【大麻の歴史】2000年の伝統が違法化された裏側とは?
この記事では、大麻の歴史の話しをしたいと書いていきたいと思います。
内容は、武田邦彦さんが著者である「大麻ヒステリー~思考停止になる日本人~」という本の紹介です。
沢尻エリカさんや伊勢谷友介さんの事でまた一段と認知度が増した大麻ですが、意外と大麻とは何で、どんな効果があり、どんな歴史があるかを回答できる人は少ないよう。
アングラなイメージを持たれるかもしれませんが、これは役所の指示を受け、マスメディアがダメゼッタイという言葉で洗脳しているだけで、実際は2000年以上も日本人と慣れ親んでいて、身の回りのものに使われてきました。
では、大麻は神社の鈴縄や下駄の鼻緒など様々な日用品に使われていたのに、なぜ追放されるようになったのでしょうか。
ただの植物を栽培するだけで逮捕されるのです。
何かあるに違いないでしょう。
医療効果があるとか無いとかではなく、そもそも日本人との関わり方や歴史を知り、知恵を深めていただければと思います。
日本と大麻
そもそも、大麻はドラッグではありませんでした。
清水 登之(シミズ トシ)という画家が1929年に発表した絵には、広い畑一面に大麻が栽培されていて、それを村の人が総出で収穫している様子が描かれています。
大麻は比較的背丈が高い植物なので、人が小さく見えることも分かるはずです。
そう、太平洋戦争が終わるまで、日本は2000年に渡ってただの作物として大麻を栽培しており、それは全国的であったのです。
ただ、それは作物として収穫されていて、パーティーのように娯楽で使われるものでもなかったことも意味しています。
また、昔から馴染み深い植物であったため、実際今でも大麻は普通に生えていたりしますね。
大麻は比較的病気がすくなく、栽培が楽な作物。
また、成長は早く日本の気候にあっています。
なので、昔の日本は4月から5月になると大麻を畑にうえ、7月下旬ごろに収穫するというルーティングができていたのだそうです。
収穫された大麻は乾燥し、繊維などに使用できるよう加工されていきます。
繊維はとても丈夫で、実の栄養素は豊富なので、非常に良い作物です。
現に、七味唐辛子には大麻の実が入っているでしょう?
ただし、繊維や食物に使われることはあっても、喫煙されることはなかったのが日本の大麻。
この変化は何なのか、ということで大麻が禁止された歴史について触れていきます。
大麻とアメリカ
もともと、大麻を排除しようという動きはアメリカで始まりました。
アメリカは移民が作り上げた伝統の浅い国なので、それが奇妙なことやイノベーションを生む原因ともされています。
建国の際に、全ての人間は平等であると宣言されましたが、これは階級制度のあるイギリスから独立するための大義名分であり、その中にはインディアンや黒人は含まれていませんでした。
つまり、建国されたときから白人優位なのです。
奴隷貿易もあり、アメリカには多くのアフリカ系の人が住み始めます。
そして、マヤ文明など長い歴史を持つメキシコともつながっているので、様々な人種が入り乱れることとなるわけ。
大麻は独立当初、重要な繊維原料でしたが、奴隷による労働力で綿花栽培が盛んになり、繊維としての大麻は衰退していき、移民がタバコ、つまりマリファナジョイントとして使い出しました。
薬というのは、ストレスある社会か、あまり働かなくても良い社会で浸透する傾向にあります。
南からの移民がマリファナを使いだしたのも、このこと関係しているようですね。
19世紀後半に南北戦争が起こり、リンカーン大統領が誕生し、奴隷制度が廃止されました。
自動車や石油など、先進国的な産業がどんどん発展してくのもこの時から。
したがって、メキシコやカリブなど南米系の人が、このチャンスをものにしようと移住し労働者として働きはじめることとなります。
ヒスパニック系の人たちの大半はダウンタウンに住み、横のつながりが強いライフスタイルと相まって、マリファナを嗜むようになります。
大麻には呼び方が沢山あるので、とまどうかもしれませんが、一般に産業用はヘンプ、医療や娯楽など一般的なものはカンナビス、ジョイントはマリファナと呼ぶことが多いです。
そもそも、マリファナジョイントが流行ったのは、ニコチンより依存性がなく、値段は安く、暴力性がないので、まあ使うかというものだったというのが実情らしい。。
ヒスパニック系やアフリカ系の人はマリファナを嗜んでいましたが、白人は大麻を使用する習慣が当時なかったそう。
アメリカというのは、だいぶマシになっているものの、白人優位な国です。
この違いに不満を募らせることもあったことでしょう。
先に移住して開拓した白人と、その後の移民には差別があります。
ここで、気に食わなくなった白人はマリファナは、けしからんということで排除運動を始めたそうです。
ダウンタウンで移民たちがマリファナをモクモクさせているのが、相当気に食わなかったのでしょう。
では、大麻禁止に繋がることとなった禁酒法についても触れていきたいます。
禁酒法は、1920年から1933年まで存在していた、お酒の製造・販売・移動を禁止するものです。
禁止されているものの、人々が欲していたので、ここで大儲けしたのがアル・カポネやSEC初代長官のケネディーだったりします。
17世紀のはじめにイギリスから移住してきた人たちは、ヨーロッパが発展していくなかで、材料不足の事実をしり、木材などを輸出する貿易で力を付けていくこととなります。
知らない土地を開拓していく男たちは、まあストレスがたまります。
そこで、度数の強いアルコールを飲むになりました。
だいぶ後になりますが、酒の飲みすぎは社会を壊すという風潮が社会で高まり、1826年にボストンで禁酒協会が設立されます。
ただ、実際はビールやワインはOKとされていて、ウイスキーなどの強いお酒でアルコール依存症になることが問題視されていたわけです。
近代国家へ発展していくアメリカはキレイなことを好む風潮になり、禁酒法の土台ができていきました。
そして、1851年にメイン州で最初の禁酒法が成立します。
そのうち、最初に移住してきたプロテスタントと、後に移住してきたカトリックに亀裂が生まれ始めます。
メイン州は北部にある州で、プロテスタントが多い地域でした。
ビールが有名であったドイツ系のカトリックを飲んだくれであるとみなし、またビール業界でドイツが牛耳っていたことも気に食わなかったようです。
同時に女性の社会的な力も増していき、禁酒運動がより盛り上がることなります。
そして1917年に禁酒法が議会を通過し、20年に施行されました。
ただし、酒を全面禁止はできない制度で、飲むのはOKでした。
つまり、闇ルートから購入すればいいわけです。
したがって、ギャングが勢力を増すこととなりました。
この法律はわずか13年で廃止され、アメリカに傷残すこととなります。
それは、多少破るのがOKな法律に人を慣れさせてしまったからです。
アメリカで禁酒法が廃止されたのは1933年で、大麻の禁止は1937年。
あまりにも近すぎるので、ここに何かがあったと想像できます。
禁酒法が廃止になった直後、酒の密売などを取り締まっていた捜査官が大量に余るという自体が発生しました。
そこで、何か禁止するものを探していた役人は、対象として大麻を見つけることとなります。
したがって、失業対象として、大麻を悪者扱いした可能性が高いわけです。
禁酒法ではドイツ系が悪者にされましたが、大麻禁止の背景にはヒスパニック系への反発という意味が込められています。
大麻を取り締まることにした前後のことですが、そもそも大麻が体に悪いという科学的な証拠はほとんどなかったそう。
ある策を進める時、それは正しいかどうかという事はあまり重要でなく、権力あるモノがどう進めるかで決まります。
当時アメリカには新聞や映画が発達していたので、そういった媒体を使って大麻は体を壊すというキャンペーンを打ちまくりました。
白人の若者がマリファナに染まって暴力化するシーンを描くことで、考える力をもたない大衆をまんまと洗脳できますね。
これは、現在の広告でも取られている手法なので、まあ想像つくはずです。
このときの名残で、マリファナを吸うと顔がげっそりし、暴力的になると思っている人が日本人には多い。。
実際にマリファナを吸って喧嘩が起きた場面は見たことがないはずです。
大麻を締め付ける大麻課税法に署名したのはルーズベルト大統領ですが、これは大麻を使うには法外な税金を収めなければならないというものでいした。
したがって、表面的には課税法でしたが、その税金がバカでかかったので、事実上禁止状態であったというわけですね。
つまり、大麻を使用すると何か大きな害が出るという証拠がなかったので、課税という形式に落ち着かせるしかなかったのです。
また、大麻禁止の裏側には石油産業が噛んでいたという説があります。
これは、合成繊維の実用化ができるころだったため、石油を売ってなんぼの業界からは、早く育って頑丈な大麻の繊維は邪魔者扱いされたというわけ。
実際、この頃にデュポンがナイロンを発明しています。
日本の戦争敗退と大麻取締法
そんなこんなで、一度禁止された大麻は、そのまま成長し、戦後の日本へも渡ることとなりました。
1937年に成立した大麻課税法ですが、約10年後に日本へ上陸することとなります。
敗戦した日本はアメリカに占領され、国の指揮はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が行っていました。
ポツダム宣言が出たとき、正式に大麻は薬物であるとアメリカに認定されたのですが、これまで縄文時代から使われてきた植物を禁止とされたのだから、まあびっくりするでしょう。
内閣に勤めて林修三さんは、大麻取締法ができた前後のときのことを「正直異様な感じを受けた。何か間違いで、冗談だと笑っていたものだ」と記しています。
この文書は、『時の法令』に「大麻取締法と法令整理」という題名で掲載されています。
そう、つまり当時の日本人の大麻への感覚がはっきりと分かる文章です。
大麻を吸う習慣がないのに、アフリカ系の軍人が好むからという理由で勝手にドラッグ認定されたのだから、何かの間違いだと思うのは当然な反応であると言えます。
アメリカの法律であるからという理由で国会を通過した大麻取締法には、目的も科学的根拠もありません。
ただ、そう言われたから作られた法律なのです。
しかし、最初に成立してからは、日本人の手によって何回か改正されています。
1953年に大麻の定義が大麻草およびその製品に変わり、種がはずされ、1990年には栽培・輸入・輸出・譲渡・所持が違法になりました。
したがって、大麻取締法は日本が独立してからの方が厳しくなっていっています。
大麻そのものの話し
少し、大麻そのものの話しもしますか。
大麻は大きく3種類にわけられ、それはサティバ、インディカ、ルーディラスです。
いちおう、化合物であるカンナビノイドを多く含むものが嗜好用で、少ないものを繊維などの産業用として使用していたと考えればいいと思います。
精神や医療の面で関わってくるカンナビノイドは、THCとCBDが大部分。
THCは精神活性性があり、CBDにはありません。
THCはテトラヒドロカンナビノール、CBDはカンナジビオールとも言われます。
したがって、日本で自生していたり栽培されていた大麻は、カンナビノイドが少ない大麻株でした。
つまりは、大麻に精神活性性があるのではなく、THCを多く含む大麻株が精神活性性を持つのです。
大麻が駄目で禁止すべきであるという胆略的な判断は、日本人は犯罪者がいるから日本人は全て入国禁止とどこかの国で言われているのと同じでしょう。
紀元前1100年前の古墳から、大麻布が見つかっていることから、大麻は繊維として使用されてきたのが決定的です。
実際、大麻がドラッグ的な使用方法をされていた文献はありません。
アヘンのようなものはありますが、大麻は歴史的に、本当にないのです。
そして、繰り返しますが日本も同様です。
伊勢神宮で配られる御札は神宮大麻と呼ばれているくらい、身近かつ神聖なものです。
また、全国で麻という漢字が含まれる地名は数多くあります。
これは、麻の産地だったり、加工産業などがあった証拠ですね。
ここまでで、アメリカ主動で大麻は禁止されだしたことはすでにご存知だと思いますが、本当に暴力性を生んだり、依存したりと圧倒的に悪い影響がなく、また研究結果もなかったので、大麻自体はそれほど悪くないが、若者が別の麻薬に向かう導入剤になりえるという議論へとすり替えていきます。
生活習慣の1つに組み込まれると、それは精神的依存になる可能性はありますが、大麻で指摘されている依存性はその程度。
毎日ぬいぐるみを隣に置かないと寝られない人がいるとして、そのぬいぐるみが依存となっているのと大して変わりません。
さて、では日常的に目にする物の依存性を比較するとどうなるでしょう。
もっとも強いのはヘロインやコカインであり、その次にアルコールや幻覚剤が来て、タバコ、大麻と続きます。
つまり、大麻は依存性としては、その他の物質より低いこととなります。
例えば、アメリカ国立薬物乱用研究所による成分調査では、ニコチンの依存度が6、アルコールが3で、大麻は1でした。
現在、世界的にみれば大麻を合法化する流れで、カナダは完全に合法化し、アメリカは医療用を含めれば多くの州が合法化しているし、ヨーロッパでも非犯罪化されている地域が多いです。
まとめ
この記事で、大麻とは何か、日本人とはどのような付き合いがあったのか、法律では駄目とされているがそれはどうなのか、などなどが分かったと思います。
科学的な根拠が薄いまま禁止されていることもあり、大麻の研究は進んでいるとは言い難いです。
大麻の基礎知識はあるはずですので、つけた知識を元に、ご自身で何か判断してもらえればと思います。
日本では、大麻の栽培、譲渡、所持が違法です。
私は犯罪行為を推奨したり、また幇助する気はないので、そこだけ勘違いすることはやめていただければという感じ。
日本で大麻が合法化されるかは不明ですが、勝手に生えている植物を禁止する法律は割と無理あるなあと思います。