見出し画像

義と勇

「なぁ、今日が人生最後の日だとしたら、何がしたい?」

唐突にこう聞かれたとして、即答できる人間はどれくらいいるだろうか。

海外旅行に行きたい、カレー屋さんを開いてみたい、古い友人に会いたい、戦闘機に乗ってみたい、パーマをかけてみたい….
枚挙に暇がないが、どれも最後だとしたら決め手に欠ける。人生を掛けた目標を持つでもなく、没頭できる趣味を持つでもなく、積み上げてきた何かがあるわけでもない私に、唐突に訪れた最後の日にしたいことはなんなのか。

それでも私は世界を救いたい。
世のため人のため、そして自分のために世界を救う行動をしたい。何かを残せるような、そんな最後の日を過ごしたい。
何をするべきかはわからない。戦争を失くすために、貧困を解決するために、差別を失くすために、虐待を失くすために、自分にできることをやりたい。

約2年、転職をきっかけに学ぶことを始めた。
苦手な算数や数学を克服するために、エンジニアへと転職した。論理的かつ、方程式のような法則を見つけれる力を得るために。
歴史について学ぶことを始めた。戦争の映画やTVを見るだけでなく、本を呼んだり、起こっている事象の根本原因を調べたり、参考文献などもチェックしたりした。
それでも、自分がやるべきこと、やりたいこと、解決したいことの行動は見つからない。

きっと義は見つかっている。仕事で違和感を感じれるようになったからだ。会社のルールよりも、過去の対応履歴と現在の状況から、何が善で、何を優先しないといけないのか、判断できるようになった。
そして、勇も備わっている。上司と喧嘩ができるようになったからだ。
かつての指示待ち、裏で愚痴をのたまう人間ではなくなってきているはずだ。

ただ、肝心の「何がしたいか」(何をするのか)は見つからない。
おそらく、思いつきはあるはず。何かは見えているはず。ただ、勇がまだ足りていないだけである。

一歩踏み出す勇気を。空振りしても笑い飛ばせる胆力を。最後の日にできることを。
私は未だ持っていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?