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三宮センタープラザ東館 老舗カレー店サヴォイのカレー
今日は、家族が実家に帰っているので、好きなだけ寝ていられる日だ。
好きなだけ寝ると言っても、五十肩の痛みが襲ってくるため、ちょくちょくと目が覚めてしまうのが現実だ。
昨日はサウナでしっかりと血行を良くしたはずなのに、なぜこの肩は痛みを手放してくれないのか。
この納得のいかない痛みが、朝の静寂の中で、じわじわと僕の気分を曇らせてくる。
42歳ともなると、すこぶる体調が良いという日なんてほぼ存在せず、目を覚ました瞬間に感じるのは「体調が悪い」か「ちょっと体調が悪い」のどちらかだ。だからこそ、今日は好きなだけ寝てやろうと思っていたのに、目が覚めてしまうのは実に悔しい。
気分転換に外に出ることにした。こういう日は街まで出て、あのサヴォイのカレーをかきこむに限るのだ。
少し距離はあるが、僕の愛車(といっても自転車だが)にまたがり、三宮まで一気に駆け抜ける。
「待ってろ、サヴォイのカレーよ」と心の中でつぶやいたら、もたれ気味の胃が「昨日もカレーだったよ」とつぶやいた。
そんなことは知ったことではない。カレーは食べたい時に食べるのが一番美味しいのだ。
サヴォイのカレーとピクルスの共演
サヴォイに到着し、さっそくカウンターに座ってカレーを待つ間、ふと目の前にあるピクルスに目が留まる。実はサヴォイ、カレーも絶品なのだが、ピクルスがまた素晴らしい。ここでは福神漬け、きゅうり、らっきょう、にんじんの4種類が取り放題で卓上に並んでいるのだ。
個人的に一番気に入っているのが、意外にも「にんじん」だ。このにんじん、固めに漬けられていて、噛むたびにコリコリとした小気味良い食感が楽しめる。カレーと共に食べると、スパイシーさとこのカリカリ感が絶妙なコントラストを生み出し、まるで口の中で小さなオーケストラが演奏を始めたかのように、味が響き合うのだ。
ただ、僕はちょっと小心者で、いつも店員さんの視線を盗み見しながら、こっそりピクルスをお代わりする。にんじんをつまむたび、心の中では「これで最後」とつぶやくのに、結局手が伸びてしまう。こうした自分との小さな攻防も、サヴォイでのカレー体験の一部なのだ。
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黄身が割れるとき、濃厚な黄身がサフランライスとカレーの間に流れ込んで、味に奥行きとコクをプラスしてくれるのです。
カレーの味とその中毒性
さて、ついに目の前にカレーが運ばれてくる。サヴォイのカレーは一見シンプルで素朴だが、一口含むと、まろやかな辛さと旨味が絶妙に広がる。
スパイスがじわじわと効いてくる独特の風味は、体中の細胞が「これだ!」と叫び声を上げるような、強烈な訴求力を持っている。
噛みしめるごとに、脳内には何かが流れ込み、じわじわと幸福感が高まってくる。
まるで、脳が「まだまだ!」とお代わりを求めているかのようだ。
僕は一体、このサヴォイのカレーに何度魅了され、通い詰めたのだろうか。
カレーのスパイスは、「一度ハマったら抜け出せない底なし沼」という説があるが、まさにその通りだ。ああ、今日もこの魔性のカレーに、僕はまた落とされているのかもしれない。
ピクルスを巡る小さなドラマとサヴォイの幸福
食事が進むごとに、気づけばピクルスのお皿はからっぽだ。何度も「最後にするぞ」と自分に言い聞かせたはずが、気がつくとにんじんをまた一つ、また一つとつまんでいる。サヴォイのピクルスには、「もう一つだけ」の呪いがかかっているのだろうか。カレーの満足感とピクルスの爽快感が、僕の脳内で踊り続ける。
こうしてサヴォイでカレーを食べるたび、僕は小さな幸福のひとときを味わっているのだろう。
肩が痛くても、寝ても寝ても疲れが取れなくても、今日もサヴォイのカレーとピクルスが僕の心を満たしてくれる。
この一杯がある限り、僕の体調なんて関係ない。人生の大事な調味料として、サヴォイのカレーはなくてはならない存在なのだ。