愛だろ、愛

すきなアイドルの愛で方、好きの表現方法は人それぞれだ。

様々な「かわいい」を使い分ける人、「まって、泣いた」などと自身の報告をしてくれる人、生まれてきてくれたことを神様や彼らの両親に感謝する人等、百人百色でおもしろいし楽しい。

自分の場合は恐らく「貶し愛」というジャンルに入るだろう(そもそも愛で方にジャンルなどあるのか)

ひねくれた愛あるツッコミ、みたいなものだ。愛おしみが振り切れるが故、ストレートに表現するのが照れくさいのだ。

日本人には比較的おなじみの感覚だと思うが、

海外(特に本国)ではこの貶し愛文化がなく、感覚的にわからないという話を聞いたことがある。

実際海外のペンが日本人の貶し愛ツイートに対して、好きなのに悪口を言うなんて信じられないと激しく反応するのを度々みてきた。言葉そのものの意味や意図が伝わっているいない以前の問題なのではないかと思う。

自分は堂々と貶し(愛)ているくせに、同ペンでもない人に自分の推しがシニカルな表現で言及されていると無性に腹がたつ。外野になにがわかるんだ、黙ってろ!なんて、台でもひっくり返しながら暴れたくなるから非常に厄介である笑

貶し(愛)ていいのは‘推し’だけである。J界隈でいうところの‘自担’だけだ。同グループの他メンは貶さない。他グループなんてもってのほか。それはただの悪口だ。それでもどうしても物申したい時は、ラインかカトク、もしくは鍵垢でやれ!というのが、わたし的「貶し愛」のルールだ。

「みんなだれかの大切な推し」マインドでやってきているので、最低限のマナーは守りたいし、言論の自由をはきちがえたくはない。Twitterやブログなど匿名性の高い世界では尚更。

貶し愛であれ、推しかわいいbotであれ、なににしても総じて推しやグループ、そして同胞への‘愛’なのである。

《サランハジャ》