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「何か」のやりとり。
多くの人(Autistic 以外?)の間では、「何か」がやりとりされているのだそうです。
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その「何か」が即座にやりとりされることで、「こころのつながり」を感じるのだ、と教えてくれた人がいました。Autistic 相手ではその「何か」のやりとりが起こらず、「こころのつながり」を感じることが難しいそうです。
伝聞体で書きました。お察しのとおり、わたしにはその「何か」が察知できません。もらっても返していないといわれても、何のことだかわからない。
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その「何か」は「ふつうは」よほど意図的に無視とかしない限りは基本的に返ってくるものらしいので、その「何か」が返ってこないのは大事件らしいのです。彼女はAutistic について知識も理解もある人ですけれど、反射的にイラッとくるのは抑えられないとのことでした。その点においてカサンドラの人には共感できるとも言っていました。
カサンドラの本質とはこのあたりなのでしょうか。Autistic 的には意図的に無視しているとかでは決してありません。そのいっぽうで、Autistic ではない人にとっては意図的に無視以外にありえない事態であるとすれば、まあ、そう見える/そうとらえられるのも無理はないような気がします。
おそらく、努力の問題ではないのです。概念すらわからない。概念じゃない、と言われそうだけど、その「何か」とは何なのか、理解も想像もできません。ひょっとしたら、生まれつき目の見えない人にとっての「画像」に近いものかもしれません。違うかもしれませんけれど。