PLAN75の感想
はじめまして。30代独身、一人暮らし女性です。
いつまで生きればいいんだ……と絶望しながら見たPLAN75。
羨ましい、と思った。
死に方が選べるなんて。
いつまで生きればいいか、分かってるなんて。羨ましい。
PLAN75に出てくる主要な人物はこんな感じ。
・78歳のおばあちゃん
・75歳のおじいちゃん
・PLAN75の案内をする男性(おじいちゃんの甥っ子)
・PLAN75のコールセンターの女性(おばあちゃんのお話を沢山聞いた人)
・介護施設、PLAN75の遺品整理的な職員の外国人労働者
高齢者本人の気持ちは、まだ30代の私には分からない。
PLAN40とか50があれば、仕事クビになっても安心だなーと思う。
作中、おばあちゃまが、年齢を理由に解雇されてしまう。物件の問題もあり、仕事も、住む場所も決まらずに、おばあちゃまはPLAN75に申し込んだ。
この気持ちは、この絶望は、私にもわかった。私も、家賃が払えず、仕事にも病んでて行けずクビなった。PLAN20があったらもう絶対に申し込んでた。
なんとか拾ってくれた会社は、私が死なないためのセーフティネットになってる。
30歳になったら死のう!と思ってた20代
まずは自分語りから失礼。
昔は夢があった。芸能の夢。今思えば圧倒的自己肯定感不足で自信が無さすぎたのが敗因かなと思うけれど、お芝居そのものが好きだった。上手な人と沢山お芝居で言葉を交わしたかった。日常の私では出せない感情、言葉を表現できることが好きだった。
夢追う時代は、とにかくお金がなかったし、私は病んでいた。
朝からの昼勤務を終えたら別の夜勤にはいって、翌昼から夜まで働く。病んで1〜2週間動けなくなるの繰り返し。
24歳くらいで、そんな生活に耐え兼ねて、諦めた。とにかく安定を求めて、一切のお芝居などの活動を辞めた。
もう、頑張りきったなーと思った。
もういいや、もう余生だ。あと5年、好き勝手してやる。
やっと、やっとお金に余裕ができた。それでも月の手取りは20万円ギリギリ。私にとっては贅沢ができる金額だった。
こんなに時間に余裕があって、お金も安心して毎月あって、心が安定している生活は初めてだったかもしれない。
そんなこんなしてたら、来てしまった。
30歳
何だか呆気なく30歳の誕生日を迎えていた。
死ぬほど苦しくない。今は、ぜんぜん楽に生きられてる。
無理しないうちはダラダラ生きてても良いんじゃね???と思いながら、今も継続してる。
どうやって、死ねばいいのか。
私にとっては衝撃の出来事。
高齢の叔母が亡くなった。ガンだった。
ガンは転移していると手術は保険適用にならないそうだ。抗がん剤治療をするか、緩和ケアに移る。
緩和ケアは、自宅での介護が条件だった。
死ぬことは決まっていても、いつ死ぬか分からない。いつまで身内が介護を続ければいいのか分からない。
どうするの……?
叔母は、ある日突然亡くなった。
私は、薄情だけど、自分の親が介護で疲れ切る前で、まだお互いのことを好きでいられる状態で幕引きできて、よかった……まであると思う。
死ぬのって、死ねないのって、大変すぎると思った。
あのまま完全介護状態になっていたら、生き地獄だったんじゃないだろうか。
死を止めたがるのは、生きてる人間
だけど全部、こんな事もあったって話せる『貴重な経験』になるからさ。
私が死んでも、本当に悲しむ人のことを私はあまり浮かべられない。
数日間くらいは悲しむ人はいるかもしれないけど、困る人はいない。いないように生きてる。
婚活も考えたけど、困る人を増やして長生きするPLANに乗り切れずにいる。
PLAN75では、その決意を、止める人はいない。尊重している。
止めない方が良い、という社会設定になってるのもあると思う。
羨ましいと思った。