ダリ 1/2
星暦4150年、かつて七色の楽園の星と呼ばれた人類第二の故郷の生命は、死滅した。
3度の厄災が星を襲い、医療技術に長けたその星の人々も抗いきれなかった。
生き残ったのは少数の、人類が生まれた星に住み続けた人々と、宇宙に出ていた人々だけだった。
星暦4090年。午前7:40。その研究所には夜も朝もない。ひっきりなしに人が行き交い、実験結果が積み重ねられていく。
その地下の一室にもまた、夜も朝もなかった。
【食べ残しが口元についていますよ】
「うー」
離乳食を飲み込む赤子の口元を拭うのは、見慣れた育児用のロボット。正確に言えばナノマシン集合体。1台あれば生まれてから大人になるまでの教育や躾、全ての機能を備えている。ロボットはその水銀のような体から触腕を伸ばして、食事を続けさせる。
赤子は目が見えなかった。生まれつき、まぶたと皮膚が癒着していたからだ。しかしそれを不都合だと判断する人間はいなかったため、そのままにされていた。
【午前8:00から経過検査がありますので、遅れないように食べてくださいね】
「?」
赤子にはまだ言葉はわからないが、教えるために発音がされているようだ。
赤子がやおらと手を伸ばすと、ロボットはその小さな手を握った。別の触腕が丁寧に食事を続けさせる。
『あれがK-7? まだ小さいじゃないか』
『小さいからこそ実験できることもあるさ』
『少し可哀想に見えてな』
『何言ってる、何十体といるクローン体だぞ? スラムのガキに比べたらお姫様待遇だぜ』
『それもそうか』
研究員達が通り過ぎる。
ガラス窓の中では、赤子が食事を続けている。
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【K-7、眠る時間ですよ】
「あーな?」
硬化したロボットの体の一部を積み木にして、遊んでいた幼児が繰り返す。
言葉を理解しはじめているようだ。
【あなたの名前でしたら、K-7です】
「あーな、あーな」
【わかりました、本を読みますから眠ってくださいね】
部屋の明かりは落ちない。観察に必要だし、幼児には目が見えないのでその必要はなかった。
【むかしむかし、あおいほしがありました。にんげんはそこからうまれました】
読み聞かせが始まると、幼児はとたんにおとなしくなった。柔らかなその語り口のせいだろうか。
【そのほしには、いろいろなくさがありました。いろいろなどうぶつがいました】
【でもだんだんと、うみがおおきくなって、にんげんのすむところがなくなりました……】
『よう、ついに昇進だって?』
『やっとだよ。これで給料も上がるし、夜勤ともオサラバ』
『じゃあその高給取りな助教授様に、おごってもらおうかね』
『なんでだよ、祝うのはそっちのほうだろ』
ガラス窓の外には幼児を気にする者はいない。
幼児はやがて、眠りについた。
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【……海がおおきくなって、人間の住むところがなくなりました……】
「カナ、しってるよ。『そうしてにんげんはとなりのとなりの、もうひとつとなりの、このほしにすむことにしました』」
何度も読み聞かせた結果、内容を覚えてしまった幼児が続ける。
「『このほしにはなないろの、すてきなくさやどうぶつがあって、にんげんはここにすむことにしました』」
【よく覚えていますね。K-7】
「けーなな、じゃないよ、カナだよ」
【名前を更新します】
「?」
ロボットはK-7の名前を更新したようだ。機械的な音声が返ってきて、幼児は不思議な顔をする。
『明日からついにプロジェクト開始か。予算が降りてよかったよ』
『本当だよな。まあ俺もせいぜいがんばるよ』
『頼んだぞ。名目上は助教授とはいえ、ほとんどお前の力なんだから』
『いや、そこまでではないだろう……』
明るい調子で話し合う研究員達が通り過ぎた。
ガラス窓の外では、PM0:00のベルが鳴った。
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【これが昔の地球で、作られた絵ですよ】
ロボットは体を変形させ、カナに触らせる。
地面の上には不思議な生き物が寝そべっており、その上に解けたような時計がかぶさっている。左側には木の枝。そこにもやわらかい時計がぶら下がっている。
カナはそれらを触りながら、言葉を発する。
「これは、だれがつくったえ?」
【ダリ。サルバドール・ダリです。】
「ダリ! これ、あなたみたいね」
【わたし、ですか?】
ロボットは理解できないという風にわずかの間沈黙した。
「そう。あなたはダリね!」
そう言ってカナは嬉しそうに笑った。
【名前を更新します】
そうしてロボットはダリと名付けられた。カナのほかには、その名前を呼ぶものはいなかった。
『被検体達も大分大きくなったな』
『気になるか?』
『いいや、毎日同じ顔ばかり見て飽き飽きしてるよ』
『でも大分数も減ったよな』
『医学の進歩のためには仕方ないさ』
『そういえば知ってるか? あの噂……』
ガラス窓の外では研究員達が行き交い、噂を囁き始めていた。星外の宇宙船に拠点を持つ人々の話だった。
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【検査の時間まであと10分です。そろそろ移動器に入ってください】
「やだ! まだあそぶ!」
カナは成長し、少女への変化の兆しを見せていた。しかしまだ子供らしく、イヤイヤを繰り返す。
【カナ、お願いです】
「じゃあこのごはん、食べてくれたらいく!」
そういってカナは空気を両の手のひらでまるめて、ダリの前に差し出した。ダリはそれを触腕で受け取り、体内へと入れる。
【窒素、酸素、アルゴン、二酸化炭素等を検出しました】
「おいしい?」
【はい、カナ。 さあ、移動の時間ですよ】
「はぁい」
カナは手探りで壁に手をついて立ち上がり、部屋の入り口にあるポッド―移動器―に入った。
『K-7はいつも時間通りに動かせるから助かるな』
『この前は実験の副作用で大変だったけどな』
『ああ、あれな。でもおかげでいい検体もとれた』
ガラス窓の外では研究員達が話していた。
首からは3枚のIDカードがぶら下がっている。施設のセキュリティチェックが強化されたのだ。
『例の噂だけど、本当らしい』
『星外人の? それで面倒なチェックが続くのか。勘弁してほしいぜ』
研究員達の噂話は続く。
《つづく》