能登に向かって⑦

時折、現実より夢の中の方がマシだと思うことがある。夢の中では、現実世界ではできないことができたりする。空を駆けたり、会えない人に会ったり、本来引き合わないものを組み合わせたり。夢の中だけは、現実世界の様々な制約から解きほどかれることができる。そういうことで、私はつらい現実があるときにはたくさん寝てしまう事が多い。これとは違うのだが、友達は「一晩眠れば、その日あった嫌なことは綺麗に忘れてしまえる」と話してくれた。すべてがそうではないと思うが、その平然としている様子にとても惹かれた。なれるなら私も1度そうなってみたいと感じた。

前回の続きから。穴水駅を出発した私はこのまま金沢に向かおうか迷っていた。というのも、まだ時刻は12:10ごろで少しどこかに寄り道したとしても、(金沢に戻って)21世紀美術館をゆっくりまわる時間は十分にあったからだ。私は、「恋文の技術」の聖地を初めてネットで調べてみることにした。そういえば、なぜだか今回はネットで聖地を事前に調べていなかった。

私が参考にさせていただいたのは、「aya」さんという方のこちらのブログだ。「恋文の技術」の聖地を写真付きで丁寧に紹介してくださっている。私はこのブログを読んで、次の目的地をのと鉄道「能登鹿島駅」にすることに決めた。

のと鉄道「能登鹿島駅」

能登鹿島駅にて

少しして、のと鉄道「能登鹿島駅」に到着した。この駅は別名「能登さくら駅」といい、春には満開の桜のトンネルが見られるそうだ。ここ能登鹿島駅は「恋文の技術」においては、主人公守田が通う実験所の最寄り駅として登場する。ayaさんも「何が何でもここは行ってほしい3選!」の(1)として、ここ能登鹿島駅をあげている。聖地巡礼のくせに全くの聖地を通り過ぎるところであった。危ない。駅舎の中には本が何冊か置いてあり、「聖地巡礼者用の備品」として「恋文の技術」も並んでいた。

能登鹿島駅の本棚の中にあった「恋文の技術」
能登鹿島駅の本棚の中にあった「よつ葉のエッセイ」

なぜだかわからないが俵万智さんの「よつ葉のエッセイ」という本も置かれていた。他にも何かないか駅舎の中を見ていると1枚のポスターを見つけた。それは、「ノトゲキ」と大きく題字の書かれたポスターだった。

能登鹿島駅に貼ってあった「ノトゲキ」のポスター

イラストもかわいく、文字の配置も見やすくていいポスターだなと眺めていると、このポスターでお知らせしている日にちがまさに「今日と明日」の事だと私は気づき始めた。たいていの場合、私がこうやってポスターを見ている時は、「もう終わってしまっている事」か「ものすごく先の事」の場合がほとんどだ。ゆっくりと頭の中で照らし合わせてみても、携帯で確認してみても、ポスターに記されているのはまさしく今日と明日のスケジュールだった。しかもまだ行ける。石川県立七尾東雲高等学校さんの演劇部の公演には時間的に間に合わないが、「能登版 銀河鉄道の夜」の16:00の回なら全然間に合う。なんだかんだ私は演劇の事がずっと好きなので、偶然の出会いにとても嬉しくなった。そして、「行かなくちゃ」という気持ちになっていた。しかし、1つ問題があった。16:00の回を観るということは、観劇の時間、帰りの電車の時間、金沢駅からの歩く時間を考えると、21世紀美術館に行くことを「消滅させる事」と同じことだった。さすがに私は少し悩んだ。金沢おでんにつづいて2連続で「やりたい事リスト」を無碍(むげ)にしてしまっていいものか。まだ、次の時間まで少し時間があったので私は気晴らしに、七尾湾を観にいくことにした。

能登鹿島駅近くの岸から見える七尾湾

午前中の豪雨がなかったことかのように、天気は良かった。海を眺めるのは気持ちがいい。私はいろいろ考えた結果、この偶然的な出会いを尊重することを決めた。それは、穴水で食べたお寿司が美味しかったこと、能登鹿島駅近くの岸でみた七尾湾がとてもきれいだったことが大きく影響していると思う。「今日、のと鉄道にて」でできることを大切にしよう。おそらく「また今度」のできない、見たいと思っていた21世紀美術館の企画展もあったのだが、それは残念とする。常設展示もずっと同じではないだろう。しょうがなくはないのだが、しょうがないとする。まったく同じものはもう2度とないが、再び石川に来た際には必ず美術館に行き、金沢おでんを食べることとしよう。
能登鹿島駅に戻った私は、観劇のための予約フォームを開いた。次の目的地は、「能登演劇堂」のある「能登中島駅」だ。

つづく。



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