記憶が何度でも俺を蘇らせる。

そしてついに家に到着した。足は限界で立つのがやっと。汗だくで明らかにおかしな状況だが、門限にさえ間に合えば全ては問題ない。私は玄関の前にたち、ゆっくりと携帯を取り出して、時間を確認した。

22時03分…

3分の門限破り。3分くらい、と思うかもしれないが母は許さないことを私は知っていた。すべての努力が無となり、もうキスができないことに絶望し、それでも、できるだけ早く帰れば罪が軽くなると思い、玄関のノブに手を掛けた。

玄関が空いているー。どういうことかと少し混乱し、リビングを覗くと、母は居眠りをしていた。
セーフ!このまま物音を立てずにお風呂を済まし、何気ない感じで部屋にいればお咎めなしだ!
私は先程まで弱虫ペダルの選手たちのようにロードレーサーと化していたが、今からは忍びである。物音ひとつ立てずにお風呂を済ませて部屋に戻るのだ。

そうして、忍びのミッションを無事完遂した私は、門限破りを隠蔽することに成功した。私の次回のキスは守られたのだ。そして、あわよくばその先も、、なんて想像していたが、以前の記事でも書いた通り、この後、私は自分のキンタマがいっこしかないことを人生で初めて自覚し、性への抵抗がうまれてしまうこととなる。

ただ残ったのは、『ママチャリで10kmを20分で走れた』という特に自慢もしづらい現実のみだった。

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