生きているとは

本当に死ぬ時は忘れ去られた時などとはよく言うが本当に生きているという時はどんな時なのだろう。

痛みを感じる時?与えられている痛みは自らの意思で起きているわけではない。
考えている時?もう疲れた。考えるのをやめたい。
息をしている時?言葉を発している時?したくなければどうすればいい。
助けてと他人に縋る時は他人に生かされている。

周りは皆、上を見て前を見て生きているが1番楽なのは下をみることだ。
なぜ皆、苦しむ道を進むのだろう。
私は楽な道を行こう。

生きることは歩き続けることと言われたこともあったが、これも生きるということなのだろうか。
私は最も楽な道へ歩みを進めた。


「昨日、中層から落ちてきたやつがいたらしいな」
「もう服やらなんやらは掻っ攫われたぽいけどな。俺も早く気づけばよかった。俺が行った時にはもう本体だけだったよ」
「ふーん。どんなやつだったんだ?」
「ぐちゃぐちゃだからわかんなかったよ。まぁ俺ら以下のゴミってことには変わらないけどな」
「上にいても死んだら害獣や害虫の餌か。こっちは今を生きるのにも必死だってのに思想まで贅沢なことで」

中層で見向きもされなかった彼は呼吸が止まった時下層にて注目されていた。
その時は彼は生きていたと言えるのか、死んでいたと言えるのか。

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