能登に向かって|石川旅行記⑩-終-
9月25日現在、「能登豪雨」の影響で9人の方が亡くなられたと報道があった。いまだ安否不明者の捜索は続いている。亡くなられた方のご冥福を心より祈る。そして、捜索が無事に行われること、1人でも多くの安否不明者が発見されることを切に願う。
前回のつづきから。金沢駅を出た私は、森本駅で降車し快活CLUBへと向かった。道と雰囲気がなんとなくはわかるので、昨日の夜よりは不安が無かった。お店に到着すると、席の選択をした。私は、どうしても今は横になりたかったのでオープンシートではなくボックスシートを選択することにした。ボックスシートというのは、多くの人がよく想像するいわゆる「ネカフェ」というような席で、鍵はついていなく天井はないが一応個室である。しかし、その分オープンシートよりは少し割高だ。といっても金沢福久店は他のお店や宿泊施設に比べれば全然安いのでとても助かった。席に着いた私は、ドリンクバーで飲み物をとってきて、少しパソコンを触った後すぐ横になった。なんだかここからの記憶はすべて曖昧だ。
始発よりは少し遅い時間に快活CLUBを出発した私は、森本駅へと向かった。森本駅近くの「銀色のお地蔵さん」で休憩させていただき、その後電車へと乗った。今回一番乗り降りしたのはこの森本駅だ。たいした回数ではないがなんだか愛着が湧いた。この後私はひたすら帰路をゆくことになるのだが、前述した18きっぷの「通過利用特例」のことに関してある駅で駅員さんに問い詰められてしまい、それ以降の記憶がほとんどない。熱海のマクドナルドでチキンナゲットを食べたことくらいしか覚えていない。割合にして100%私が悪いことだったので弁解の余地はない。お忙しい駅員さんの手を煩わせてしまった。このことに関しては懺悔としていつか書こうと思う。記憶がないと言ってもひたすら電車に乗っていただけではあるが、どの駅を通過したとかどこで乗り換えたとか全く覚えていない。写真フォルダに写真があり、撮影したのは覚えているがどこで撮ったのかはまったく覚えていない。熱海で降りてチキンナゲットを食べたことしか記憶の突起部分がない。ソースをバーベキューにしたかマスタードにしたかは覚えていない。
しかし、地元の近くに帰ってきてからは記憶がある。私は旅のしめとして松屋に行った。松屋で牛めしを例の食べ方でぐちゃぐちゃにして食べた。嫌だったことを帳消しできるように、「呪い(まじない)」をかけるようにお肉やごはんを口に運んだ。その呪いは完全にかかりきることは無く、その数日後、私は誰も乗っていない「完全停止の駐車車両」にこすってしまうという実にしょうもない接触事故を起こすのだった。しかし、それはまた別の話。
ともあれ、これにて私の石川旅行、「能登に向かって」はあっけなく幕引きである。
お読みいただき感謝いたします。
有難うございました。
おわりに
今回一番思ったのは、18きっぷの旅行を当分やめようという事だ。初めて使ったときに比べて、だいぶ「修行」感が増してしまった。旅行は決して修行ではない。旅行において、得るものよりもつらさが勝ってしまったらそんな悲しいことは無い。どうしても今の私の諸々の実力では18きっぷを使えば、旅行はたちまち修行となってしまう気がする。夢物語ではあるが、新幹線に乗ろう。宿に泊まろう。そして、誰かと一緒に旅行してみよう。夢は語るだけ、見るだけなら「ただ」である。そのためには、労働ではなく仕事をしなければいけないのかもしれない。しかし、それも夢物語と同じようになんだか遠い物語の気もしてしまう。果たしてどうなる事やら。私にもわからない。
そして、石川には再び行きたい。前述の通り福寿司にも、金沢にも。ボランティアも人生のうちいつかはやってみようと思う。
とにかく、能登地方を始めとした被災地域の復興が早急に行われるのを願い、求めるとともに、私自身も注視してチェックしていきたい。
分割して⑩まで長くなってしまった。お付き合い感謝します。次は、どうしようか考え中です。
それでは、また。