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首コン感想③ ・ 漂流したら
しのき美緒さん主宰のHelvetica Booksは、「第1回HelveticaBooks短編小説賞:KUBISM」、通称「首コン」を開催いたしました。
賞典として、「入賞作は電子書籍・アンソロジー『KUBISM』に収録される」というアナウンスがあり、「入賞作品の紙の書籍化」と「一次通過作品及び審査員の推し作品3つ(予定)の電子書籍化」が追加で発表されました。
さらに、来年の5月に行われる文学フリマ東京40にHelvetica Booksの出店が決定。文フリのブースに『KUBISM』が出品されることになったのです。
加えて11/3に発表の記事、『首供養』のご案内(しのき美緒さんのnote)で、『KUBISM』一次選考通過作品とその著者さまの健闘を讃える電子書籍、『首供養』の発表がありました。
今回は漫画家、やなせたかし先生の「アンパンマン」をもとに、「首から上と首から下、どちらが大事か?」という前回の続き的な記事を書こうと思っていたのですが、午前中に楳図かずお先生の訃報が入りました。そこで今回は「漂流教室」の話にいたします。
私が初めて目にした楳図先生の作品は、「まことちゃん」でも「猫目小僧」でもなく、「漂流教室」でした。どこの誰の家で見たのかも覚えていませんから、よほど幼い頃のことです。数年経ってやっと、少年同士の対立が過激化した物語のクライマックスであることが分かりました。
その回は、カニバリズムが描かれていました。
作中の主人公は対立するグループが肉を焼いている光景に衝撃を受けていましたが、ストーリーを全く知らない私も、そのシーンに強い衝撃を受けました。誰が描いた作品かも知らず、話の前後すらも知りませんでしたが、その数コマは鮮烈に記憶へ残りました。まだ理も非も分からぬ子供に映像と短いセリフだけでメッセージを伝えてしまう力、楳図先生おそるべし、です。
今回の『KUBISM』で、カニバリズムを扱った作品は多くありませんでした。お題がお題ですから、「自分の体が喰われるのを眺める生首」みたいな作品が多数くると心密かにおそれていたのですが、ほっとしました。
ここで例を挙げると対象が少ないためどの作品か分かってしまいますし、個別の感想は記事にしない、と予め宣言していますので応募作品の内容については触れません。ただ漂流教室の影響が強すぎて、私はどうもそのては苦手だということを白状いたします。
カニバリズムについて、宗教的または呪術的な行為としてのものは今回、傍に置いておきます。
映画ではたまに極限状態の演出、たとえば「船が漂流した」あるいは「飛行機が雪原に不時着して」、「洞窟に閉じ込められた」などなどで食料がなくなって……弱者や余所者が狙われる、という展開で使われていると思います。
史実では、たとえば秀吉の鳥取城攻めが有名です。
太閤びいきの司馬遼太郎は、あまりの凄惨さに秀吉は衝撃を受けた……みたいなこと書いていましたけれど、実際の彼はどうだったのでしょう。次の年には高松城で水攻めをしているくらいですから、ほんとは気にも留めなかったのではないでしょうか。武将として敵対者に対する慈悲など微塵も持ち合わせていなかったのかも知れません。
人間性が欠如した状態、あるいは人間性を棄てて野生に帰らざるを得ない状態(野生動物に抗議されそうですが)をどう描くか、相当な人間通でなければ手に負えないかも知れません。ただ技術的に難しくはあるものの、取り入れるだけで相当なインパクトが生じる題材だと考えられます。
苦手だと言いつつ、私自身もカニバリズムを扱った作品を書いています。エブリスタに投稿した「ウバ神さまが支配する(Be ruled by goddess 'UBA')」というSFです。
自分の作品だから遠慮なくネタバレをしますが、主人公はある土地の因習で、愛する女性の先祖(=ウバ神)の肉を口にするかどうかの選択を迫られます。体内に取り入れればウバ神の支配を受け容れることになるものの、それがその土地で生まれた女性との結婚を認める条件、という設定です。
上で「肉」と書きましたが、作中では木乃伊の欠片……つまり「カツオ節のような状態」としていまして、それでも口にすることを主人公は躊躇します。
私にはそこが限界でした。やはり「漂流教室」の影響か、私にとってカニバリズムの生々しい描写はとても難度が高いようです。
星新一のショートショートで、タイトルは忘れましたが「自分のクローンを食す」美食家の話があったように記憶しています。作中では「究極の美食はカニバリズム」ということで、食用として自分のクローンを用意する……という展開ですが、結果は……読んでのおたのしみです。
カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」はフィクションですが、現実社会でも違法な臓器売買組織があるという話を聞きます。己が生きるため、他者の肉体の一部を勝手に(不法に)移植する、つまり取り込むという行為は畢竟、カニバリズムとどう違うのでしょうか。
深刻に考えれば、頭の痛くなる問題です。
話を「首コン」に戻しますと、直接的にカニバリズムを扱う作品の数は少なかったものの、クローン技術や身体を奪う系まで含めると、他者の肉体や命を使って……という作品は少なくなかったように思います。
ヒトとは何か、人間らしさとはどういうものか、というテーマは人類が永遠に求めていくものなのかも知れません。
今回はこれまで。お読みいただき、ありがとうございます。
それでは皆様、『KUBISM』ならびに『首供養』、どうぞご期待ください。