最終回 のようなもの

ホームタウンに生まれた事もあって、小学生の頃から親にスタジアムに連れて来てもらってた。
初めて1人で見に来たのは中2。たしか勝った。

そこから友達のツテで、ゴール裏で応援するようになった。
今思えばこの時期が一番純粋にサッカー観戦を楽しんでいたような気がする。

奇しくも「自分でプレーする」という選択肢が無かったこともあって、情熱は極端に「見る」方へと傾いていった。

高校生になり、シーチケを買い、ユニを買い。
大学生になり、アウェイにも足を運ぶようになり。

徐々に生まれてくる時間と金の余裕、そして2016年のJ1リーグ優勝がその熱をさらに高めた。

そんななか、2017年に転機。DAZNがJリーグの放映権を獲得した。
これにより試合のアーカイブを、自分のPCで簡単に見返せるように。

当時は大学生、吐いて捨てるほどの時間があった。
異常なまでに試合を見返した。

1プレー毎に一時停止して、
その選手が、そのとき、
・なぜそこにポジションを取ったのか?
・なぜそのプレーをチョイスしたのか?

画面に映る全ての選手の目線に立ち、全ての判断が(自分なりに)言語化できるようになるまで、何度も見返した。

5秒再生しては、
A選手が「首を振ってなにを見たのか?」「その結果どこに移動したのか?」「結果どういうプレーをしたのか」を理解し説明できるようになるまで何度も巻き戻し。
A選手の判断が理解できたら、次はB選手。また理解できるようになるまで何度も巻き戻し。
次は相手のC選手。そしてD選手

当然めちゃくちゃ時間がかかる。
でも、めちゃくちゃ時間があった。

ただ、試合を10分見るのに数時間かけていても苦にならないぐらい楽しかった。
今まで漠然と見ていたピッチ上でなにが起きてるのか、好きなチームや選手達がなにをやろうとしてるのかが少しづつ理解できるようになっていく過程はワクワクした。

各選手の「個別の判断」がある程度理解できるようになったら、次は「試合全体の判断」を理解しようとする段階に移る。

・この2人のユニットはなぜこうしてる?
・じゃあこの4人のユニットは?
・11人で見たら?
・22人で見たら?

・この配置の目的は?
・なにで相手を上回ろうとしている?

・相手の目的は?
・相手はなにで鹿島を上回ろうとしている?

それらを考えていくと、キャパ的にどうにも頭のなかだけでは整理できなくなってくる。
そしてちょうどこの頃、Twitterで「戦術ブログ」なる概念を知る。
この頃から頭の整理のために、要点をまとめたものをnoteにアップするようになる。2018年くらいか。

そうして、徐々に90分通しての試合への理解が満足できるようになったら、次は「複数試合を通しての判断」を理解しようとする段階に移る。

・前の試合ではこうだったけど、それを踏まえてこの試合はどういうスタンスで挑んだのか?
・ここ数試合でこういう課題が出てるけど、そこに対してどう修正しようとしてるのか?

を考えるようになった。
このぐらいから、相対的な評価のためには鹿島アントラーズだけではソースが足りなくなってきて、他のクラブのやり方を知る必要性を感じ見てみる事が増えていった。

そうして複数試合への理解が満足できるようになったら、最終的に「クラブとしての長期的な強化戦略面での判断」を理解しようとする段階に移る。
そして今に至る。


こういった過程を経て、徐々に徐々に、サッカーを「引き」で、大局的に見ようとするようになっていった。

その結果、一朝一夕でない事を理解し、同時に一喜一憂しなくなった。

この頃にはもうゴール裏からは離れ、より引きで見るためにバック最上段や2階で試合を見るようになった。


その間色々書いた。
大岩体制の限界や、ザーゴ体制の分析、ヴァイラー体制の魅力。
どんどん見方は変わっていった。

そうして大局的に、相対的に、長期的に見て、見たうえで岩政体制に絶望してしまった。

しかしチームへの愛情が薄れたわけではない。選手もクラブも大好きだし、無論、当然勝って欲しい。
社会人になってある程度金銭的にも余裕が生まれ、SOCIOにも入った。

それでも、この取り組みではダメだろうなと思った。
「勝って欲しいけど、このまま行っても優勝はできないと思う」という考えに至った去年は、めちゃくちゃモヤモヤしてた。



このモヤモヤをなんとか晴らしたいと思い、直近のホームゲーム2試合を、友人とともに約6年ぶりにゴール裏で観戦した。
久しぶりに一喜一憂の極致を全身に浴びた結果、諸々を踏まえ「大局的に考える事自体に意味がないな」と感じた。

個人的にゴール裏から離れた数年間で鹿島以外の色んなサッカーに触れた結果、サッカーを見る事の面白さを
「カオスにまみれた競技性のなかでまばゆく光るロジック」
に見るようになっていた。そしてチームにもそれを求めるようになっていた。

ただ、それはあくまで「サッカーを見る楽しみ」であり、「好きなクラブを応援する楽しみ」の必須要件となる要素ではない。
自分が好きなのはあくまで後者であるという事を再認識し、求めなくなった。

そして、まぁもう身も蓋もない事を言うが、「求めたところで結果にはなにも繋がらない」という圧倒的な事実。
というかそもそも、観戦という受け身の娯楽への向き合い方として、「(勝利という)共通の目的以上のものを求める」というのはいささか傲慢ではないだろうか。
勝ってモヤモヤとか、意味わからんなと。



あと最後に、一番重要なこと。
サッカーという競技は、理解不能である」という事。

いくら理解しようと考えようが、この競技が基本手を使えない時点で圧倒的カオス優位は揺るがないわけで。そのカオスを楽しめない状況って終わってるなって。

というか冷静に考えて、なにこの競技。
普通に手使えよw
でも足でやる。なぜ?その時点でちょっと面白いじゃん。なにが「この競技の面白さは垣間見えるロジック」だよ。
「手使っちゃいけない」っていうルール自体がそもそも結構面白いだろ!誰だよ言い出したやつ!
足でやるからこそのカオスを楽しめ!!!


というわけで、ポジティブな事は書くかも知れないけど、今後もうネガティブなことを理解したフリして書く事はしないと思います。

モヤモヤを溜めず、勝って欲しいと願って応援して、勝ったらその分喜ぶ。俺が好きなのはサッカー観戦ではなく鹿島アントラーズ。これが揺るがない結論。

でも、これに気付くのに6年ぐらいかかったけど、この期間も無駄ではなかったなと思う。
色々知れたので。その分色々不満も出たけど。


踊らにゃ損。あざした。





※そういうわけ(鹿島アントラーズが好きなだけでサッカー観戦が好きなわけではない)で、W杯の全試合を1人1人担当してレビューを書くあの企画はどうしてもやれませんでした。そもそも受けなきゃ良いのに。覚えてるかわからないけどWindtoshさんごめんなさい

※もちろんスポナビお断りです。どっかいけ。