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数学の偏差値が39だったのに気づいたら京大に来ていた話 #2

そんなわけで、私はそれからの模試の志望校欄に「京都大学」を書き始めるようになり、夕食時の母との会話でも京大が話題にあがるようになりました。次の模試で京大がC判定になってからは、気張りすぎず、受験を意識しすぎることはなく、勉強面では学校の授業の復習だけをこなしていていると、クラスで1番の成績は難なく取れるようになってきました。

高校1年は良くも悪くも成績をキープして終了しました。

文系進学を決めると、高校のカリキュラム上クラス変更を余儀なくされ、高校1年の時にいたクラスよりもレベルの低いクラスに編入されました。このクラスには、一橋や阪大を見据えた人はいましたが、関関同立などの私立大にこの時点で絞っている人が多くを占めていました。言い方は悪いですが、「理系」の枠にはまらなかった生徒を一緒くたに詰め込んだクラスです。

そんなクラスに編入して、周囲の勉強への意識の低さを目の当たりにし、一発目の実力考査で2番の人を大きく引き離した成績をとってしまってすっかり萎えてしまった私は、中高一貫生との交流が欲しいと思い立ち、帰宅部だったので思い切って音楽系クラブに入部しました。

高校のクラブは大学のサークルとは違って新入生以外が入るのはかなりの勇気が要ります。しかし、このクラブで出会った同学年の友達は、のちに国立大医学科や私と同じ京大に進学して、クラスの人たちよりもよっぽど親交が続いていることを考えると、交友関係が広がったと言う一点のみ言及しても入部してよかったと心の底から思っています。ホールで合奏する爽快感や、初めて触れた楽器が練習を重ねるごとに上達していく楽しさは何にも代えられない思い出ですし、17歳の1年間の大半を部活に充てたことに何の後悔もありません。クラスに恵まればこんな時間の使い方もしなかったでしょうから、不思議なものです。

クラブと同時に、私は『ヒプノシスマイク』という音楽コンテンツに熱中していました。共通の趣味を持つクラスの友達とライブに行ったり、CDを聴きまくったりしてプライベート時間を充実させていました。このヒプノシスマイクは、今の趣味であるDTMを始めるきっかけとなっています。

17歳の1年は、新しい趣味や友人にめぐまれ、高校時代をもっとも謳歌した1年でした。修学旅行も体育祭も文化祭も、高2が一番楽しいのが相場でしょう。


お分かりでしょうが、勉強の存在なんてこの頃はすっかり忘れています。学校の成績こそ落ちないものの、京大の「き」の字も頭に残っていません。そればかりか学校の定期考査で手を抜く方法ばかり身につきました。こういう場面では要領がいいらしく、しまいには特待になってしまい、勉強への危機感がますます薄れるばかり。パッと見れば成績は安定しているように見えてしまうタチの悪いサボり方をしてしまったので、自分の首を締めていることに気づかないまま高校2年が終わりに差し掛かりました。まあ、楽しかったから良かったのですが。

高校2年の厳しい寒さの冬、一通りのイベントが終わり、周りが少しずつ志望校に悩み出し、クラスの友達を遊びに誘っても予備校で勉強したいと断られるようになってきた頃、未知のウイルスが日本にもやってきました。

巷の空気が重くなっていくのに合わせ、私の順風満帆だった高校生活も徐々に影を落としていきました。


(続く)

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