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数学の偏差値が39だったのに気づいたら京大に来ていた話 #3

高校2年の冬、学校の最寄り駅周辺にあった塾に通いはじめました。
そこは、規模は小さいながら東大京大医学部合格者を多く輩出していると有名なところで、その実績どおり、英語などのクラスで一緒になった他校の人たちは皆私よりもよっぽど優秀な人たちばかりでした。
しかし、私はここでも「3カ年生」という肩書きに苦しめられます。3カ年コースから東大京大国公立医学部に進学した人がほとんど輩出されていないことを理由に、学校成績での入塾金全額免除が受けられず、それよりも基準の厳しい模試成績で入塾審査がされました。結果として半額免除となりましたが、各人の所属高校・コースで優遇されたり冷遇されたりする場面はこれ以外でも幾度となく立ち会ったので、中学受験すれば良かったのかな、とその度に思わされました。これに関しては正直今でも結論が出ていません。
そんなスタートではありましたが、その塾は評判通り授業も塾生もレベルが高く、勉強面で学校では天狗になりがちであった私の鼻を適度にへし折り、対抗心を燃やすにはかなり良い環境でした。

しかし、コロナウイルスの流行が始まると、対面授業が停止してしまい、全面オンライン授業となりました。入塾したばかりだったのでLINEなどで連絡を取り合うほどの仲になった友達はおらず、結局家で一人で授業を消化して一人で復習することになりました。当然、モチベーションは長く続かず、授業を溜めがちになりました。

高校3年が始まる直前の春休み、部活もできず遊びにも行けずで時間を持て余し、やっとのことでペンを握りました。せっかくだからいっぱい勉強してやろうと意気込んで青チャートを二冊買いましたが、結局その分厚さに勉強する気が失せてしまい、入試が終わるまで完璧にせずじまいでした。

対面授業が再開し、ようやく受験生の自覚が芽生えた頃には、気づいたら共通テスト模試での京大の判定はEでした。
高校3年次でのE判定はかなり厳しい状況です。時間はもちろんのこと効率よく勉強しなければ合格射程範囲内の受験生に追いつくことはできません。

そう、頭ではわかっていたはずなのに、私はずるずるとサボりました。そして、何かにつけて「ダメそうだったら指定校で早慶に行けばええか」といつも言い訳して、学校にきたら授業中も休み時間もお構いなしに爆睡して、テストの点だけ掻っ攫ってクラスメイトと先生の反感を買って、家に帰れば溜まった塾の授業を消化して、やる気が出たら基礎的な問題集をやって、飽きたら母とドラマをみるというふざけた毎日を過ごしました。

自粛期間も、夏休みも、なあなあの勉強しかしていない。夏の京大模試の結果には、そんな私のそのふざけた毎日が如実に反映され、判定はD。

英語と日本史はもとより得意で、国語は平均並み。ですが数学は、京大はおろか国公立大学受験の再検討が必要な深刻な状況で、高3夏の時点でセンター形式のテストで6割後半、京大実戦での数学の偏差値は40台。
到底、今から必死に数学ばかり勉強しても間に合う成績ではありませんでした。

そのたび、私は指定校の誘惑に駆られました。
早慶の学部のどこかには確実に行けるだけの評定があったので、確実でコスパの良いルートを選ぶか、泥臭い方法を取らざるを得ずリスクの高い京大一般受験を選ぶか、秋の指定校推薦者確定の直前まで悩まされました。

しかし、夏の共テ模試で京大法学部でAを取り油断していたのもあったのか、私は無駄にプライドの高い人間でしたので、そのコスパとプライドを天秤にかけてプライドが勝ってしまったのです。京大にいけるだけの成績なんてないのに。

そんな逃げ道の絶たれたなか、秋の京大実戦と共通テスト模試が返ってきました。共テ模試の判定がE、京大実戦の判定はDで当然ながら夏から実戦模試の判定があがりませんでした。そのうえ、共通テストは問題ないと安心しきった矢先にE判定をくらい、この時になってようやく今までの愚行を後悔しました。

かくして逃げ道のない受験ルートが確定し、私は窮地に追い込まれてしまいました。
そんななか、学校のクラスメイトたちの間では徐々に私がどうやら京大を目指しているらしいという噂をどこからともなく聞きつけたようで、「3カ年生に京大なんて無理でしょ」と言われるのを耳にしました。これはあとから担任から聞いた話ですが、先生方の職員会議でも、私が3カ年生だから、京大は無理だから安全な阪大に変えるか早慶指定校を推すかして指導するようにすすめられていたそうです。

自身の成績の深刻さを嫌でも自覚しているなか、私と1番成績の近かった友人が一橋を諦め指定校推薦で早稲田の内定をもらったことで孤独感に拍車がかかりました。周囲の諦めと冷笑を肌で感じる学校に嫌気がさし、私は徐々に学校を休んで塾の自習室に引きこもるようになりました。

必死の形相で勉強しても成績の低下はとまらず、同じ志望校の友人もおらず、周囲の殆どに私の京大合格をとっくに諦められている。
私は次第に精神的に不安定になっていきました。


(続)


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